Code.10 (15)
feat.サラ
「ッ!…ハァッ!…ハァッ!…ハァッ…」
酷い寝覚めだった。
自身の荒れる呼吸をなんとか整え、必死に現実を認識する。
夢の中の出来事は今では無いのだと、もう終わったことなのだと半ば自己暗示気味に強く念じる。
意識は必死に現実を探そうとしているのに、脳が感覚神経から今を認識するのを拒んでいる。
見えない脅威を、未だ焼き付き離れない恐怖に構えて安全地帯を見誤る。
「ん!…う、…う……ううう…うぇぇぇ」
押さえつけていた景色が、目を逸らしていたテクスチャが、より覚醒した脳により無理矢理眼裏に投影される。
ベッドから跳ね起きたサラは、咄嗟に飛びついたゴミ箱に盛大に吐き散らかした。
「ハァ…ハァ……ハァ………はぁ…。」
多少の交感神経の働きと口内に残る不味い酸味がサラの現実性を確かなものとした。
心臓は未だ荒れている。
胸の上の沈み込む様な不快感と腹の芯が冷え切る様な喪失感が消えない。
サラは未だ月夜が支配する窓の外を恨めしげに眺めた後、寝汗で湿った自身の布団に手を吐き一人ため息をついた。
…。
今思い出しても…思い出したくも無いが、あの日々は、女神に傀儡として操られてたあの地獄は未だ筆舌し難いトラウマとなってサラの脳裏に焼きついていた。
水道で手早く入れて来たコップ一杯の水を一口に飲み切り、ゆっくりと息を吐きながらサラは背もたれにもたれかかった。
時刻は午前3時半。
時間的にはまだ睡眠を取ることができたが、もうサラにその気力はなかった。
放り出されたカバンを引き寄せる。
中を弄り、仕事の用具を取り出した。
明日のスケジュールを確認し、幾つかの解決しなければならない問題の優先順位を立てていく。
次の会議のレジュメを捲り、あらかたの内容を把握して、サラは手を逸らして伸ばした。
パキポキと空気が抜ける音がする。
血流が流れる音を耳元で聴きながらサラは再度ため息を吐いた。
…結局あの後、魔王城第58層から司祭に助けられたサラは、Code.10発現のこともあり教会に天使として所属することとなった。
立場はシスターの副補佐。
獄禄を獲得した一般天使役職の纏め役としての立場が与えられた。
以前のサラであれば、あまりの地位と権力の大きさに慄いていただろうが、あの地獄の日々とそれによって得られたCode.10によりサラは迷うことなくその条件に頷いた。
粛々と自身の業務をこなす日々の中で、サラは自身に降りかかった厄災について司祭から事情を聴取された。
何度かそのやり取りをする中で、司祭は何故サラがシステム上の「天使」となり、Code.10を得るまでの無理矢理なレベルアップをさせられたのかの結論を出すことに成功した様だった。
問いかけるサラに一つ咳払いをし、司祭は話し、そしてサラは悟った。
曰く、サラに課せられたあの日々は女神が経験値を上げ、自身の管理者権限を人族の魂を苗床とすることで強制的に得ようとしたことによるものだったと。
そのために、極めて効率的に、極めて強制的にサラの肉体は変容させられたのだと。
天使として、Code.10を植え付けられ、システムの歯車の一部に組み込まれたのだと。
苗床として、最悪を孕んでしまったのだと。
その事実を受容した時、サラは競り上がる胃液を止める術を持っていなかった。
自身の胃液の中でなお嘔吐くサラに司祭はゆっくりと手を伸ばした。
「まだ方法はある。」
…
…よって、現在の魔王軍の活発化だけでは近年の勇者数増加の直接的な原因になり得ないと…」
昼の会議。
結局あの後一睡もしなかったサラは、手早く業務を片付けた後、兼ねてより議題の中心にあった勇者スキル保持者の増加に関しての会議を行なっていた。
「…SPの上昇による勇者スキル獲得ラインの相対的な引き下がりだろう。魂の格がそもそも上がっているんだ。我々人類がスキルという名のシステムツールを利用できる様になったのと同様に勇者スキルも特典スキルから通常スキルに格下げされたのだろう。」
「いや、それはおかしい。特典スキルはルーツがそもそも通常スキルとは別だ。入手難易度で区別されるものは通常、希少、超希少のみだ。特典スキルはシステムそのものが介入する付与スキルに該当するものであるために、SPの上昇による獲得例とは…」
老いた女の天使が挙げた話に若い男の天使が反論する。
獄禄の獲得により、司祭監修の元ある程度システムの存在を学習した一般天使が議論を行う。
システムの合理性の観点から議論が行われ、次第に議会が白熱し出す。
と。
{「獄炎魔法」の発動を確認しました。}
{効果「威圧」を確認しました。}
{抵抗に成功しました。}
爆音。
同時に議会の天使が全員失神し、床に伸びる。
これは以前にもあった。
魔王の襲来だ。
1度目はまだサラが司祭の元に来てすぐの事だった。
魔王襲来時点で人間ならばレベル差で強制的に正気度を削る「威圧」に抵抗できないのだが、Code.10を獲得し種族が変容しているサラは耐えることができていた。
本来司祭を守るべき立場の天使だったが、魔王の前には皆無効化されてしまう。
だが、問題はない。
システムの立ち位置的に魔王と司祭に直接的な敵対関係は無い為に、物理的な衝突が起こる事はない。
今回も前回と同じ様に情報共有と釘刺しに終わるのだろう。
軽くため息をつき、伸びた天使たちを解放しようと椅子から立ち上がった時点で、新たに上に現れた気配を強化されたサラの五感が捉えた。
「カヒュ…」
嫌
嫌
嫌
嫌
思い出したくない
気づきたくない
忘れもしない
あの認識するだけで腹の底が抉れるような瘴気。
形態はまた変わっている様だったが、魂の気色は一切変容していなかった。
勝手に視界が揺れ、涙が溢れ出す。
嗚咽が漏れ、膝が笑う。
気付けばサラは地面にへたり込んでいた。
「なんでですかなんでですかなんでですかなんでですかなんでですか許してください許してください許してください許してください許してくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
サラは只譫言の様に呟き続けた。




