episode.1 首刈兎が跳ねる夜 ─後編─
カフェモカが人影を処理していたその頃・・・・・・。
ジャケットの男、山崎はかつての自分の上司だった男を引き摺り
何とか近くのマンションの前庭まで逃げていた。
あの赤い奴が恐ろしかったわけではない
あれが何かは知らないが、自分なら何とか出来るという自信はあった
しかし、自分の目的のためには関わらない方がいいと判断した。
「部長、大丈夫ですか?」
「ぜぇ、ぜぇ、お前は山崎? 何でここに?」
部長と呼ばれた男は俺の顔を見て驚きを見せる。
「それにあの赤いのは何なんだ、一体これはどうなっている!?」
どうやらかなり混乱しているらしい。
職場では威張り散らしている割に
たかだか見慣れないものが歩いてるのを見ただけで何と情けない。
「俺も知りませんけど、とりあえず追って来ないようだからいいじゃないですか?
そんなことよりも俺ですよ、俺を見て下さい。」
「あぁそうだ、山崎。何でお前がこんな場所にいるんだ?」
少しは落ち着いたのか頭を振って
それから俺の方を見る。
「って、何だそれは? 何のつもりだお前は!?」
見た途端に騒ぎ出す部長。
「さっきから質問ばっかり五月蝿いですね。
これが何かって見たら分かるじゃないですか?」
「何だ? そんな物で。お前の用は何な・・・・・・。」
「夜なのにそんなに騒いで、誰かが来たらどうするんですか?
まったく。本当はもっと俺の力を見せてやろうと思って来たのに
これじゃあ全然すっきりしませんよ。」
額から血を流し倒れた部長を見下ろしつつ俺は呟く。
かつん
と、そこに足音が響く。
「ほーら、あんたが騒ぐから誰か来たじゃないですか。」
振り向くとそこには
頭に兎の耳を付けた、赤いコートの少女が立っていた。
(また変なのが来たな
余計なことになりそうだし、さっさと口を封じた方がいいか)
私は襲われていた男たちが逃げた方向へ向かっていた
まだそんなに遠くへは行っていないはずだが
すると、頭の上の大きな耳が男性のものと思しき
怒鳴り声を捉える
何かあったのかも知れない
私は急いで声の聞こえた方へ走り出した。
近くのマンションの前庭に二人はいた
しかし、どうにも様子が変だ
中年の男はうつ伏せに倒れたまま動かないし
若い男の方は中年の男のいる方向へ両手を突き出している。
何をやっているのだろう? とりあえず聞いてみることにする
「あなた、何をしてるんですか?」
「あんたには関係ねぇ、とっとと帰りな。」
男は面倒くさそうに答える。
外灯に照らされて中年の男から血が流れているのが目に映る
鼻を少し動かしてみると、風に乗って血の臭いが感じられる。
「血の臭い。あなた、その人に何かしましたか?」
「あーあ、面倒くせぇな、そのままどっか行ってくれればよかったんだが。」
そう言いながら男はこちらに両手を向ける
そして次の瞬間
その手にはくの字に曲がった何かを握っている
こちらに向けている先端は穴の開いた筒のような形で
逆側の先端を片手で握り
もう片手は折れ曲がってる場所にある引き金に手をかけている
人間になった時の知識にあの道具のことは入っている
たしか、銃と言う武器の一種だったはずだ。
銃口が私の方を向いているのを見て
瞬時に身をかがめる
音もなく発射された弾丸が
目で追うのが精一杯の速度で風を切りながら耳の間を通り抜ける。
「それ、今どこから取り出しました?」
思わず聞いていた。
手を伸ばした途端、瞬時に現れたそれは
私が魔力でナイフを作った時と同じように
何もない場所から作られたかのように見えた。
「さぁてな、教えてやる義理もねぇ。」
「じゃあ、魔力って知ってます?」
次の質問をぶつけると男は表情を変えた。
「はっはっは、そこまで知ってんのかよ。
だったら教えてやるよ
こいつは俺の『己威象徴』だ。」
言いながら銃をくるりと回転させこちらに見せ付ける。
「で、お前も魔力を知ってるってことは何か持ってんだろ?
