episode.1 首刈兎が跳ねる夜 ─前編─
暗闇の向こう側から赤い影がやって来る
そして、ご主人様達を連れて行く
後を追おうにも私の足は動かない・・・・・・
「んっ・・・・・・!?」
そこで一瞬にして周囲が切り替わる
薄暗い穴の中の様子が目に飛び込む。
「うぅ、夢か・・・・・・。」
ご主人様達を一夜にして失った寂しさがまだ残っている
目から自然と一筋の涙が零れ落ちる。
あれから一週間が経過した。
突如として野良兎となった私だが
寂しいながらも懸命に生活し
少しずつ日常は安定し始めていた。
ここは呉屋町公園
オフィス街の中心に位置する大きな公園であり
オフィスで忙しなく働く人々にとっての憩いの場である。
ここには多数の野良兎が住んでおり
そのことから近隣住民からはウサギ公園と呼ばれ親しまれている。
私もご主人様に何度か連れて来てもらったことがあり
おぼろげながらも道を覚えていたため
どうにか辿り着くことが出来た
ただ、着いた時には疲労と空腹でへとへとだったけれど・・・・・・。
先住の兎達に聞いてみると
ここに住む兎達は縄張り意識も強くなく
皆して好き勝手に公園の隅に穴を掘って住居にしているらしい
なので私も涼しげな木陰の一角に、巣穴を掘って
今はそこを拠点に生活している。
住居の問題がなくなると次に気になるのが食糧問題である
これに関しては公園に生えてる草を中心に
後は週二回ほど来る食事を分けてくれる人間から貰っているものが多いらしい
私が見たところによると、その人間はスーツを着た男で
この辺りに無数にあるオフィスのどこかで働いている様子
そして昼休みに公園にやって来て
お弁当の一部を兎にあげているようだ。
人間のマナーからするとどうかと思うが
何にせよ食事を貰えるというのはとても助かるのでいいとしよう。
人間が生活するには衣食住の三項目が重要である
とりあえず食と住に関してはこれでどうにかなった
残るは衣だけれど
これに関しては残念ながらどうしようもない
そもそも兎は衣類を身に着けないのであまり関係のない話ではあるのだけれど
今までご主人様に丁寧にブラッシングをしてもらってたので
手入れができずに毛並みが薄汚れて、ぼさぼさになっていくのはちょっと気になってしまう
とは言え対処法が現在のところ見つかっていないので
今後の課題とするしかない。
(さて、今日はどうしようか。)
とある日の昼下がり
昼食も済ませた私は日向で丸まっていた。
特別やることがあるわけではない
でも、何となくじっとしているのも退屈だった。
(この辺りに慣れるためにも、ちょっと歩いてみてもいいかな)
そう言えばほとんどこの公園から出たことはなかった
特に深い意味があったわけではないけど
日差しに誘われて周辺の散策へと行ってみよう
そう思えた。
この辺りはオフィス街であり
背の高いビルがいくつも立ち並んでいる
昼過ぎの今は人通りがまばらだが
朝と晩の決まった時間になると急激に人通りが多くなる。
適当に散策していると
この辺りで働く人が集まるのだろうと思われる
食堂が並ぶ一角に辿り着く
この時間はどこの店も客足はまばらで
店員さんも暇そうにしている。
「おや、珍しい。ウサギ公園から迷い込んだのかな?」
私の姿を見つけた暇そうなおっちゃんが声を掛けて来る。
私にはこの辺りの野良兎と違う点が存在している
飼い兎としてよく人間の話を聞いていただけに
多少ではあるが人語が理解できる。
また、あの夜に人間の姿をとった時に
自然と脳に最低限の人間社会の常識が刷り込まれている。
これらを合わせることによって人間に近い行動を取ることができるのである。
「ほら、お前の家へあっちだぞ、とっとと帰りな。」
完全に余計なお世話である。
それは放っておいてもう少し散策を続けようと奥へと足を向ける
おっちゃんも兎が人語を理解してるとは思ってないだろうし
そのまま私に興味をなくしたようで、自分の店に戻って行く。
私は周囲の様子を確認しながら足を進める
食堂が多いせいで鼻には仕込みをしているであろう店からいい匂いが漂って来る
少し耳を澄ますと店内で人が忙しなく働いている音が聞こえて来る
背の高い建物の間を抜ける風が心地良く
それなりに人の気配もあるおかげか
ここならば少しばかり寂しさが紛れる気がした。
それから二週間ほどが経過した。
私は公園と食堂街を適当に行ったり来たりしながら
何事もなく暮らしていた。
昼時の食堂街は人が多く
人間より優れた聴力は行きかう人や店で食事をとる人など
多くの人間から情報を収集することが出来た。
「怖いねぇ、昨今の夜道は。」
「あぁ、美咲丘|の変死体の話か?」
「そうそう、俺の家もよぉ、あそこの隣町だからこっちまで来るんじゃないかって。」
美咲丘の名前は聞いたことがある
たしか、ご主人様の家があった辺りの地名のはずだ
そんな場所で変死体の話?
