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episode.9 兎と偶像の日常 ─後編─

ジリリリリ、ジリリリリ・・・・・・


聞き慣れない音が耳に入り目が覚める

目を開けてみるといつもの巣穴とは違う景色

接している地面は固い土とは違って柔らかい感触

そして隣からは。


「ん、もう朝ぁ?」


自分以外の誰かの声。


すっかり慣れていた環境との違いに

一瞬だが自分がどう言う状況に陥ってるのか分からなくなり混乱する

だが、眠気が醒めて来ると同時に

昨日の事を少しずつ思い出して来る。


うさ耳の人間を探して話題に乗りたい人間が大挙してやって来た夜

私は彼らから身を隠すために

公園によく来る歌好きの少女、西蓮池綾(さいれんじあや)の家へとやって来た

今いるのは、自分の巣穴ではなくその家の中だ。


借りている安アパートだと言っていたが

中は手入れが行き届いていて居心地は決して悪くない

寝室としても使われいてるこのリビングと

キッチンと一体化した入り口までの廊下

それに風呂やトイレと言った必要最低限の設備だけの小さな部屋ではあるが。


「あっ、カフェモカさん本当に兎さんになってる

 昨日寝る時までは人の姿だったのに。」


少女がすっかりただの兎に戻ってしまった私の姿を見て驚いている

人の姿だったから床で寝せるのは気が咎めると

座布団を並べて即席の布団を作ってくれたのは良かったが

今となっては座布団の上で一匹の兎が丸まっているだけの光景だ。


「あ、そうだ。カフェモカさんおはよう。」


おはよう

と、言い返したいがこの姿では喋れない

仕方がないので頷き返すぐらいで代用する。


「とりあえず朝ごはん作って来ますから、待ってて下さいね。」


そう言って廊下へと向かい、洗面所の中へ消えていく

しばらくして洗面所から出てくると次はキッチンで作業を開始する

パンをオーブンに入れて焼き、その間にコンロで卵を焼く

冷蔵庫から自分用の飲み物を取り出し

ついでに私のためにと昨日の晩に急遽買った人参も取り出す。


焼きあがったパンと目玉焼き、それに少量の野菜

少女は手馴れた様子でリビングのテーブルに並べ

ついでに私のために皿を一枚取り出して食べやすい大きさに切った人参を並べる

私は所在無くそれを眺めていた。


「それじゃあ、いただきます。」


こうやって誰かと摂る食事は久しぶりだ

人間の家の中で人間と食事を摂る

飼い兎だった頃の記憶が少しばかり蘇る

何だか不思議な、暖かい気分だった。




「それじゃあ、私は出かけないといけませんので。」


食事も終えて少し一服したところで彼女は言った

詳しくは知らないが人間として生活しているのだから

学校なり仕事なりやることが彼女にもあるのだろう。


「私がいない間は適当にこの部屋使ってもらって結構ですから

 あ、ただこのアパートはペット禁止になってるので

 カフェモカさんなら大丈夫でしょうが、他の人に見られないようにだけ気を付けて下さい。」


兎に向けて丁寧な言葉で説明している様は

傍から見たらかなり異様な光景に映るだろう

勿論個人の部屋の中なので見ている人はいないのだが。


それだけ言い残して彼女は出て行った

さて、どうしようか

特別やりたい事があるわけではない

とりあえず今の生活に少しでも早く慣れれるようにするしかないか。


昨日は慌しくてゆっくり観察する余裕のなかった部屋の様子を見てみる

前は一戸建ての住宅に家族で住んでいたから

そこからすると一部屋しかないアパートは狭く感じる。


荷物も最低限のものしかないのだろう

テレビやパソコンが壁際の棚に置かれて

食卓も兼ねたテーブルがリビングの真ん中に鎮座している

