第9話 灯台元暗し
「ねえ、ちょっと…」
「あー」
どうすればいいんだよ!
もうそろそろ朝食の時間だ。とりあえず、こいつをどうしようか。
「うー、とりあえず父様に許可とらないとな…。よし、執務室に行こう。付いて来て!」
「うむ」
え、クロってしゃべれたのか。ますます猫らしくない…猫じゃないからいいけどさ。
扉を開けて、クロを先に出してやる。少々重い扉を閉めると、私はクロを伴って廊下を歩き出した。
我が家の廊下には歴代の当主の肖像画が飾ってある。中には女性も何人かいたりして、男尊女卑が横行しているこの世界では珍しいことだ。何処の世界も変わらないってことだな。そんなお偉い方々が私をじっと見てる気がして、いつもこの廊下を歩く時はびくびくしている。
「別に廊下に掛けなくてもいいじゃないか…」
ぶつぶつ独り言をしている私に対して、クロが不思議そうに首を捻っているが、あんたもアレを体験してみろ!夜にトイレなんか行けなくなるから!
からからとカートを押す音が聞こえてきた。
メイドさんだ。うーんとこの人は…キリルさんだったかな。今日の私の掃除係はキリルらしい。
「おはようございます、おじょう、さ、ま…」
「おはよう?」
礼を終えて顔を上げたキリルの顔が驚愕に彩られていく。こっち見てるよね?何かおかしいところでもあったか…。
身のあちこちを点検してみたけれども、おかしいところは何処にも見当たらない。キリルは何に驚いているのか。キリルは床にへたりこんでしまっていた。
「どうしたの?きぶんわるいの?」
幼児の話し方で聞く。
「あ…」
キリルは、私の顔をまじまじと見てポッカーンと口を開いた。え、顔ですか?なにかついてたんだろうか。一応、顔洗ったんだけどなあ。じゃあ何か、顔か!顔なのか!ごめんなさい兄様みたいに綺麗じゃなくて!
「あら、何していらっしゃるの?」
「みりー」
ととと、と新しく現れた私の専属メイドに近づく。
ミリは座り込んでいるキリルに近寄っていく。大丈夫だろうか。
「みり、キリルはどうしちゃったんだろう?きぶんがわるいのかな。ねえ、おいしゃさまのとこいく?」
「そうですね、ちょっとお待ちください。ねえキリル?どうしちゃったのよ」
「お、お嬢様…お嬢様の眼…」
「眼?」
え、眼?眼やにですか?それとも徹夜だから充血してるのか?
ミリが私の眼を見る。そして、キリルと同じようにポカンと口を開いて固まった。
「な…お嬢様、眼が…」
ああ、だからなんだっていうのさ!
「みり?」
呆然としていたミリが、私の声にハッと正気づく。
「ちょっと、キリル立ってちょうだい。急いでお嬢様をお部屋に連れていって。私は旦那様と奥様をお呼びしてくるわ。いい?誰にも見られないようによ?」
「あ、わ、分かったわ!」
え、父様と母様!?え、ちょ、私何かしでかした!?
「お嬢様、お部屋でじっとしててくださいまし」
そういうと、ミリは執務室の方へと走っていった。ミリが廊下を走るなんて珍しい。そういうとこはものすごく厳しいのに。
「?とりあえず、部屋に戻ればいいの?」
「はい、急ぎましょう」
たかたかと行きよりは速く歩く。
私の部屋へは掃除係かミリ以外ほとんど近づかないので、他の人とは会うことなく部屋に戻れた。
「多分、すぐに人が来ると思います。私は扉の向こうに控えていますので、何かありましたらお伝えください」
「う、うん」
ぱたん、と扉が閉められる。
どうしよう、父様や母様に怒られるのだろうか。一度も怒られたことないから想像できない。あれ、そういえば…。
「クロ?」
クロはどこ行ったんだろうか。廊下に置いてけぼりになってたりして。
「ここだぞ?」
声が足元から聞こえた。
金色のつぶらな瞳が陽光に照らされてきらきらと輝いている。
「どこにいたの?全然気づかなかった」
「うまくルツの足元に隠れていた。まだ許可をとっていないんだろう?とりあえず隠れておいたほうがいいかと思ってな」
「ふーん」
疲れたので、ぽふ、とベッドの上に座る。クロもそこで丸くなった。
パタパタと複数の足音がする。父様と母様が来たようだ。
あ、鏡で何がいけなかったのか見るの忘れてた!
バターン、と勢いよく扉を開けたのが父様。うん、いつも動作がなにかと大きい人だ。
茶色い短髪を揺らして、勢いよく私のほうへ向かって来る。
「ルツ!眼をよく見せてみろ」
いつも顔がだらけている人の真剣な顔。え、そんなに深刻ですか私の眼は!
横から母様も割って入ってきた。
二人とも私の眼を見た瞬間、眉を下げて悲壮な表情になる。
「まあ、これが…」
「ああ…」
「ねえ、ととさま、かかさま、いったいなんなの?」
もう教えてくれたったいいだろう。
「ルツは見てないのか?おい、鏡はないか」
「こちらに」
ミリが父様に小さな手鏡を渡す。私が困惑しているのを見て、まだ分かっていないと認識したんだろう。
「自分の眼をよく見るんだ」
渡された手鏡に映った自分の顔を見る。
見た瞬間、違和感を感じた。どこか自分の顔と違うような。眼…?
金色の瞳。
母様と同じ深いブルーの瞳がはまっているはずなのに、クロと同じような金色の瞳がそこにはあった。
「きんいろ…?」
あれ、金色っていう色素は人間にはないんじゃなかったっけ…?
どうだったんだっけ。なかったような気がする。ずっと前に読んでた小説で、金色の瞳を持った主人公は…人外扱いされてたような…?
「今日はここから出るな。ミリ、キリル!このことは他言無用だ」
「「承知しております」」
「よし。セシル、行こう」
「ええ、そうね…。ルツ、後でシュベルツを遣すわ。話をよく聞きなさい。分かったわね?」
「はい…」
「行こう。これからの事を決めなければ」
父様が母様の手をとって扉から出ていく。
「それでは私達もこれで。ミリめは扉の向こうにいますので、なにかございましたらお呼びください。キリル、行くわよ」
「ええ」
二人のメイドも、退室した。
残されたのは、自分の変色した眼を呆然と見る幼い少女と、心配そうに少女を見る黒い子猫だけだった。