せっかくだから何て言うんか聞かせてくれよ。」
・・・・・・自分の魔力の名前
そんなこと考えたこともなかった
少しだけ考え
とっさに頭に思い浮かんだ単語を口に出す
「『首刈兎』よ。」
反射的に口をついた言葉だった
だが、それは自分の持つ魔力に最もふさわしい名前に感じた。
「ふーん、まぁいいや
魔力を使える奴を見るのは初めてだが
邪魔なことには変わりねぇし。」
そう言いながら男は私に再び狙いをつけて。
「俺の力が強いって証明するためにも
とっとと死んでくれや!」
もう一発銃弾が放たれる
私はかがんだまま足に力を入れて
無理矢理横方向へ飛び跳ねる。
飛んで来た弾丸が脇腹を貫く
致命的な部位に当たったわけではない
だが貫かれた脇腹から血が流れ痛みが走る。
このまま一方的に撃たれているだけでは埒が明かない
私は魔力を一気に集中させる
今までナイフを作るぐらいにしか使ってなかった魔力だが
名前を付けた時から変化しているのを感じ取っていた。
より幅広く、より適した形に
敵を斬ると言う目的のためならまだまだ可能性がある
だからこそ私はそれに応えるために魔力を操作する。
魔力を集中させた両の手を腰の横へ持って行く
左手を後ろに引くと緩やかに弧を描いた黒い棒状の物が生まれる
右手を前に出すと黒い紐が巻きついた棒状の物が生まれる
そしてそれらの間に銀色の兎の形を模した鍔が生まれる。
それは漆黒の鞘と柄を持つ一振りの刀だった。
「ヴォーパルアークブレード!」
叫ぶと共に鍔から鞘の中に向けて鋭利な刃が形成される。
それと同時に男の方へと駆け出し
刃を鞘から抜き放つ。
チンッ
まばたきをするほどの一瞬のうちに
抜き放たれた刃は男のジャケットを切り裂き
そして再び鞘の中へと納まり
鍔鳴りの音を立てた。
「あぁそうです。聞き忘れてました。」
私は口を開く。
「最近この辺りで話題になってる変死体の話、
あなたがやったものかしら?」
男は一瞬考えた後。
「変死体? あぁ、変死体か
魔力で作られた弾丸は勝手に消えるから
物証も残らず変死体扱いされてたんだっけ?」
笑いながらさらに続ける。
「警察も無能よなぁ
魔力なんて知るわけもないんだから当然と言えば当然だが
おかげで俺の力を認めなかった馬鹿どもはやりたい放題だった!」
なるほど、銃そのものも弾丸も魔力でできていて
どちらも出し入れが自由なら普通の方法では
凶器の特定なんて出来るわけもない。
「とりあえずそれを聞けて安心したわ。」
「安心? 何がだ?」
「あなたさえ斬ればこれ以上被害が出ないって分かっただけで十分
遠慮する必要がなくなったわ。」
「はっ、刀なんかで銃に勝てるとでも思ってるのか?
俺の力の凄さを見せてやるよ!」
男は素早く私に照準を付けて発砲
何とか横に転がるようにして回避する
そのまま体勢を立て直して後一歩
間合いを詰めようと足を踏み出そうとし
既に相手がこちらに銃を向けていることに気付く
思ったよりも狙いを付けるのが早い。
私は急遽方向を変更し
後ろの生垣へと飛び込む
その一瞬後に、私のいた場所を弾丸が通り過ぎた。
(無駄にすばしっこい奴め)
山崎は舌打ちをしてウサギ女が飛び込んだ生垣の方へ目を向ける
向こう側が見通せないぐらいには生い茂っている
どうやら完全に相手の姿を見失ってしまったようだ
だが、たかが見失ってしまっただけである。
自分には『己威象徴』と言う圧倒的な力がある。
この力があれば自分を散々下に見てきた馬鹿な同僚も
自分の力を評価しなかった無能な上司も
自分がいかに優れているか分からせた上で始末することが出来た
それは、余りにもあっけなさすぎるとすら思えるほどだった。
だから、他に魔力を持っている奴がいようとも
自分の方が優れているということに何の疑いもなかった。
相手は少々すばしっこくて面倒ではあるが
どうせすぐに追い詰めることができる
自分が優位なことには何の変わりもない。
どうやって隠れた相手を炙り出すか
簡単なことである。
銃口を生垣の端へと向けると
無造作に引き金を引く
そして反対側の端の方へ数センチだけ銃口をずらして