テーブルと言ってもそれほど大きいものではなく

布団を敷くとき等は女性一人でも簡単に部屋の隅まで運べるようなものだ。


その布団と言った寝具や、衣服の類はクローゼットの中に仕舞われているようだ

流石に個人の物なので勝手に覗こうとは思わない。


奥の壁にはベランダへと繋がる大窓が一つあって

今は厚いカーテンが閉められて

夏の暑い日差しを防いでくれている。


キッチン兼用の廊下へ出てみる

調理台の上は身長的に見えないので何が置いてあるのかは分からない

その横には小さめの冷蔵庫があり、洗濯機も並んでいる。


調理台と反対側の壁には扉が二つ並んでいて

それぞれトイレと洗面所兼風呂へと繋がっている

どちらも興味はないので入りはしない。


後は外へ出るための扉だが

これは少女が出て行く時に鍵を掛けたので開かない

兎の姿では鍵の解除も出来ないし

そもそもドアノブの位置が高くて開ける事は出来ないだろう。


こうして見ると

本当に生活に必要最低限の物ぐらいしかない質素な部屋だ

余計な物が必要ない程度には充実した生活をしているのだろうか

よくよく考えてみると

泊めてもらっているのにも関わらず

彼女の事を何も知らないのだなと痛感する。


結局のところ暇を潰せるような物は何もないし

外へ出ることも出来ないので

ほぼ一日を座布団の上で丸まって過ごした。




それから数日が経った

少女は朝から出掛けて晩になるまでは帰って来ない

私はやる事も特になく大抵の時間を眠って過ごす

少女が帰って来ている時間は

適当に向こうから話し掛けて来るので

適度に聞きつつ相槌を打つぐらいだ。


食事や寝床に困ることもないし

非常に安定した生活だ

部屋は狭いし、外にも出れないので

運動不足だけが少々心配にはなるが。


飼い兎だった頃もこんな感じだったような気はする

あの頃と比べると、人の姿を取るようになった副次的な影響として

兎の姿の時でも人間に近い人格が形成されているので

少々退屈な生活をしていると感じなくもない。


だが、誰かと一緒に暮らすと言うのは楽しいし

命がけで戦ったりする必要性もない

善意でこうして匿ってくれている彼女には

ただただ感謝しかなかった。




ある日の事だった。


「カフェモカさん、ふと思ったんですけど

 これ触ってみて貰えます?」


そう言って携帯電話を私に渡して来る

どういうつもりだろうかと少し疑問に思いつつも

言われた通りに前足で画面に触れてみる

すると突如として画面が切り替わる。


「あ、やっぱり

 でしたらここを押して続いてここを・・・・・・。」


彼女の指示に従って前足を動かす

するとメモ帳アプリが起動して文字が打ち込まれる。


{おためし}

「おぉ、これなら兎のままでもお話できますよ。」


画面に打ち込まれた文字を見て嬉しそうにはしゃぐ少女

なるほど、これなら喋れなくても意思疎通が出来る

難点としては人間の指で扱うのが前提のため

兎の前足だと文字入力が非常にやりにくいため

時間がかかってしまうことではあるが。




それから文字と会話による交流が始まる

最初は何気ない雑談が多く

彼女が外に出ている間にあった色々な事を話して

私がそれに返事を打つような形が主流だったが

いつしかもっと私の事が知りたいと

色々な質問をして来る事が増えて来た。


{元々は飼いウサギだった}

「そうなんですね。私が会った時はもうあの公園に住んでましたので

 てっきり公園の野良兎の一匹だと思ってましたけど。」

{家族に突然おそわれて、いやおうなしに野良になった}

「襲われたって、そんな事あるんです!?」

{以前あなたも見た赤い奴よ}

「あのよく分からない人間そっくりの赤いのですか?

