第6話 不審者
結局あの背中でいつのまにか眠ってしまって、まだ深くは考えてないけれど。
なにかあったのかなあ。
その日の晩。
満月がきらきらと銀粉を撒き散らしているかのような綺麗な明るい夜。
お昼寝して眠くない私は、むくっと寝台から身を起こした。
元の世界の柔らかなベットと比べると断然こっちのほうは劣るが、もう慣れてしまった。
天蓋付きの寝台で、これが運ばれてきたときはびっくりしたものだ。
全体的にピンク色である。父様の趣味だ。
父様は見た目はごついが、可愛いもの好きだったりする。娘が拒否しているにも関わらず、聞く耳を持たなかった。
この部屋は3歳児が使うには広すぎると思う。体が小さいせいもあるのだろう。なんだか寂しい。
―――この世界で目覚めてもう3年。前の世界の記憶が薄れていく中で、
ろうそくの明かりはもうなく、月の光だけが視界を照らしている。
あとちょっとでもすれば、この体はまた横になりたいと訴えるだろう。
じゃあ、少し暇つぶしでもしようと、ぴょん、と寝台から降り、そのまま窓辺へとてとてと歩き出した。
もしかしたら、あの花が咲いているかもしれない。
今日の朝にミリが花の世話をしているのを見て、沢山の花の種類を教えてもらった。
その中に、ひとつだけ。
夜に咲くアムカという花の蕾があった。満月になると、綺麗な白い花を咲かせるらしい。
窓の近くにあった椅子を窓のすぐ下まで引きずり、うんしょ、と椅子の上に上る。
ここから外を見ると、ミリが毎日欠かさず手入れしている花たちが外壁までいっぱいに見えるのだ。
2/3は自生しているものなんですよ、とミリは笑って言っていたが、それにしてもすごいことだ。
足元に気をつけて足場を確認すると、どきどきしながら顔を上げた。
月に照らされたそれぞれの個性を湛えた綺麗な花たちは、小さな風にリードされ、優雅に踊っていた。
きれい…。
ほうっとそれを眺めていたが、当初の目的を思い出す。
白い花…!
たしか白い花は手前の花壇にあったはずだ。
ぐっと身を乗り出して下のほうに目を移すと、そこには普通の花が咲き乱れているだけだ。いや、普通っていっても、綺麗だけどさ。
あれ、場所間違えた?と周辺を見てみても、やっぱり見つからない。
えええ、なんで…。
ふ、と突然目の前に、白い花が現れた。
甘い香りがする。
白い花弁はゆらゆらと風に揺れていて、月の光に照らされて儚げに咲いていた。
なぜ目の前にあるのか。
花を探すために下に向けていた顔を、ゆっくりと上に上げる。
目の前には、全身黒い男。
花は手折られていた。目の前にいる黒い男が手折ったらしい。
白い肌に肩までの黒い髪。全身真っ黒の紳士が着るような上品な服を着こなし、柔らかな笑みを浮かべて私に花を差し出している。
すっと通った鼻筋に、涼しげな目元に長い睫毛。薄らと色ずく唇。金色に輝く瞳は、見る人をどこかへ誘うような、男をミステリアスな雰囲気にしている。
「これが、欲しかったんだろう?」
低い男の声を聞いて、びくっと体が震える。
どうしてこんなところに男がいるんだろう。この屋敷の警備は万全なはずだ。最近は、もっと厳重になったような気もする。それにもかかわらず、この男はここにやってきたというのか。
「これはいらなかったか?」
目の前の少女が怯えたのが分かったのだろう。男は心なしか、しゅん、と肩を落としたような気がする。なんだこいつ。
「…なんでつんでしまったの?」
せっかく咲いていたのに。男はさも不思議そうに答えた。
「欲しかったのだろう?」
「つんでしまったら、すぐにかれちゃうわ」
自然のままが一番美しいんじゃないか。
「そうなのか。すまなかった」
「…」
会話が途切れた。どうみても落ち込んでいますオーラばりばりなこの男は、どこのどいつなのか。知り合いにこんなやつはいたか。いや、否だ。私が会ったことがある人なんかは限られいて、それぐらいは記憶力の悪い私でも覚えている。町の人、とも考えられるが、男のように良い身なりをしていることはないだろう。
ということは、侵入者?
とりあえず、そこからはじめよう。
「あなたはどこのどなた?」
ちらちらと私を窺っていた男は、ぱっと表情を明るくさせると、溶けるような笑みを浮かべて口を開いた。
「俺はあなたをここへ導いた。名を与えくれると嬉しい」
その言葉には、過多な愛情と尊敬が含まれていた。
…私にどうしろっていうんだ。