第二章 2
......は?」
「......へ?」
初対面の女性に対してふさわしくない返答をしてしまった。それに関しては本当に申し訳なかったと思っている。だが、この女性こそ初対面の男に何を聞いているんだろう。彼女自身も、咄嗟に出た自分の無礼とも取れる行為に、慌てふためいていた。一度深呼吸して、彼女は言った。
「す、すみません!突然お聞きしてしまって......」
「いえ、お気になさらず、あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」
僕は電話対応のようによそよそしく伺った。彼女はそれに釣られ、打って変わって丁重に答えた。
「あ、えっと、上村シオリと申します」
「シオリというのはあの本に挟む栞ですか?」
下の名前が気になって、思わず話の腰を折って聞いてしまった。
「はい、そうです」
「なるほど。あの、失礼ですがご年齢は?」
下手な勧誘をするように、再び僕は聞く。
「高校二年生の十七歳です」
「本当ですか、じゃあ同い年ですね。あ、すみません申し遅れました、佐々木康平と申します」
セールスマンが名刺を差し出すかのように、僕はまた堅苦しい挨拶をした。
「ご丁寧にありがとうございます」
今思えば、彼女の返答は彼女らしくない堅苦しすぎるものであって、それは僕に対する懐疑を示すものだったのかもしれない。
彼女との初めての会話は、こんなよそよそしい他人行儀な始まり方だった。互いに距離を推し測って、自分の領域を確認しつつ、相手からは目を逸らさずにじりじりと近づいていく。その過程はまるでサバンナの野生動物のようであった。
「すみません、ちょっと話し相手が欲しかったんです。同じくらいの年齢の人がいたので、それで話しかけたんです。変な理由ですみません」
「そうでしたか。なんだか時間を持て余していたので私にも好都合です」
「それは良かった、えっと、なんとお呼びすれば良いですか?」
「栞って呼んでください。というか同じ年ならお互い、敬語なんて取っ払って話しませんか?」
「そうですね。あっ、そうだね」
「ふふ、慣れてないとそうなっちゃうよね」
今時そんな高貴な笑い方する人いるなんて珍しいと思った。それと同時に先ほどあれほどよそよそしかった彼女が、これほどまで心の距離を詰めてくるとは思いもしなかった。その移り変わりは、まるで彼女が別人に入れ替わってしまったようだった。
「うん、普段から敬語はよく使うから、なんか間違っちゃいそうだな」
「間違ってもいいけど、この方が距離が近く感じられると思わない?」
「そ、そうだね」
妙に人に慣れているようなその子に半歩引きつつ、話を続けた。
話を聞くと、彼女は僕と同じ高校二年生。通っている高校は僕の高校とは違う地元でも有名な私立の進学校。その中でも頭が良くて、学年でも五位には必ず入ると自慢していた。叔父とは遠い親戚らしく、彼女が小さい頃一度会った程度で詳しくは覚えていないらしい。現在両親は海外にいるそうで、今日は彼女一人で葬式に来たらしい。家も一人暮らしだそう。見た目に反して意外としっかり者のようだ。
そして話しているうちにある話題で盛り上がった。
「私結構音楽とか好きでさ、栞って曲が好きで、名前と一緒で気に入っているんだ」
それは叔父が教えてくれた曲の一つで、僕の思い出の曲でもあった。小さい頃から本が好きで、一度読んでしまうと、親に止められるまで読んでしまう癖があった。止められる時はそのページに栞を挟まれその本を取り上げられていたから、栞は憎むべき対象だったのだが、叔父のおかげで、栞を好きになれたことがあった。
「へー、結構思い出の曲なんだね。趣味が一緒でなんか嬉しいな」
初対面の癖に差し出がましい余計な話をしすぎたと思ったけど、彼女は純粋に喜んでくれた。根っこから彼女は汚れを知らないのだろう。それは良いことだ。清濁併せ呑むという言葉があるが、濁った世界なんて知らなくても生きていける。むしろそんな世界があるほうがおかしいんだ。彼女のことを世間知らずと揶揄する方が間違ってる。それに彼女は容姿端麗で物腰も低い。少し隙のある感じも相まってきっと友達にも男にも困らないタイプだろう。いわゆる高嶺の花だろう。
僕はそういうことには特に興味はないが、音楽の趣味が合う同世代の人がいるのは嬉しい。これも叔父さんのくれた最後のプレゼントかもしれない。もしそうなら、なんともいじらしく、叔父らしい。栞との話はそれなりに盛り上がって時間も経ち、悲しみを少しだけ忘れられた。
「ねぇ、康平くん、連絡先交換しようよ」
「え、いいけど」
「ほら、康平くん、ふるふるしよ。やり方わかる?」
少々馬鹿にした言い方をされたので、必死に方法を探したが、結局よく分からなかったので栞に教えてもらった。なんというか情けない。でも、今日一日彼女のおかげで色々助かったから幸運だったと思う。
家へ帰ってすぐ彼女から連絡が来た。内容は「よろしくね!」の一言だけだったが、その返信を打ち込んでいる途中、一つ思い出した。
死後の世界。果たしてそんなもの存在するのだろうか。存在する証拠もなければ存在しない証拠もない。証明のしようがない。あるとすれば、それは死ぬ時にわかるんだろう。だが、今はない気がする。気だけどこれは確信に近いものである。多分死後の世界は昔の人々が作り上げた空想のもので、それを信じて生きてきた名残だろう。
そう考えたが、わざわざ話題を変えてこれを伝える必要はない。またあの話題になった時でも言おう。
そしてその話題には触れず、少し会話をしその日は寝た。