episode.2 雷鳴の響く街 ─前編─
夏の過ぎ去り、秋の気配が迫ってくる
最近は随分気温も落ちて快適になった
それでも毛皮をまとってる身としてはまだまだ暑いので
公園の木陰で日光を凌いでいる。
通りの方に目をやってみると
今日も大勢の人間がこの呉屋町のオフィス街を足早に通り過ぎていく
スーツを着て忙しなく歩いていく人間達は
毛皮を着ている兎よりも暑いのじゃないかとさえ思う。
時折何故か分からないが人間の姿になることがあるが
ああ言う光景には混じりたくないとも思ってしまう。
しかしこうやって眺めていると
同じような服装でも色々な人間がいるのだと感心する
眠たそうに目をこすりながら歩く人
朝食を摂りながら歩く人
大慌てで走っていく人
それぞれに色々事情があるのだろうと思うと
眺めているのも楽しくなってくる。
中には私みたいに特別な事情を抱えた人も混じっているのだろうか
見た目だけなら私も普通の兎である
だが、魔力が使えたり人間に変わったり
他の兎には到底まね出来ないような特技が備わっている
ここの人間にもそういう常識外れがいるのだろうか?
そんなことを考えながら通り行く人々を眺めていると
どうしても人恋しくなってしまう
元々が飼い兎として家族から沢山の愛情を貰っていただけに
ふと思い出したかのように寂しさが込み上げてきてしまう。
この時間は通り過ぎる誰もが忙しなく
公園にいる野良兎の相手なんてしてくれるような人間はいない
仕方なく通りから公園の方へと目を向ける
公園では他の野良兎達が思い思いに朝の時間を過ごしていた。
私は鼻歌交じりに公園をぴょこぴょこ跳ねている
灰色の毛をした一匹の兎の方へと向かう。
「ふんふふ~ん♪」
「おはよう。何だか楽しそうね、何かあったの?」
「あ、おはよ~。こう気持ちいい気温になってくると
何だか歌いたくなってきたりしない?」
特に他愛もない会話が始まる
当然ながらこれらの会話はウサギ語で行われており
公園を通る人間がいたとしても
兎が二匹で寄り添って鼻を鳴らしているだけにしか聞こえなかったであろう。
「ふ~ん、そういうものなんだ
歌なんて興味もなかったしさっぱり分からないわ。」
「私もここに来る人間が聞いてるのを近くで聞いて
それを真似してるだけだからよく分からないけど、
何となく楽しいじゃない?」
人間にも色々といたけれど
ここの兎達も話してみれば意外と個性的である。
まぁ、基本的に誰もが好き勝手に暮らしているため
お互いに関わり合うことはあまりないのだけれど。
それから昼になった
朝から人恋しい気分だったので
今日は人通りの多い食堂街に行ってみる。
ここにもすっかり慣れたものだ
とは言えウサギ公園からここまで出てくる兎は私しかいないので
当然のような顔をして食堂街を歩いていると
好奇の目で見られるのだけれど
いちいち気にしていてもきりがないので
それらは黙殺するのだけれども。
適当に食堂街を歩き回る
それぞれの店の料理人たちが腕を振るって作った料理の
美味しそうな匂いが一面に広がっている。
行き交う人々の喧騒は
集中して聞き耳を立てないと内容が理解できないぐらい
様々な話題が交錯している。
やっぱりこの街が好きだ
兎であるが故に混じることは出来なくても
何気ない人々の営みが好きだ
だから、こんな日々が続いてくれるといいと思う。
オフィス街の一角にあるこじんまりとしたビル
そこはとある化学メーカーの所有物であった
事務用のオフィスから研究室まで
一通りの設備が整っており
決して大きなメーカーの所有物ではないにせよ
多くの人員が働いていた。
そんなビルの一室で鳴上透は悩んでいた。
彼は大学院を出てこの会社に入り
やったこともなかった営業部での仕事を経て
念願だった研究部門へと異動し
そこから成果を挙げて、ついには少人数ながらも
研究チームのトップにまで上り詰めた。
しかしだった
チームとしての出だしはよかったものの
最近はこれと言った成果も挙がっておらず
ついにはチームの解体まで上からちらつかされるようになってしまった。
このままではまずい
せっかくここまで来たと言うのに
彼は今日既に何度も目を通した
研究結果のレポートを眺める。
(くそ、一体何がいけないんだ
使っている物質か? 実験の手順か?
ダメだ、何度見ても妙案が浮かばない。)
焦りだけが募ってくる
しかし、焦れば焦るほど考えは纏まらなくなっていく
一度冷静さを取り戻すために
研究室の窓を開けて外の空気を吸ってみる。
窓を開けて外に目を向けると
すっかり暗くなった空に真円の月が浮かんでいた。
まだ夕方ぐらいだと思っていたために
目に飛び込んできた夜空に少し途惑う
考え事をしているうちに想像以上に時間が経っていたらしい。
(仕方ない。今日のところは帰るか。)
無駄に研究室に長居をしても仕方がない
諦めて帰ろうと荷物を手に取り
さっき開けた窓を閉めるために手を伸ばす。
(ん、ちょっと待てよ・・・・・・。)
窓の外に浮かぶ月が目に入ると
何だか頭が冴え渡る気がした。
(そうか、そう言うことか。それなら!)
降って沸いたかのように考えが浮かぶ
これなら何とかなるかもしれない。
透は期待を胸に、足早に研究室を後にした。
ズガァァァァァンッ!!
