episode.8 夜天は赤く染まる ─後編─
一体どういう状況なのかと困惑する
逃げ遅れて部屋の中に閉じ込められている
それにしてはこの部屋の中しか火の手が回っていないからおかしい
とりあえず当人に聞くのが一番早い
私は警戒心を抱かせないように刀を体の後ろに隠しながら訪ねる。
「何があったのかしら、大丈夫です?」
「誰じゃ、儂に何か用か?」
「この辺りは火事になってるわ
逃げ遅れた人がいないか探しててあなたを見つけたのよ。」
「儂は問題ない。お嬢さんの方こそ早くここから逃げるがいい。」
問題ないと言われても
現に家具を燃やしている炎はどんどん大きくなっている
煙が立ち込めてきてやや息苦しい。
「お爺さんはどうするのかしら?
返答によっては無理矢理連れて行くけれど。」
「儂に関わるな、お嬢さんには何も関係ない。」
仕方がないので動き出す
部屋の真ん中で火柱を上げているカーペットを迂回して
老人の側へと回る。
「それじゃあ、どう言うつもりか知らないけれど
見殺しにするつもりはないから連れて行くわよ。」
老人を抱え上げようと手を伸ばす
が、老人はその場を飛びのき手は空を切る。
「まったく、いらぬ節介じゃ。」
老人は不満そうに言う。
「儂は見届けないといけないのじゃ、邪魔するでない。」
「見届ける、何をかしら?」
思わず聞き返してしまう。
「この建物が燃え落ちる様よ、最後まで見届けやらねばならん。」
「最後までって、危険よ
そこまでして何を見届けるのかしら?」
「さぁな、分からん。じゃが見届けなければならん
それに、この炎を見てたら何故かも思い出せるかも知らん。」
全くわけが分からない
だが、このままここに置いて行くのは危険だ
少々強引でもいいから連れて行く必要があるだろう。
瞬発力を生かして一瞬で老人に詰め寄る
そのまま両手で手に持ったままの刀ごと持ち上げる
火の手が回る前に急いで部屋から出ようとする。
「えぇい、何をする、離せっ!」
老人が怒鳴り声を上げる
それを無視して廊下へと飛び出す。
「邪魔をするな、邪魔をするならお主を焼いてしまうぞ、小娘。
良いな、良いのじゃな? 『自由への業火』!」
手に焼け付くような痛みが奔る
とっさの痛みに手の力が緩み
老人が抜け出すように手から離れる。
私は掌を確認する
そこには熱いものを握っていたかのように
広く焼けた跡が残り、水ぶくれとなっている。
「お爺さん、あなた・・・・・・。」
老人は私から離れて、こちらを睨んでいる。
「今、どうやって抜け出しました?」
念のため確認を取る
だが、先程老人の口から聞こえたのは間違いなく魔力の起動を促す言葉だった。
「ふむ、仕方あるまい。
邪魔をしたのはお主じゃからな、小娘。」
老人は片手をこちらに向けてかざし。
「アッキの手!」
名前を呼ぶと同時に火の玉が掌から放たれる
廊下の端に身を寄せるようにしてそれを避ける。
「やっぱりお爺さん。これはあなたがやったのね?」
「あぁ、儂じゃ、儂じゃよ。
儂は燃やさねばならんのじゃ。」
「一応聞いておくわ。どうして?」
「もう忘れたわ、じゃが焼かないといけないという事は覚えておる
じゃから何度でも焼くのじゃ、そのうち思い出すじゃろうて。」
ふぅ・・・・・・
と、一つ溜め息をついて刀を構える
手に火傷の痛みは残るが刀を握れないほどではない。
「そう。だったら斬らせてもらうわ
魔力を使った放火魔なんて見逃せるはずもない。」
「儂を邪魔するか、いい度胸じゃ小娘
カグツチの剣!」
老人の握った拳から炎が溢れ出た
溢れ出る炎は一メートル半ぐらいの長さで一定して保たれる
それはまるで、炎の剣を握っているかのようだ。
老人が地面を蹴った
見かけ以上の俊敏な動きだった
振り下ろされる炎の剣を鞘に入ったままの刀で受けようとするが
実体のないそれはかざした刀を通り過ぎてそのまま私の体へと向かう
反射的に体をそらす
前髪を僅かに焦がし、コートの間から見える地肌に縦一直線に焼けるような痛みが奔る。
痛みに耐えながら一度距離を取って体勢を立て直そうとする
しかし老人はそれを許さない
