【番外編】敬愛するあなたへ~ミスティーの過去~⑤
「――ミスティー様、こんにちは」
頭を下げていたミスティーに、不意に同年代ぐらいの令嬢の清らかな優しい声が聞こえた。
ミスティーが“こんな自分に話しかける物好きな令嬢がいるんだ”とばかりに顔を上げると――
そこには、アーモンド王国の第一王女であり、ビターの婚約者でもあるミルクがいた。
ミスティーは予想もしなかった人物に一瞬呆けてから、混乱と緊張で慌てて挨拶する。
「こ、こここここんにちは……じゃなくて、あ、アーモンド王国の、だだっ第一王女に拝謁いたひまふっ!」
そう言ってミスティーは頭を深く下げたが、自らの失態にカタカタと震えていた。
(思いっきり噛んだ……終わった……穴があったら入りたい……)
この世の終わりのようにどんよりと沈んだミスティーだったが、その頭上からクスクスと楽しげに笑う声が舞い降りた。
ミスティーが恐る恐る顔を上げると、笑いすぎて涙目になっているミルクの姿があった。
「ご、ごめんなさい……こんな笑うなんて……一生懸命挨拶してくれたのに失礼よね……っ……でも、可笑しくて……本当にごめんなさい。……舌は噛まなかったかしら? 大丈夫?」
ミスティーは女ながらに思った。“何この可愛い生き物”と――
(天使? 笑顔が可愛くて、声まで穏やかで美しい……しまいには私の心配まで……なんて優しい方なの! さすがビター様の婚約者になるお方! 全てが麗しい……)
ミスティーは口をぽっかり開けてぼんやりと暫し見とれた後、心配そうに「ミスティー様?」と呼ぶミルクの声にハッと我に返った。
「だ、大丈夫です! そ、その前に私に様付けなんて恐れ多いです!」
「わたくしは、幼い頃から尊敬するお方に“様”を付けてお呼びしているのですが……ダメだったかしら?」
ミルクはキョトンとした後、そう答えて首を傾げた。
「そ、尊敬!? そんな! 私なんか――」
「なんか? そんな言葉で自分を無下にしてはいけません。ミスティー様は“立派なレディ”で、それは誇れる事です」
最初はおっとりとした雰囲気だったミルクが、毅然とミスティーを見据える様は、まさに王族に相応しい威厳を放っていた。
けれどそれは、決して上から目線で威張っているのではなく、ミスティーを優しく包み込むような暖かい眼差しだった――
「……立派なレディ? 誇れる? 私が?」
「はい。“女だから”と決められた道を行くのではなく、自ら進みたい道を選ぶ……それは、とっても尊敬できる事で……怖い事でもあります。変わった道を行く事で周囲の冷たい視線にさらされて、時に挫けそうになるかもしれません……」
そう言ってミルクは、ミスティーの苦しみをまるで自分の苦しみのように辛そうな顔をした。その顔を見て、ミスティーは泣きそうになった――
(こんなに優しく接してくれる人は、家族以外いないと思ってた……)
ミスティーには同年代の友人がひとりもおらず、言わば茶会はミスティーにとって枯れ果てた大地にひとりで佇むようなものだった。
唯一の癒しで、潤いを与えくれた存在を眺める事を封印している今、茶会にミスティーの救いは何もなかった――
ミスティーが思いがけぬ優しさに包まれ、泣きそうになるのを堪えていると――
「……だから、わたくしにもミスティー様を守らせてくださいね」
(…………え? 今、守るって言った? 兵士達の最も守るべき殿下が私を?)
