354 フライ
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実験は沈黙の中にある。
無機質な白の壁に囲まれたリモート室には、操作端末がずらずらと並び、モニターの光が淡く室内を照らしている。
ガラス越しに望める実験場は、まるで異質な空間のようだった。
厚い強化ガラスの向こう側。
中央のベッドには、銀髪の少女が静かに横たわっている。
彼女は眠っている。文字通り情報量が多いその身は、低ステータスな眼球ではそれ以上の情報をまともに読み取ることができない。
紡がれた銀糸のような髪、雪のように白い肌、閉じたままの瞼の奥で蠢くもの。それらはどれも、ただの生体反応では片付けられない濃密さを持っている。
意識の宿らないその身は異質さの中にあり、肉体はさらなる異質さに囲われていた。
夥しいほどの魔法陣。
時間と空間の層が重なり、浮かび上がる光の文様は、見る者に狂気をもたらさんと常にわずかに変化し続けている。
理論上は同時に存在し得ないはずの系が、無理やり並列に固定されている。
モニター室の副司令席。
ベリーショートの銀髪をした女が目の前の端末を操作すると同時に、実験場が淡く輝き出す。
魔力が充填されている。
常にそこに有り、そこには無い存在。
他次元から放射される光エネルギーは、この空間で飽和し一切の影を落とさない。
重なり合う魔法陣が、徐々にその回転を加速させていく。
空気が軋み、耳に届かないはずの圧が、じわりとモニター室まで滲み出してきた。
目の前に置かれたボタンが赤い光を宿した。
「ファイヤー!!」
勢い良くボタンを押し込む。
勢い余って押し込まれすぎたそれが割れるような音を立てると同時に、モニター室中の電子機器が彩度を上げた。
破裂音。
いや、破砕音。
……いや、…圧壊音?
とにかく、そんなような音が何重にも重なり合ったような音が瞬時に充満する。
実験場が闇に覆われている。
…闇じゃ無い。
見れば、モニター室のガラス窓いっぱいにぐちゃぐちゃになった肉塊が押し付けられている。
あまりの圧力にペースト状になったそれが、一切のムラなく広がっていた。
獄地で作ったはずの強化ガラスに嫌な音が走る。
「あ
何かを言うのより、強化ガラスがひびで真っ白になる方が先だった。
それは濁流というより、ショットガンだった。
獄地に込めたリソースよりも大きな圧力を持ったそれらは圧力弁が破壊されると同時に爆発した。
瞬時に数億分の1程度の圧力に晒された彼女らは、押し込めていた体積を瞬時に開放。
極大な質量と体積を伴ってモニター室を強襲した。
{人形1号:10000/10000
人形2号:2909/10000
人形3号:0/10000000000000
人形4号:0/1
人形5号:0/1
人形6号:1/1
人形7号:0/100
人形8号:3/100
人形9号:30/100
・
・
・
人形917655287号:0/-1
人形917655289号:0/-1
人形912655290号:0/-1
人形912655291号:0/-1}
鑑定に記録してた人形たちのステータスがめちゃくちゃロストしてる。
ステータス的な強度をあんま重視してなかった奴らが軒並みって感じ。
つか、これ30体目の実験の筈だったんだけど。
9億て。
ミスったね。これ。
肉塊を掻き分け、なんとか地面に到達する。
地面というか、肉面だけど。
視界いっぱいに広がる肉の塊から、即死を免れた人形たちが這い出してくる。
足元がモゾモゾ言い出した。
お。
肉塊に手を突っ込んで当たった物を引き出すと、それは最初期に作ったベリーショート型こと人形1号だった。
生きておったか。我が最高傑作よ。
いや、鑑定から生きてることはわかってたんだけど。
初手で作った奴からいきなりいい感じのができたから、実体として保存して、1号のステータスを調整しつつやっていた今回の実験。
たとえ死んでてもステータスは保存してるからいいんだけど、今回ので死んでたら強度不足って事だしまた色々練り直さないといけないところだった。
三角座りをしている私の横に、同様に三角座りをする1号。
肉塊から這い出してきた奴らも続々と私の周りに座って行った。
別に三角座りをしろとは言って無いけど。
まぁ、普通に直立してたら肉に埋まっちゃうし、ある程度は合理的か。
リトル5号の肉体変形機能で若干体重を軽くし、立ってあたりを見渡す。
あたり一面肉畑。
なんなら、地平線の先まで肉塊で埋まってる。
…地平線?
…ん?
ある事柄が脳裏によぎると同時に、“それ”は目の前にテレポートしてきた。
スマートフォン。
通知と共に現れた文面は、『お話があります。』
スマホを即座に肉面の中に突っ込んだ。
なにもみてないなにもみてない。
見なければ存在しないと同じ事。
尚も肉の中で通知を受け取っているのか、肉面が若干フルフルしてる。
1号!
私の命と共に肉面に手を突っ込んだ1号は、(認識してない)を掴みあげ、地平線の向こうにバットでかっ飛ばした。
ホームラーン
空の彼方に消えたそれを見送り、一息つく。
これで完全に認識できなくなった。
完全犯罪成立と。
かっ飛ばした向こうに背を向け、肉塊に座り直した先。
何やら見覚えのない足がそこにあった。
…人形たちはみんな裸足なんだけどな。
恐る恐る上を向くと、妃奈は脳面のような顔で言った。
「アウト。」
さっきかっ飛ばしたはずのスマートフォンを手に持った妃奈は、そのまま振りかぶり、バットを持って満足げにしている1号の背中に全力で投球した。
1号は爆散した。