再び引き金を引く
これを何度も繰り返していく
単純な作業だ
端から端まで隙間なく撃ち抜いてやれば慌てて出てくるだろう。
生垣の端まであと少しと言うところまで来た
あと数発の弾丸を撃ち込めば片も付くだろう
そう思いながらさらに銃口を数センチずらして引き金を引く
と、同時に急に視界が暗くなった
とっさに見上げると
外灯の明かりを遮るように
空高くあの女が飛んでいた。
銃で撃たれた傷口が傷む
それ以上に、殺意を持った相手と戦うと言うことが
ここまで恐ろしいこととは思わなかった
思いがけず相手が魔力を持っていたこともあって
少しでも失敗すると怪我をするどころか、殺されてしまうだろう。
そのことが想像以上に恐ろしく
身が竦んでしまうような感覚が体を上ってきていた。
銃弾が生垣の木を揺らす音を立てながら
少しずつこちらへと迫ってくる
このまま恐怖に震えていてもいずれ追い詰められるだけだ
だが、隠れている場所から出ても近付く前に狙われるだけ
何とかして正面以外の場所から間合いを詰めないといけない。
考えている間にもどんどんと銃弾が通り過ぎる位置は近付いてくる
早く手を打たないといけない
だが、無情にも考えは浮かばないまま弾丸が迫ってくる
生垣の端まで完全に追い込まれてしまっている
これ以上横に逃げると生垣から身を晒してしまうだけである
ならば・・・・・・。
人間離れした脚力は平面移動だけではない
思い切って前庭のタイルを蹴った足は
自分の体を数メートルも軽々と持ち上げる
前庭に立てられた外灯の光を背に受けて
眼下に男の姿がはっきりと見えた。
「よっと、失礼するわよ。」
一声かけつつ見上げる男の顔面に着地
衝撃でふらついた「足場」から落ちないように膝を曲げてバランスを取る。
「こ、このっ・・・・・・!」
何かを言おうとした「足場」を蹴って華麗に男の背後に着地
背中合わせに立った互いが同時に振り向く
振り向きながら私は柄を握った右手を走らせる
鞘から抜き放たれた刃がジャケットごと男の脇腹を切り裂く
そして次の瞬間には鞘の中に還り、次の攻撃の機会に備える。
「ぐっ、こいつ、やってくれたな!」
痛みに耐えるように歯を食いしばりながら
男は銃口をこちらへ向ける
この距離では回避は間に合わない
私はとっさに銃口の向いてる先へと鞘に入ったままの刀を突き出す。
カァンッ!
鞘に弾かれ金属音を立てながら銃弾が地面に落ちる
男の顔が驚愕の色に染まる
それを見た私は柄を握る右手に力を込めた。
名前と言うものは魔力を扱う上で非常に重要である
自分の能力に名前を付けるだけで
それはただの魔力の塊から
方向性を持った魔力の流れへと変わった。
だからこそ、さらに多くの魔力を効率よく制御するために
私はそれに名前を付ける。
「兎々音無新月」
今までナイフや刀を作った時とは桁違いの量の魔力が溢れ出す
それらは一気に両腕へと流れ込み
両腕を伝って刀にも膨大な量の魔力が宿る。
魔力による強化を受けた右手が奔る
鞘から刀を抜く音も、刀が風を切る音も
一切の音も立てずに
一瞬と呼ぶにも短い時間の中で
男の喉笛を断ち切った。
チンッ
納刀と同時に初めて音が鳴る
それから一呼吸置いて
男の首から血が吹き出し
驚愕の表情を張りつけたままその場に崩れ落ちた。
その次の日
私はまた兎の姿に戻って
すっかり馴染んだ食堂街に帰って来ていた。
「えー、昨晩。美咲丘のマンションの前で二人の男性が死亡しているのが発見されました。」
ラジオからニュースの音声が聞こえて来る
また新たに二人の犠牲者が出たというものだ
それも、片方は今までと違い刃物のようなもので首を切られていたとか。
ニュースを伝える方も聞く方も知らないことだろうが
既にその事件は終わってしまっている。
だが、誰も斬られた男が犯人だとは分からないだろうし
その男を斬った犯人は人間ですらないのだから
まず警察が追うことは出来ないだろう。
一般の人から見たら
私も正体不明の人殺しなのだろうか?
そう思うと、事件を解決したにも関わらず
もやっとした気持ちが胸の中に残った。