第七章 7
先程まで、感受性の高さが故に泣き出してしまった少女は、これまでとは別人のように、僕の目の前でソフトクリームを二つ同時に食べていた。
「その、おなか壊したりしないの?」
「平気平気! 私いつもこれくらい食べちゃうし!」
僕の心配をよそに、栞はバニラ、チョコレート、バニラ、チョコレートと食べ進める。そのスピードはすさまじくて、僕が一本を食べ進めるより、栞が二本を食べ進めるほうが早い。無理やりフードファイトに付き合わされているような気分だ。
「急がなくて全然大丈夫だよ! 私が食べるの早いだけだから!」
そう言われたって、気持ちは焦るばかりである。もとはと言えば、栞の気持ちを落ち着かせるために寄ったソフトクリーム屋。時間が進むほど僕の気持ちだけが揺れ動く。そうこうしているうちに、栞のチョコレートソフトクリームがもうあと一口というところまで来てしまった。僕は思わずそれを凝視してしまう。
「あれ、どうしたの?」
それは栞から見ても、あからさまなものであった。僕は慌てて弁明する。
「いや、ちょっと、栞が食べ進めるのすごく早いなって......」
「ふふ、私には全部お見通しだよ、康平君?」
「え?」
「私があまりにおいしそうにチョコレート食べるから、うらやましくなっちゃったんでしょ?」
「や、ちがうちがう、本当に早いなって思っ」
「素直じゃないな~」
なぜか栞は、僕のことを幼い子供のように言うことを聞き入れてくれない。しかも僕の発言を遮るほどにだ。こいつ、あからさまに調子に乗っている。
「栞、調子に乗っているといつかばちがあたるよ?」
「またまたそんなこと言っちゃって~、ほらチョコレートあげるよ」
「はいはい、遠慮せずにいただきますよ」
そして、差し出された少しのソフトクリームとサクサクのコーンをがぶりと.....するはずだった。
だが、そんなものどこにも存在しない。感じられたのは、歯と歯がかみ合う音、そして目の前の嬉しそうな栞の顔だった。
「ふふ、残念! これは私が食べちゃうよ~」
そうして、あと少しだったチョコレートソフトクリームは栞が食べきってしまった。別に怒ってるわけじゃない。全然怒っていない。そう、本当に全然怒ってない。僕だって、もう高校二年生の十七歳だ。こんなことで怒るわけない。というか、栞が十七歳とは思えない行動をとるからだ。その思いをいかに効率よく栞に伝えられるか。考えた結果出た言葉は、
「......いつか後悔するよ」
だった。それを見た栞は、わざとらしく頬を膨らませた。そして、天罰はすぐに下った。
「あの......トイレが近くにないか探してくれませんか......」
「ん? もしかしてお腹壊したの?」
「あの、その、すみません......」
「ほら、言わんこっちゃない......」
栞は、予想通りお腹を壊して、先程とはまた違う地獄を目の当たりにしていた。でも見放すわけはいかないから、辺りを見渡して一緒にトイレを探してあげる。全く、栞の保護者になったような気分だ。そのうちに見つけたトイレに駆け込んで、何とか事なきを得た。意図こそしていなかったが、保護者になってしまったものだから、少し離れた場所まで移動して季節外れのカイロを買っておいた。
「ほら、これ。効くかわからないけど」
「え、ほんと、ありがとう、気が利きますね......」
「まぁ、そんなでもないよ」
驚きすぎて思わず敬語が飛び出してしまった栞に、少し冷たい反応を取る。わざととかではないけど、訂正する必要もないと思った。少しくらい栞にはお灸を据えたほうがいいだろう。
「あの、恥ずかしいので、見ないでください......」
「いや、言われなくても見ないよ。あと、関元のつぼってとこを意識するといいよ」
「へ?」
「へそから指幅四本下にあるから、そこに」
「そこに貼れば治る?」
「うん」
「なんでそんなこと知ってるの?」
栞がそう聞くのも仕方ないだろう。普通の男子高校生が、全身のツボを知り尽くす凄腕マッサージ師なわけがない。僕はその理由を伝えた。
「......昔、叔父さんに教えてもらって」
栞は、ハッとした顔で僕を見る。
「......そっか。その、今更なんだけどさ、こんな時に旅行に来てもらって、ごめんなさい」
「あぁ......まぁ、いいよ。来るって決めたのは僕なんだし」
「私、空気を読む、ってのが本当に苦手で......コミュニケーションが分からなくなる時があるんです、だから......」
栞は深刻そうにうつむく。
「まぁ、確かに時期は良くないけど、やっぱり来るって言ったのは僕だから、大丈夫だよ、それに......」
✳︎✳︎✳︎
「......というわけなんだ、でもこの時期はやめといたほうがいいでしょ?」
いつものように、食卓のご飯を食べ進めながら、僕は母に問う。
「まぁね......。なんでその子が康平を誘ってきたかはわからないし......」
「うん、それに、なんか母さん、やっぱりちょっと元気ないよ、だから」
「でも」
母さんは、そう言って僕の話を遮った。
「でも?」
「女好きの叔父さんだったら、気にせず旅行行ってたかもね?」
「母さん、そういうのじゃなくて」
「母さんのことは心配しなくていいよ。それに、少し一人になってみたいし」
「......本当に? 辛かったら言ってね?」
「分かったよ。でも恋路を邪魔する趣味はないけどね」
「だーかーらー!」
✳︎✳︎✳︎
「まぁ、とにかく大丈夫だ。せっかくの旅行なんだから楽しもうよ」
「あ、ありがとうございます」
「敬語やめた方がいいって言ったのはそっちでしょ?」
「ふふ、そうだったね、ありがと」
「あとさ、僕も嫌だったら注意するけど、気遣わなくていいよ。空気読めないとか、僕もそうだし」
「ほんと?」
「本当だって」
「うれしい!」
「え」
栞は思わず出た気持ちを、僕に抱きつくことで表現した。僕は想定していなかった事態に、戸惑うことしかできなかった。手をどこに置いたらいいんだろうか、とかそんなことも少し考えていたが、頭の大部分を占めていたのは違うことだった。
それは、僕の目の前で、忙しなく移りゆく栞の感情。突然現れて消えてゆく、真夏の通り雨のようだった。
広島は、雨など降る予感さえさせていなかった。