過去編 第三章 西原秀治の場合 11
夜更け。
森は昼に比べて随分ともの静かで、そいつの存在に恐れているようだった。
月にしても今日ばかりは雲に隠れて眠っている。
微風が草木をほんの少しだけ揺らす。
腕を振った。
俺の後ろに投擲されたナイフが暗闇に隠れていた腕のようなものを貫いた。
どちゃりと嫌な音を残して地面に落ちる肉片。
対して光も届かないような暗闇だが、俺の瞳は青紫色の血液を吹き出すそれを視認できていた。
「Guooooooooaaaoaoaoaoaoaoaaaaaaa!!!!!!!!」
咆哮。
いよいよ森が恐怖に怯えたように暴れ出す。
草木は戦慄き、地は揺れる。
振り返ったところで、木々が音を立てて倒れ、そいつが姿を現した。
見た感じそいつは不定形。
肉が無作為に結合した肉の塊に、血管が大量に巻き付いている。
色は血の色が透けて赤紫の姿だった。
肉から生えた触手が不規則に暴れ回っている。
触手の先はハサミのように二股に分かれており、さっき俺が切り落としたものはあれの内の一つのようだ。
触手がいっぺんに襲いかかってくる。
一つ一つが独立した蛇のような軌道で飛んでくるのを俺は体を半回転させてかわした。
避けた先で、触手が掠った木々が粉砕される。
…柔らかそうな見た目しといて、案外硬度も高そうだ。
触手がターンして戻ってくる。
十分に引きつけてから、上に跳躍する。
数瞬前まで俺がいた場所を通り抜けていく触手群。
俺は空中で一回転しつつ、腰につけた刀剣を引き抜いた。
引きつけたのが効いたのか、触手は今いっぺんにまとまっている。
刀剣を振り抜いた。
摩擦で刀身が赤熱する。
俺の全力によって空気が分断され、真空のかまいたちが前方に飛ぶ。
そのまま触手は真っ二つに分断された。
「gyaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!」
咆哮が絶叫に変わった。
途中から切断された触手を振り回す肉塊。
青紫色の体液が振りまかれる。
あとは本体だけだ。
俺が見据えると、肉塊は体を震わせ、先ほどよりもさらに大量の触手を作り出した。
同時に、それらが俺に向けて一直線で放たれる。
視界を覆い尽くすほどの肉の壁。
俺は真っ赤に輝く刀を握って足を踏み出した。
…。
ミンチになった肉塊を横目に、倒れた木に腰掛けながらインカムをいじる。
相手はワンコールで出た。
『はいはいどうもこちら亜乃ー。』
「秀治だ。こっちは終わったけどそっちは?」
『秀治くーん!いまはー…ちょっと待っててくださいねー。』
佐々木の声が電話から少し遠ざかる。
『ちょっとうるさいかもなんで耳塞いでくださーい。』
と思ったらすぐに佐々木が戻ってきた。
うるさい?
「え?」
『guaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!…aa…a!』
「うおっ」
疑問に止まっている俺に構うことなく突如電話越しに聞こえてくる魔物の断末魔。
それらは骨と肉の捩れる音と共に徐々におさまっていき、最終的にか細く潰えた。
『はい!今終わりましたー。』
「びっくりしたわ。」
『えへへー。』
「はぁ…まぁ、とりあえずこれで今回の任務は終わりだな。」
『そうですねー。瑠衣ちゃんが探知した魔物もあらかた片付いたし、本部に報告して一件落着って感じですねー。』
「じゃあ、このまま本部に繋げるぞ。」
『りょうかーい。』
インカムに接続された端末を操作する。
亜乃との回線を本部回線に移す。
『はいはいこちら本部。』
出たのは蓑部だった。
「こちら秀治。任務完了した。」
『オッケー。瑠衣ちゃん調べでもそこにもう魔物はいないから、そのまま帰ってもらって大丈夫だよ。』
『りょうかーい。すぐ帰りますー。』
「了解。」
通話が切断される。
足元に転がった肉塊が静かに崩壊しつつある。
俺は肉塊に突き刺さった刀剣を引き抜き、血を振り落としてから腰に戻した。
魔物を倒したあと特有の、炭のような、ものが焦げたような臭いを感じながら、空を見上げた。
気づけば月は雲から抜けていた。
元きた山道を戻る。
踏み締める土の感じは、昔となんら変わらない。