唖然としてすっかり涙も引っ込んだミスティーの横で、おっとりと優しく微笑んでいたミルクが再び口を開く――
「だって、わたくし人間バリアに最適ですから」
「っ……に、人間バリア……」
ミスティーはミルクの言葉選びに思わず吹き出し、何とか笑いを堪えたが、肩や声が震える様は笑いを隠し通せるはずもなかった。
「ふふっ……遠慮なく笑って下さっていいのに。わたくし、誰かとふたりでいるのを邪魔された事ってないんです」
王族に挨拶をしたがる者が大勢いるのも事実だが、王族がふたりだけで歓談している所に割って入る行為は無礼とされていた。
だから挨拶は決まって家単位で集まって声を掛け、それはつまり“ひとりじゃないから”と挨拶の列が出来ていた訳だ。
(貴族達の心理を逆に利用して近付けさせないなんて……)
「だから、ミスティー様はわたくしをお好きなだけバリアとして使って下さい。わたくし達、もうお友達でしょう?」
ミルクがそう言って得意気に振る舞い微笑む様は、紛れもなくミスティーのひとつ下の年相応な姿だった。
(……ほんとしっくりくる)
ミスティーはミルクの優しさや、凛とした気高さ、可愛らしさ、美しさ、その全てが“王妃”として民に愛される存在で、ビターの隣に立つに相応しいと感じた。
しかし、それで気分が沈む事はなく、むしろ清々しいと思えた――
(やっぱり私のこの気持ちは――)
ミスティーは自分の気持ちの答えに、晴れ晴れとした微笑みを浮かべてミルクに向き合った。
「……ミルク様。とても有難いお話しですが……その前に! 様呼びだけはどうしてもやめてください。だって……お友達なのでしょう?」
ミスティーが初めて出来た友人に喜びを抑えつつ微笑めば、ミルクは嬉しそうに微笑んだ。
ミルクも王族だからと近付いてくる者はいても、心から信頼できる友人はひとりもおらず、ふたりは出会うべくして出会った友であり、のちに親友となる――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミスティーが城で兵士見習いとして訓練を始めて半月――
ミスティーは充実した日々を送っていた――
兵士達の訓練にビターも時々顔を出して参加する事があるのだが、ビターが兵士達に激励の声を掛けたり、時に談笑したり――
兵士達も“身分関係なく接して下さる”と感激して忠誠を心に誓う――
その後方で、ミスティーも目を輝かせてビターを見ていた。
(今日もビター様は素敵!)
ミスティーがそんな私欲的思考を浮かべているが、決してビターを見れるから充実しているという訳ではない――
訓練で着実に少しずつ成長している満足感や、変わらず支えて助けてくれる姉とキールの存在――
そして、唯一の友人であるミルクの存在がミスティーの充実の糧になっていた――
ミルクもビターの婚約者という事で、度々チョコランタを訪れる機会はあるものの、大半は自国のアーモンド王国にいる。
その為、文通がふたりの交流手段なのだが、ミルクがチョコランタに訪れた際には必ずミスティーに会う時間を作ってくれた。
ミスティーはミルクが主にビターに会う為に来ていて、自分に会うのはついでだと思っているが、実際にはミスティーと話す時間の方が長いぐらいだった(※番外編のビターの追憶で語られた通り、ビターがミルクの事を遠ざけていた時期の為)
そして――
気まずいサンセとは、あの茶会以来近付く事はないが、手合わせ訓練の際は近付かざるを得ない。そんな時でもお互い無言で礼をして戦い始め、無言で礼をして終える――
この時期のサンセは、強すぎず弱すぎずの、あまり目立たない戦い方をしていた。
それでも、サンセの強さを見習い兵士達の中で上の下とすると、ミスティーは中の下ぐらいで、ミスティーがサンセに勝てる事は1度もなかった――
(……私は息切れしてるのに、サンセットさんは手合わせ前と変わらず涼しい顔……なんでも私より遥か先にいる……。私がどんなに頑張っても、また先に進まれて……きっと、一生届かないんだろうな……)
ミスティーは手合わせを終えて去っていくサンセの後ろ姿を見つめ、ぼんやりそう思う。
ミスティーの脳裏に、自分も自覚のなかった恋心をサンセが言い当てた日の事が過ぎった――
(……サンセットさんは、私がビター様を“好き”だと言ったけど……この“好き”はやっぱり違いました……)
もう容易に伝える事が出来ぬサンセの後ろ姿に、ミスティーはそう晴れ晴れした誇らしげな気持ちを心の中で伝える――
(……私はビター様のそばで王妃になりたいわけじゃない――)
ミスティーにそう気付かせてくれたのは、ミルクだった。ミルクが“王妃”に相応しい器の持ち主で、それはミスティーには無いもので、そもそも自分には向いてない――
むしろ、初めからそれを望んでいないと気付く事が出来たのだ。
(私はただ――)
「はっ!」
「うりゃーー!」
ミスティーの思考は、訓練する見習い兵士達の声によって中断された。ミスティーは訓練に集中する為に、自分の頬を手で軽く打って気を引き締め、訓練に戻って行った――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本日の訓練を終えた夕暮れ時――
兵士達がぞろぞろと訓練場を後にしていき、ミスティーもその後に続こうとすると――
「ミスティー。ちょっといいか?」
不意にそう呼び止めたのはキールだった。
