表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眩い記憶2   作者: NOMORE
1/1

風俗嬢と絵描き

私が風俗嬢を始めてしばらくたったころ、ストレスが溜まって歌いたいのに彼氏の部屋では歌うことをゆるされなかった。

しかたなく絵を描き始めた。

最初は落書きのようなものだった。

自分が描いたものはなんにせよ大好きなようで、その日描いた作品を皮切りにたくさんの絵を描いた。


シャープペンシルで一発書きしたもの。ぐにゃりとして混然としたどこにも行き場のない怒りのような叫びのような。そんな絵をたくさん描いた。


思えば、絵を描くのはとても久しぶりのことだった。

22歳の時に火事で焼け出されて、子供のころに描いた絵はなくなってしまった。だから、そのあとは全く絵を描かなくなった。描いても失われてしまうことを思うと描く気にはなれなかった。


しかし要は経験だった。風俗嬢として働いた経験がしっかりと絵に活きていた。

物心つく頃からなにかわからないが人とは心の持ちようが違っていた私には、火事も風俗も必要な経験だった。

泣きながら学校へ通ったこと。

母親にどうせ死なないのにと言われたこと。自転車を直してもらえなかったせいで最初の自殺未遂をしたこと。

いとこに無視されいじめられたこと。いじめられても学校に行き続け逆にいとこを精神的に追い詰めたこと。

精神科に自ら通い、病名を得て生きる糧を得たこと。

笑顔を得て、そして失ったこと。


すべて必要な経験だった。


一人暮らしをしていたあの頃、安い100均のオイルクレヨンをなんとなく買ってなんとなくアリプロジェクトを聴きながら絵を描いた。

そのころの絵は、ほとんど無意識の力によって描いていた。落書きに毛の生えたようなものかもしれない。私にとってはうつくしい大切な絵でも、他人から見れば素人のグロテスクな落書きでしかないかもしれない。


だが私はそれによって救われていた。


そして数年経った今は、絵を描く準備のために生きて生活しているようなものである。

まだ描けない、まだ描けない、と思いながら生活していた。


数年経ち、薬で自殺未遂をした私は誰にもそれを咎められることがないことにむなしさを覚え、実家に帰った。

帰ったはいいが、精神科に通う以外なにもできず、彼氏とも離れた私はとてつもなくつまらなかった。

そして結局また風俗で働き始めた。

けっこうな熟女の年齢になっていたので、デリヘルから抜きありエステ嬢へと職種を変えた。しかしやってみるとエステだけではお客が入らなかった。

お店に入ってみると実はヘルスもやっている系列店だったので、すぐヘルス+エステ嬢になった。

ここで面白いことに、そのころには風俗の宣伝も変わってきていて、お店の女の子が写メ日記を書くのが当たり前になっていた。

それが私には面白かった。

客入りが影響することもあったが、文章を書くことやそこになんでもいいから写真を載せることができたのが面白かったのだ。

私は積極的に昔描いた絵を載せていった。

もちろんそれだけではいかんと思ったので、周りに合わせてエッチな写真も載せていたが。


絵が見てもらえる。それだけでもうれしかった。

そのうえ見てくれたお客さんから時々感想をもらうこともあって、俄然やる気が出たのであった。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