少し気になるのでさらに聞き耳を立ててみる。
「たしかに近所で人が死んだのどうだのってのは嫌なもんだよな。」
「しかも、犯人も手段も被害者の共通点も何も分かってないんだぜ。」
「被害者全員顔に穴が開いてたとかだっけ?」
「そうそう、どんな凶器を使ったかも警察だってお手上げとか。」
以前住んでた場所で不穏な噂が広がっている
そのことに何となく自分も不安になってくる
あらゆる点が不明な情報に、ご主人様が襲われた時みたいに
人外の何かが関わってるのかじゃないかとも勘繰ってしまう。
それからさらに数日が経過した。
例の変死体の噂は収まることもなく
それどころか食堂のうちの一軒に設置されている
行列待ちの人のために外に置かれたラジオからも
頻繁にその事件の話題が流れてきていた。
そんなある日の晩
私は体に違和感を感じたかと思うと
急にあの晩みたいに人間の姿となっていた。
兎より遥かに大きいこの体では巣穴で生活はできないし
そもそも、人間が公園に掘った穴で寝てようものなら
不審者扱いされてもおかしくはない
それならば元に戻るまでは何か違うことをしてないといけない。
仕方なく私はすっかり慣れた街を適当にうろつく
ビルの大きな窓に私の姿が映る
あの夜に家から持ち出した赤いコートとチェックのスカートをした人間
コートの合間から見える肌は胸の部分に膨らみを持っており
自分が女性であるということが伺える
顔立ちは人間の基準が分からないので何とも言えないが
よく見ると兎だった名残か、瞳は黒いがほんのり赤みがかっている
その顔を覆うのは兎の時の毛並みと同じ薄茶色の髪の毛
そして何より目を引くのが
髪の毛と同じ色をした頭の上に大きく飛び出す一対の耳
あの日は自分の姿を見ている余裕なんてなかったけど
よくよく見てみるとこんな姿をしていたらしい
頭の上に突き出ている兎の耳を除けば
元が兎だったとは誰も分からないだろうと思われる
完全に人間としての容姿だった。
しばらく自分の姿を眺めて満足した後
私の足は自然と食堂街へ向かった
夜になってもここはそれなりに人通りが多い
仕事帰りの会社員が寄って行くからだ
たまに向けられる好奇の眼差しを感じながら
そういった人たちとすれ違い歩いて行く
そしてラジオを置いているいつもの店の前に差し掛かった時にふと思い出す
美咲丘の不信な噂のことを・・・・・・。
私にとって大切な場所で
もし誰かが今日も命を奪われているのだとしたら
理不尽に命を奪われる悲しみは私も知っている
だからこそ、理由がどうであれこの事件を起こしている人間が許せない。
人間の足は兎の時と比べて歩幅が大きい
この姿になっている今なら美咲丘へ向かうぐらい問題なく出来るだろう
そう思うと、いても立ってもいられなくなって
私はきびすを返して食堂街から立ち去った。
兎の走行速度は時速60kmを超えると言われている
たとえ一流の陸上選手であっても、それほどのスピードで走ることは出来ない
だが、カフェモカは人間の姿を取っても兎としての能力を有したままである。
全速力で長時間走ることは出来ないが
それでもゆっくり走っている車と変わらない速度で夜道を駆けていた。
時折抜き去る車の運転手が驚きの顔で振り返るが
そんなことは気にも留めず、真円の月が照らす夜道をひたすらに駆けていた。
(ここまで来たのはいいけどどうしようか?)
完全に勢いでここまで走って来てしまった
しかし、もう美咲丘の町内に入ったはずだ
ここで引くわけにはいけない
まずはどうやって噂の殺人犯を探すかだ
とりあえず考えをまとめるためにも
まずは落ち着ける場所へ向かうとしよう。
そう考えると自然と足が向かったのは
ちょっと前まで住んでいた自分の家の方向だ
大通りを一気に駆け抜け
一つ、二つと角を曲がるともうすぐ到着するはずだ。
と、正面に何かを捉える
スーツを着た中年の男と、その腕を引くジャケットを着た若い男性
そして、その二人に向かっているのはあの日と同じ赤い人影
「ひぃ、何だ、何なんだこいつらは!?」
「とりあえず危なそうなので逃げますよ、ほら、走って下さい。」
そう言いながら中年の男を引き摺って逃げて行く若い男
こんな場面に出くわしては放ってはおけない。
「ヴォーパルナイフ!」
体から魔力を放出、そして成型
手の中に一本のナイフを納め、スピードを落とさず一気に突撃
数十キロの速度を乗せたナイフで深々と人影を突き刺す
致命傷を負い、一体が溶けて消え失せる。
もう一体の人影へと向き直る
相手はまだこちらの速度に付いていけていないのか
明後日の方向を見ている。
スキップするかのように軽く跳躍
真横に着地したところでやっと相手が気付いてこちらへ振り向く。
「遅いわっ。」
その時にはもう顔面に深々とナイフが突き立っている
あっさりと二体の人影を処理した私は
逃げた二人の無事を確かめに夜道へと駆け出した。