「キール様! どうされましたか?」
「これをセルフィーに渡して欲しくて」
キールはそう言って、メモと本をミスティーに手渡した。
「姉様に? “今後のミスティーに役立つヒントがあるだろう”? これは……物語の本?」
「セルフィーに読んでもらいたくて……ほら、最近大半は城で稽古してるだろ? 妹思いのセルフィーの事だから、何もしてやれずにもどかしくしてるだろうと思ってさ」
(※ミスティーが見習い兵士になってからは城で表立って教われる為、キールがランズベリー邸に通う事はなくなった)
(あ……最近は姉様といる時間も随分短くなっちゃってた……)
ふと、ミスティーの脳裏に浮かんだ最近の姉は、儚げに微笑む顔ばかりだった――
(だから、少し元気なさげだったのかもしれない……)
ミスティーはこれまで自分の事で精一杯で、姉の気持ちを考える余裕がなかった事を反省した。
「――あ、でもミスティーに関する事だし、ミスティーが先に読む方が為に――」
「いえ!……私が読むのは、姉様が私に教えてくれた後にします」
ミスティーは、この本を片手に活き活きと教える姉の姿が簡単に想像出来てしまい、思わずクスリと微笑んだ。
「ふっ……その方がセルフィーも喜ぶかもな」
キールもその光景が想像出来たのか、微笑ましく和んだ笑みを浮かべた。
――そんなふたりのやり取りを、遠目からサンセがこっそり窺いニヤリと笑っていた――
当然ながら、ふたりはその事を知る由もなかった――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キールと話を終えたミスティーは、人目のつかない城の裏庭へとやってきた。ミスティーはここで毎日、訓練後も遅くまでイメージトレーニングをしていた。
見張り当番の兵士達以外が城を後にすると、訓練時と打って変わって静寂が訪れ、裏庭にはミスティーが無心に剣を振る音だけが響く――
剣といっても、剣をもちいた舞の練習で使用される真剣のレプリカで、木刀より少し重い。反対しつつもミスティーの為になればと父親がプレゼントした物だ――
ミスティーの訓練も熱が入り、訓練の邪魔にならないようにと髪を結んでいた赤いリボンがだんだん緩んでいった――
「――っ……はぁ……はぁ……」
(未だに偽物の剣でこんなにしんどいままなんて……)
ミスティーが息も絶え絶えに今日はここまでかと動きを止めた時、ちょうど突風が吹き抜け、緩んでいた赤いリボンを攫っていった――
「あ!」
ミスティーが慌ててリボンの飛ばされた方へと視線を移すと、そこにはビターが居て、なんの偶然かビターの足元へとリボンが舞い落ちた。
(え……。ビター様?…………え!?)
ビターはそのリボンを拾い上げ、軽く埃をはたいてミスティーの方へと歩み出した――
(え!? え!? ビター様が私のリボンを持って……かか家宝に……じゃなくて、どどどうしよう……こ、ここ心の準備が出来てな――)
幾度となく避けられたビターがこちらへ向かって来る事実にミスティーは大混乱を起こし、早鐘のように高鳴る鼓動と火照った頬をどうする事も出来ずに立ち尽くす――
「遅くまで頑張ってるんだな」
ビターがそう言ってミスティーにリボンを手渡すと、ミスティーは恐る恐る震える手で受け取った。
(ど、どうしよう……緊張しすぎて声が出てこない。こ、これじゃまたあの頃の二の舞じゃない! っ……ほら! ちゃんと今まで言えなかったお礼を言うのよ! ミスティー!)
ミスティーは自分を鼓舞するように自身を奮い立たせた。
「あ、あああありがとうござ……います……」
ミスティーが何とか必死に声を絞り出して頭を下げ、反応を窺うように恐る恐る顔を上げると、ビターはあの頃より成長したものの、当時と変わらない優しい微笑みを浮かべていた――
そんなビターの微笑みを見たからなのか、ミスティーの脳裏にビターとの出会いからの思い出が過ぎっていく――
「……っ……」
(そっか……そうだったんだ……)
胸を締め付けられるような苦しさや、泣けてきそうな込み上げてくる感情――
それは、サンセに言われて自分の中で考えて一度は否定した“想い”――
ミスティーは深呼吸して気持ちを少し落ち着けてからビターに向き合った――
「お、幼い頃、ビター様が助けてくれた時からずっと……お……」
――お慕いしていました――
ミスティーはその言葉を飲み込んだ。
(王妃になりたいと思わないし、向いてもいない。それでも……間違いなく、ビター様が私の初恋で……“大好き”でした……)
ミスティーのその想いは、親友のミルクからビターを略奪したいという不純な想いは一切なく、ビターを眺められるだけで幸せだ(そばで役立てれば尚良し)という純粋な好意――
ミスティーは言葉を詰まらせたのを変に思われないよう、懸命に微笑みを浮かべながら続きを切り出した。
「っ……恩返しがしたくて……。ビター様のそばで……お役に立ちたいんです!」
ミスティーが必死に伝えた想いに、ビターは目を見開いた――
「……俺の為に……危険な兵士に?」
ビターは自分の所為でミスティーに危険な道を歩ませてしまった申し訳なさに声が少し震えていた。何か事情があってミスティーが兵士に志願したのだろうとは思っていたが、まさか“自分の為”にだとは思っていなかった。
ビターの問いかけにミスティーが黙って頷けば、ビターは盛大なため息と共に項垂れた。
(え!?)