突如として夜空を切り裂くような轟音が
オフィス街に連なるビルの谷間にこだました。
「何だ何だ!?」
「何があった? 聞いたこともない音がしたぞ。」
「うぅ、耳がきんきんする・・・・・・。」
公園の巣穴に潜り込んでいた兎達が一斉に顔を出す
基本的に彼らは音に敏感で、そして警戒心が強い。
「どっちから音がした?」
「そもそもあの音は何なんだ!?」
「きっとよくないことの前触れだよぉ、逃げなきゃ。」
誰もが掴みきれない状況に騒ぎ出す
一瞬にして公園内は大混乱だ
とは言えここで騒いでるだけでは何も解決しない
誰かが動かないといけないが
警戒心が強い彼らは誰も自分から率先して
正体不明のものを確認しに行こうとはしない。
「はいっ、とりあえず皆落ち着いて。」
このまま放っておいても埒が明かないので
私は全員に聞こえるように声を張り上げる。
「今のが何だったのか皆気になるでしょうから、私が見に行くわ。
その間静かに待っていて。」
途端に野良兎達は不信そうな目でこちらを見る。
「何だこいつは!?」
「人間がウサギ語を喋ってるぞ。」
「皆気を付けろ、怪しい奴がいるぞ!」
兎達の様子に自分の失敗に気付く
緊急事態だったので声を上げてしまったが
数十分ほど前にまた人間の姿に変わってしまっていたのだった。
「ちょ、ちょっと待って、怪しいものじゃないから。」
今度は野良兎達ではなく私が慌てる番になってしまった。
「人間の姿はしてるけど、色々あってウサギ語が分かるのよ。
決してあなた達に害するような人間じゃないから・・・・・・。」
しどろもどろになりながらウサギ語で必死に喋りかける
ただ、ウサギ語は声帯が人間より発達してない兎が使うのに適しているように
かなり単純かつ独特の発音となっている
おかげで人間の声帯だと逆に喋りにくかったりするので
自分が慌てているのと相まって非常に聞き取りにくい音になってしまう。
「え? 何だって?」
「何を言ってるんだこいつは?」
完全に口の中でもごもごと言い訳がましく喋ってるようになってしまい
兎達に全然と言っていいほど伝わらない。
「とにかく。私のことよりさっきの大きな音よ。」
強引に話題をすり替える。
「何があったかは分からないけど、
とりあえず身軽な私が皆の代わりに見に行くわ。
それでいい?」
胡散臭げな眼差しでこちらを見る兎達
しかし、何があったかは気になるけど
自分達で見に行く勇気のない彼らにとって
その申し出は十分魅力的だったらしい。
「わ、分かった。とりあえず見に行ってくれ。」
「たしかに誰かが行ってくれるって言うなら助かるけど・・・・・・。」
「そうね。見に行ってくれるって言うならお願いしちゃいましょ。」
私は兎達に頷くと
コートを翻してオフィス街の方へと駆けて行った。
夜のオフィス街を駆け回る
しかし、音のした方向は大まかにしか分からず
他に何の情報もないから発生源の見当も付かない
それでも迷路のような街並を走り続ける。
どれぐらいの時間走っただろうか
何の手がかりも得られない焦りから
随分長いこと走ったような気がするけど。
月明かりに反射する何かが目に映った
足を止めてそちらに目をやる
道路の片隅に、大量のガラス片がばら撒かれていた
そしてそこから視点を上へ向けると
ビルの数階上の一角だけ窓が全て割れている
さらに、鋭敏な嗅覚でかろうじて感知できる程度の
何かが焦げたような臭い・・・・・・。
あの大きな音と関係があるのだろうか?
あるとしたらこの惨状を見る限り
考えられるのは何かが爆発したぐらいだろうか
それにしては臭いの割にビルなどが燃えている様子もないのが気にかかる。
考えているだけでは先に進まない
確認のためにも私の足は自然とビルの入り口へと向かう。
自動ドアが開き
正面に見えるのは既に誰もいなくなった受付のカウンター
軽く聞き耳を立てるが分かる範囲に人の気配はない
とりあえずはあの窓ガラスが割れていた辺りを目指してみる。
非常階段を何フロア分か上り
電気が付きっ放しだが人気のない廊下を歩く
たどり着いた部屋は大勢の人間が働いているであろう
大量のデスクが並んだオフィスだった。
ここも電気は付いているが人の気配はない
消し忘れということもないだろうし
それに、どう見ても奥の壁の一部が真っ黒に焦げ付いているのは
不自然としか言いようがない。
恐る恐る近付いてみる
焦げた壁に一番近いデスクの側に
黒焦げになった何かが落ちているのが目に留まる。
(これって、一体ここで何があったの?)
思わず自問自答する
私の目にはそれが人間だったものとしか映らなかったからだ
何故、黒焦げの死体がオフィスに落ちているのか
ここで働いていた人であろうとは推測できる
どうしてこんな姿になってしまったのかは
この状況だけでは分からない
だが、ここで何かが起きたのだけは確かだ。
ふと、耳が笑い声を捉える
上のフロアから聞こえてくるようだ
無人だと思っていたビルにも
誰か残っていたらしい。
何かを知っているならありがたい
もしこれをやった張本人なら
その時は、答えは考えるまでもなかった。
一つの決意を胸に私は上へと向かった。