 じゃあ、もしかしてご家族は・・・・・・。」

{だれも残ってない}

「す、すみません。知らずに、そんな辛い話聞いてしまって。」

{もうすぎたこと}


それから飼い兎だった頃の思い出とか

野良での暮らしとか

色々な事を話した。


またある時は。


{そういえば、普段どこへ出かけてるの?}

「あっ、そう言えばいってなかったですね

 あのオフィス街にあるアイドル事務所で、歌やダンスの練習してるんですよ。」

{それであれだけ歌がうまいのね}

「これでも高校生の頃から地下アイドルやってましたから。」

{今は学校には行ってないみたいだけど}

「高校を卒業して、そのまま進学せずに事務所に入ったんです

 専業のアイドルですよ。」

{よく分からないけど、やりたいことをやっているのね}

「はい。まだまだ無名で生活もきつきつですけどね。」


こんな感じでアヤの方の身の上を聞いたり

そうやってお互いに交流を深めていった。




どれぐらい経っただろうか

その日はアヤが帰宅する前に人の姿に変わっていた。


「あら、お帰りなさい。」


いつもは仕草で伝える挨拶も

この日ばかりは流暢な人間の言葉だ。


「えっ!? びっくりした。カフェモカちゃんいきなり人間になってるんだから。」


あれから文字を交えて色々な話をするうちに

すっかり打ち解けて最初は固い敬語だったアヤも

今ではかなり軽い言葉遣いに変わり

呼び方もさん付けからちゃん付けになっていた。


「そう言えばいつもその服なんだね、真夏の室内でそのコート暑くない?」

「どうやら人間の姿の一部として扱われてるみたいで

 兎に戻ると何処かへ消えるし、人の姿になると常に着た状態になるのよ。」

「へぇ。で、でも何で、そんな独創的な格好なんでしょう?」

「最初に人の姿になった時に着てたからでしょうね

 あの時は良く分からず、家に置いてあったものを適当に着ただけだけど。」

「最初・・・・・・

 そう言えば何でカフェモカちゃんって人の姿になれるようになったの?」

「月に誘われたのよ。」


あの時の状況を思い出しながら即答する

言葉の意味が分からずアヤは何とも不思議そうな顔をしている。


「家族が襲われた日、急に人の姿に変わってね

 魔力が使えるようになったのもそれから。」

「・・・・・・。」

「そもそも魔力についても私の知識はほとんどないわ

 ただそれがあって、使える。それだけで十分なのよ。」


実際のところ未だに何も分かっていない

人の姿になった時に自然と魔力の使い方などの知識は頭に入ったが

理由や由来など、そう言ったところはすっぽりと抜け落ちている

だから未だに、自分以外の魔力使いも

何処から来て何故あのようなことをやっていたのか

全くと言っていいほど何も知らないことに今更ながら気が付いた。


「とりあえず、今日もレッスンで疲れたのでしょう?

 上がって夕食にでもしましょう。」




せっかく人間の姿になったからと

今日は人参ではなく、二人分の料理を準備してくれる

初めて味わう人間の料理はただの野菜や雑草とは

比べ物にならない美味しさだった。


ついでに兎の時は出来ないからと

風呂も貸して貰った

ブラシなどを使って体を手入れするのは

実に一年以上ぶりである

ただ、人間の時の手入れがどれぐらい兎に戻った時に反映されるのかは分からないけれど。


その後は文字を介さなくても喋れるからと

夜が更けるまでずっと喋っていた気がする。


「兎から急に人間になるって、全然実感が湧かないけど

 やっぱりカフェモカちゃんも大変だったの?」

「そうね、人間になったと言ってもこの耳だし

 たかだか一晩しか続かないから、自分が人間だと思ったことはないわ。」

「じゃあ、今でも気分は兎さんなんだ。」

「それはそれで違う気がするのよね

 もう、どっちにも付かない常識から外れたものだと思ってるわ。」

「何だかそれって寂しいね。」

「なってしまったものは仕方ないわ。」

「強いんだね、カフェモカちゃんは。」

「・・・・・・強い?」


思わず聞き返していた。


「うん、だって私だったら世界中他に誰とも分かり合えないなんて耐えられそうもないし

 それなのにカフェモカちゃんは私とかを助けるために戦ったりして。」

「でも、独りは嫌だからこうやって誰かと繋がりたいとはずっと思っていたわ。」

「そうだ、カフェモカちゃんって私以外にも、あぁやって人を助けたりしてたの?」

「人助けではないけど、アヤを襲った人間みたいに

 魔力を使って好き放題やってた連中を斬った事はあるわ。」

「やっぱり凄いんだね、カフェモカちゃんは

 誰に言われるでもなくそうやって危ないのに誰かと戦ったりして。」

「・・・・・・。」


何て返せば良いのか分からなかった

これまで人を殺した事を非難されたことはあっても

凄い、などと言われた事はなかったからだ

言葉に詰まってついついアヤに背を向けるように寝転がる。


「あ、もしかして照れてる?

 カフェモカちゃんも人間らしいところあるんだね。」

「かっ、からかわないでよ。」

「う~ん、せっかく人間になってお喋り出来るんだから

 もっと沢山話したいのに、何だか眠たくなって来ちゃった。」


背後からアヤの欠伸が聞こえる。


「仕方ないでしょう、毎日レッスンやら何やら頑張っているんでしょう?

 疲労が溜まっても当然だわ。」

「う~、でもせっかくのチャンスが勿体無い~。」

「今日がダメでも、また次に人間になった時にゆっくり話しましょう。

 それでいいでしょ?」


返事はない、既に夢の中に入ってしまったようだ

やれやれと小声で呟きながら私は起き上がる

部屋の入り口にあるスイッチを操作して明かりを落とす

そして、部屋は暗闇と静寂に包まれた。


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