ミスティーがオロオロしていると、ミスティーが口を挟む余地のないビターの独り言ともいえるような呟きが聞こえだした――
「別に恩返しなんて望んでなかったし、仮に恩返しするにも他にいくらでも安全なのあるじゃん……。なんでそんな重要な事俺に黙って……って、俺が勝手に勘違いして避けてたから……。全部俺の所為じゃん……。あーこれ……絶対ミスティーの両親に恨まれてる気がするんだけど……」
そんなビターの様子は、ミスティーが昔初恋した“キラキラした王子”ではなく、サンセ達といる時と同じ“友人といる時のビター”で、それはミスティーがずっと羨ましく思っていたポジション――
まだビターの友人になれたとまではいかなくても、一歩近付けたような気がしたミスティーは、未だにブツブツ何か言っているビターに対してクスクスと笑い出した。
「……ミスティー。マジで笑い事じゃないんだけど?」
ビターは冗談っぽく睨むようにミスティーを見つめた後、諦めたようにため息を吐いた。
「……困った時とか、何かあれば何でも言ってくれていいから。あと……死ぬなよ? ミスティーの命と引き換えに守られても、俺は嬉しくないって事忘れないでくれ」
それはつまり、ミスティーが“いつか王族近衛騎士になれる事を信じている”というビターなりの応援――
(私の身を案じて? っ!……ビター様……)
「……は、はい!」
ミスティーはビターに言われた真意を汲み取り感激に浸っていたが、すぐさま我に返って慌てて返事をした――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから月日は流れ、ミスティーは無事本試験に合格し、サンセから遅れる事2年後に歴代初の女性王族近衛騎士となる――
ミスティーの左手首にはいつもあの日のリボンが家宝――ではなく、お守りとして大切に結ばれている――
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【おまけ会話~あの本の真相~】
※今回作中に出てきた“キールがミスティーに手渡した本”についてのサンセとキールの会話です。
それは、キールがミスティーに本を渡す約ひと月程前のキールの休暇の日――
城の中庭でサンセがキールに手合わせしてもらっていた――
サンセ「……っ……あーやっぱり、まだ“力じゃ”キールに敵わないかー」
キール「……その言い草は“力以外なら”勝てると思ってるみたいだなー?」
キールは怒るわけでもなく、実の弟のように可愛がる弟分の内のひとりであるサンセをガシッと捕まえ、髪の毛をわしゃわしゃと撫でまわして揶揄う――
サ「……頭の良さは自信あるかも?」
キ「うっ……痛いとこ突かれたな。俺も戦術の知識だけは得意なんだけどなー」
ケラケラとふたりで笑い合う――
サンセがキールの腕から逃れ、そばに置いていた鞄から本を取り出す――
サ「……じゃあこの本読んでみたら? 結構為になるよ?“力の差がどうにもならなくても、別の事で活躍して”悪者退治する物語なんだけど――」
わざとらしすぎない程度に少しだけ強調した言葉に、キールはサンセの“思惑通り”にピクッと反応した――
キ「……何て本だ?」
サ「ふふん……気になる? 僕はもう何度も読んだやつだからキールにあげる」
キ「いいのか?」
サ「うん。あ、キールにあげるんだから“他の人に貸そうがあげようが”キールの自由だから」
サンセ渾身のニコニコした人懐っこい笑顔を前に、キールは不審にすら思わなかった――
キ「ありがとう。早速部屋で読んでみるよ」
サンセは笑顔でキールを見送り、キールが去った後、その笑顔はニヤリとしてやったりの笑みに変わったのだった――
※本の内容は、今のミスティーが“変装技術を駆使した情報収集を得意としている”と言われてるのを見れば……お察し下さい。笑
――おまけおしまい――
ミスティー番外編で語りきれてない過去の部分は後々本編で語られるので、ミスティー番外編はひとまずここで一区切りです(大変長くなりすいません!)
次回、いよいよ本編再開!
クロウがメティーに手伝って欲しい事とは!? ついに、メティーが自覚!? メティーの失われた記憶も少し明らかに!?




