過去編 第三章 西原秀治の場合 ④
スマホが騒々しいアラームを鳴らす。
寝袋にくるまっていた俺は目を覚ました。
モゾモゾと体を動かし、腕を外に出す。
スマホのアラームを止めた。
スマホの文字盤が6時半を示す。
「あ゛ー。」
無理。
眠い。
意思に反して、いや、起きていることが意思に反してるんだ。
瞼を閉じた。
脱力する。
あー…
…。
「朝。」
「…。」
「起きろ!バカ兄!」
「ぐぇ」
腹にかかる強烈な衝撃。
カエルみたいな呻き声が上がった。
痛む腹をさすりながらうっすら目を開ける。
そこには、仁王立ちでこちらを見下ろす愛香の姿があった。
「…いってぇ…。」
「さっさと起きろよ。」
「いくらなんでも軍隊式すぎるだろ…。」
「うっさー。兄ぃが起きないのが悪いんじゃん。」
「ああ?」
「低血圧だからって私に八つ当たりすんなよバカ兄。…朝ごはんできてんだから早く降りろよ。」
言うだけ言って下に降りていく愛香。
あの野郎…。
俺は深くため息をつき、制服に着替えるべくパジャマを脱いだ。
…。
ハンガーにかけられた制服をとる。
この服に腕を通すのも最後になるのか…とか思うと少しもの寂しくなる。
高一の時に買ってもらい、今やずいぶん小さくなった制服を着、鞄を取って部屋を出る。
扉を閉める時、部屋を振り返った。
ずっと昔から愛用してきた勉強机。
その上にはいくつかの文房具、電気スタンドが適当に置かれてる。
机の隣に置かれた本棚にはいくつかの漫画がシリーズごとに分けられている。
まだ七作ほど完結を見ていないんだが、その続きを読むのがいつになるのかはわからない。
そしてベッド…の残骸。
大きな破片は撤去されたが、細かいカケラや、床の凹みによってベッドがあった場所は侵入禁止エリアになっている。
ベッドに隣接している壁は業者が来るまでそのままで、今はレジャーシートが貼られている。
丸顔のアニメキャラがこちらを見ていた。
「はぁ…いくか。」
扉を閉めた。
…。
朝食はトーストだった。
香ばしい香りを放つ食パンにマーガリンを塗りたくり、食す。
パリパリの外側とふわふわの内側の食感が相まってかなりうまい。
ニコニコしながらトーストを食う俺を見て、愛香が珍しく遠慮がちに話しかけてくる。
「…ねぇ、兄ぃ。」
「ん?」
「マジで行くの?」
「ああ…。」
どうやら、俺が今日から行くところについての話らしい。
「まぁ、とりあえずな。手続きはもう済ませてあるっぽいし、今日からしばらくは帰れないわ。」
「そう…。」
あの一件があって以降、俺のスカウトの話は驚くほどスムーズに進んだ。
石田が家に来て、両親と相談、即決定だ。
スムーズだった、いや、スムーズすぎた。
あくまで推測に過ぎないが、俺は石田が何かを裏でしてたんだと予測してる。
金で釣ったとは思いたくないが、そうでなくても石田には何か俺みたいな常人でない能力があるっぽいし、それで両親を操っていたとか、そんなところだと思う。
普通こんな手回しをされたら明らかに不審だし、断固として石田の元に行くのは拒否するだろう。
だが、俺はもう普通ではなくなってしまった。
2日で能力の暴発を既に三回もやらかしてるし、それに何よりも、…両親に不安を感じてほしくない。
今後の人生があの日以来大きく変わってしまったのを自覚する。
だけど、変わってしまったのならその道を進むしかない。
幸い、見た感じだと石田はこの能力について俺より遥かに理解があるようだった。
なんとしてもこの能力を制御し、何か人のためになることをできるようにするべきだ。
そう俺は決意していた。
…。
「それでは、よろしくお願いします。」
「ええ。わかりました。」
玄関の前に乗り付けられた黒色の外車。
そこから出てきた小太り、丸メガネの人の良さそうな男が両親と話している。
俺は男の横に立って頭を下げる二人を見ていた。
「じゃあ、行ってくるよ。」
両親に別れの挨拶をする。
「ええ。しっかりやるのよ。」
俺の肩を叩いて笑顔で返す両親。
「あ、兄ぃ!」
車に乗ろうとしたところで、愛香が呼び止めてくる。
「ん?」
「とりあえず…これ持ってって…。」
「お守り?」
愛香が渡してきたのは、おそらく手製と思われる布のお守りだった。
「と、後!ちゃんと連絡はしてよ。」