だけど、この世界はもうじき滅びるらしい。
開けた場所に出る。
遥か下の方で街の明かりが見える。
今でもあそこでは人の営みが行われている。
明日の体育のダルさを憂いている。
いつも通りの日常を信じている。
でも、石田の研究ではあと数日でそれが滅びるのだという。
正直信じられない。
だが、事実だ。
7月14日に、世界は滅びる。
…。
暗闇の中にあっても学校は荘厳だった。
むしろ、月に照らされてより美しく見える。
俺は、任務から帰ってきていた。
「やたらと綺麗ですよねーこの学校。」
「…何度見てもそうだよな。」
隣には佐々木がいた。
今日の任務はこいつとの共同任務だったのだ。
「とりあえずーさっさと部屋に戻って寝たいですー。」
「同感。」
「えへー。来ますー?私の部屋。」
「いかねぇよ。」
「秀治くんのいけずー。」
「佐々木って京都人なの?」
「似非ですよー。」
「はぁ…。っと。」
「今日はここでお別れですかねー。」
「そうだな。」
なんやかんや話しているうちに、寮棟の前まできていた。
男子寮はここから左、女子寮は右だ。
「ほんとに来ないんですかー?」
「いかねーよ。」
「ふふ、それじゃあまた明日ですー。」
「ああ、またな。」
佐々木が手を振りながら帰っていく。
俺は男子寮棟に向かい…そして途中で道を外れた。
…今日は先に行くところがある。
行く先は研究棟。
そこに真実があるはずだった。
…。
研究棟は夜生徒が完全に立ち入れなくなる。
それは、4年経った今でも同じだ。
が、一つ抜け道がある。
研究棟の前まできた。
正面玄関は当然のように施錠されている。
監視カメラが周囲に近付くものを注視する。
もちろん映ったら一発アウトなので、慎重に行く。
研究棟のセンサに引っかからないギリギリの場所で身体強化能力を最大まで引き上げる。
瞬間、世界の色が鮮やかになる。
星々が煌めき、あたりが青く鮮明になる。
決して明るくはないのだが、全てが視認できる。
あらゆるベクトルの流れ、熱、エネルギー。
全部わかる。
ここ数年の訓練で気付いた事だが、俺の能力の本質は強化じゃない。
かと言って超能力系でもないし、ましてや知覚系でもない。
俺の能力の本当の正体は、無尽蔵のエネルギーだ。
尽きる事ないエネルギーをその身に宿すため、体が勝手に変質した結果がこの身体能力の高さだ。
だから、このエネルギーの回す場所をずらせば思考を究極に早めたり、目の機能とそれの処理能力を上げる事で知覚系能力者の真似事なんかもできるようになる。
…まぁ今は俺の能力説明なんてどうでもいいか。
今の俺にはセンサーがどの範囲を知覚しているのかもわかる。
それに被らないギリギリの場所で俺は全力で、かつ静かに跳躍した。
体が急速な加速を見せる。
ギュンギュン景色が下に送られ、気づけば研究棟の屋上に到達していた。
着地と同時に一回転し、衝撃を緩和する。
…前このジャンプを見せたら龍樹に「ノミかよ」って突っ込まれたんだっけ。
確かに倍率を考えたらそうなんだけど、にしたって例えがひどくね?
はぁ。
軽くため息をつき、屋上に入る扉を開ける。
研究棟の中で唯一、この場所だけは施錠されていない。
これは何か意図したものなのか、それとも只の石田のミスなのかはわからない。
が、どうにしろ俺にとっては好都合だ。
強化された瞳で慎重に周囲を見回しながら侵入する。
…今この場所に人はいないようだ。
…。
最初に不信感を抱いたのはもう随分も前のことだ。
最初から石田は怪しかったが、それにしたってこの学校で起こることはそれに輪をかけて怪しかった。
…いくらなんでも、この学校で使われてる技術は最先端を行きすぎてる。
ホログラムやガラスみたいな端末はまだいいとして、空に浮くリモコンとかナノテクノロジーとか、明らかにSF次元のものだ。
初めは政府直属の施設だと思っていたんだが、どうやらここは石田が個人で作った場所のようだ。
…いくらなんでもおかしいだろ。
この不信感はついこの間の世界崩壊宣言で完全なものとなった。
あれから、石田だけじゃなく、増井さんや小崎先生の動きすらちょっとおかしくなっていった。
石田は、何かを隠してる。