俯きがちに愛香が言う。
俺は思わず笑った。
「何笑ってんだバカ兄!」
愛香が殴ってくる。
「わかったわかった。それじゃ、父さんと母さんのことよろしくな!」
「…わかった。」
愛香の拳を受け止めた後、肩を叩いて愛香に頼んだ。
愛香は再び俯きがちになって答えてくれた。
「それでは、そろそろいきましょうか。」
「…わかりました。」
小太りの男が促してくる。
俺は車に乗りこんだ。
…。
車に乗ること1時間弱。
気づけば車は山林の中を走っていた。
四輪駆動が凸凹の山道を力強く進んでいく。
「…ずいぶん山奥にあるんですね。」
「まあ、そこは所長に何か考えがあったんじゃねーかと思ってるけどな…。」
車に乗ってる間、俺達はだいぶ打ち解けていた。
俺を迎えにきたこの人の名前は増井吾郎。
元は宇宙関連の研究を石田としていたらしいが、今はその石田の元で学校を経営しているらしい。
突然の180度転換に困惑を隠せなかったが、増井さんは「まぁ色々あったんだよ…」と遠い目をするばかりだった。
ちなみに、石田は増井さんに所長と呼ばれてて、どうやら石田の下にいる人間はもう一人小崎という女性がいるらしかった。
「お、ついたついた。」
そんなことを考えていると、増井さんが言った。
「え、ここですか?」
会社がたどり着いた場所は、ただちょっと開けただけの空き地だった。
「ああ、ここからちょっと歩くぞ。」
空き地の端に車を駐車した増井さんが車外に出る。
俺はとりあえず増井さんについていくしかなかった。
…。
「うわぁ…」
増井さんに連れられて歩くこと数分。
俺は、巨大な校舎の前に立っていた。
高校、というよりかは大学に近い。
校門を入ってすぐの場所にあるのは、巨大な噴水。
電子制御されているのか、吹き上がった水がさまざまな形を作り出す。
広大な敷地に、三棟の校舎。
現代建築と昔っぽい、言うなればヨーロッパ圏っぽい建築の校舎だった。
「ここで…俺は…?」
「ああ。とりあえずはそういうことになる。…別に人体実験とかするつもりはないから、そこんとこは安心してくれ。」
「わ、わかってます…。」
俺は、ただただ学校の巨大さと、その威圧感に圧倒されるばかりだった。
…
増井さんに促されて入って右側にあった校舎に連れられる。
どうやら、ここが寮のようだった。
エレベーターに乗り、三階に着く。
高級ホテルのような内装。
壁にかけられた高級そうな絵画、床にはカーペットが敷かれ、足音を吸収する。
しばらく歩くと、増井さんがある扉の前で止まった。
310と書かれている。
「一人一部屋、1LDKだ。少なくとも住むのに困ることはないと思う。」
「す、すごいですね。」
開かれた扉の先は、まさに高級ホテルといった感じだった。
かなり広めに空間が使われており、入って廊下を進んだ先にはリビングとダイニングがあった。
窓はかなり大きく、太陽の光を十全に取り込んでいる。
明らかに俺が住んでた家よりも高級だ。
高そうなソファにリュックを下ろし、あたりをキョロキョロしていると、増井さんがドアの前に立って言った。
「とりあえず、しばらくはここに住んでもらいたい。何か不自由があったらそこの電話で001を押してくれれば誰か出るから。じゃあ何か連絡があるまで待機しててくれ。」
「わかりました。」
俺が返事をすると、増井さんは部屋を出て行った。
ガチャリと、重厚そうな音が鳴った。
「とりあえず…スタート地点だ…。」
俺は、この先に何があるのか不安を持ちながら、拳を握った。
…
「とりあえず、西原くんを部屋まで連れて行きました。」
「ああ、ありがとう増井君。」
研究室に戻って来た増井が、石田に報告する。
研究室は一定の静寂に包まれており、タイプ音と機器のモーター音以外に音は発せられなかった。
パソコンを打ち続けている石田に、増井は遠慮がちに尋ねた。
「…一つ聞きたいんですが。」
「なんだい?」
「彼らはいったい何なんですか?…もし人体実験用の人間として選んだのなら…。」
「ああいや、彼らは違う。」
増井の問いに石田はかぶりを振って否定した。
椅子を回転させ、増井の方に向き直る。
「彼らは、人類の希望だ。」
「希望…?」
「ああ、彼らは勇者。そのプロトタイプだよ。」