私が横の部屋に飛び込むのに合わせて
床を強く蹴り一瞬にして距離を詰めて来る。
炎の剣が縦に、横に、幾度となく振られる
私は必死で避け続けた
反撃の暇などない、避けるだけで精一杯だ。
「どうした小娘、逃げるだけか!?」
さらに炎の剣が連続で振られる
少しずつ引きながら避け
背中が部屋の壁に触れる。
(しまった、追い詰められた・・・・・・。)
気がつけば部屋の端まで来ていた
まずい、もう後がない
これ以上逃げ場がないと言う事実が突き刺さる
だが、その事が集中力を爆発的に高めた。
逃げ場のなくなった私を焼こうと
炎の剣が大上段から振り下ろされる
その振りはとどめを刺そうと力んだのか
今までの攻撃より少しだけ大きい
それが軌道を見切るまでの一瞬の猶予を生んだ。
私は僅か一センチ程度の誤差で振り下ろされる炎の剣を回避
放出される熱で髪の毛の端が少し焦げるが気にはしない
そしてそこから最小限の動きで抜刀の体勢に入る
右手が力強く柄を握り、鞘から刃が抜き放たれる。
「甘いわ小娘、ラセツの拳!」
炎の剣を握っていない左手から
巨大な炎の塊が吐き出される
既に攻撃の動作に入っている
回避が間に合わない・・・・・・。
爆発的な衝撃
そして窓ガラスが割れる音
自分の体を包む浮遊感
どうやら建物から吹き飛ばされて道路に飛び出したらしい
空中を一回転しながら体勢を建て直し
道路上へと着地する。
頭上から強烈な殺気を感じ取る
着地の衝撃を和らげるために大きく曲げた足に力を入れ
超人的な跳躍力により反対側の建物の壁際まで予備動作もなしに跳ぶ
一瞬前までいたところに剣を振り下ろしながら老人が振って来て
炎の剣の叩き付けられた地面から火柱が立ち上る。
素早く周囲の状況を確認する
建物に入る前とほぼ変わりはない
三件ほどの建物が燃えており
まだ消火活動は始まっていない
野次馬も相変わらず残っており
遠巻きにこちらの事を見ているようだ。
このままここで戦闘を続けると野次馬達が巻き込まれる可能性がある
そう判断すると野次馬の少ない方向へ目を向ける
立ち並ぶ建物の間に細い路地が一本だけ見えた
あそこなら余計な邪魔も入らないか。
くるりと老人に背を向けて
全速力で路地へと駆け込む
後ろからは老人の追って来る足音が聞こえる。
あの炎の剣は防ぐことが出来ない上に
老人の年を感じさせない身体能力のために
こちらと大差のない速度で振るうことが出来る
まともに正面から戦うとなると厳しい相手だ
何か搦め手でも仕掛けた方が安全だろう
使えるものがないか周囲を見渡す。
そうこうしているうちにすぐに老人がやって来る
間合いに入られないよう牽制のために
一度だけ刀を鞘から抜き、切っ先を掠めさせる程度に薙ぎ払う。
老人が一瞬だけ足を止める
その一瞬の間に思考を加速させ最善の手を考える。
(・・・・・・。)
再び攻撃のために老人が踏み込んで来る
一歩、二歩と引きながら寸前のところで避け続ける
気がつけばコートのあちこちが焦げている
それでも気にせずにさらに一歩、二歩と引き
横薙ぎに振るわれた炎の剣を垂直に跳んで避ける。
体が数メートル浮かび上がる
地面に足が着いてないので力が入れにくいが
刀を振るい、そして鞘の中へと戻す。
「空中では避けれなかろうて、食らえラセツの拳!」
老人が吠え、炎の塊が放たれる
細い路地にこだまするかの様に響く爆発音
空中に炎の花が咲き、黒い煙が立ち込める
その中から弾かれるように黒い影が地面に力なく落ちる。
老人がそちらに目を向ける
それは、衝撃で変形した鉄製の板だった
この細い路地に入っているバーの名前が書かれており
ビルの外壁に取り付けられていたであろう部分は
刃物で切断されたかのような綺麗な断面を見せていた。
落ちた看板に完全に気を取られた
そこを目掛けて落下する勢いに任せて
ブーツの踵部分を脳天に叩き付ける
たまらずに老人がふらつきながら後退する。
着地した私はすぐさま抜刀の姿勢に入り
右手が掻き消えて剣閃が奔る。
チンッ
鞘鳴りがして鞘の中に刀が納まる
老人の服に一直線に切れ目が入り
そこから血が吹き出す。
「くっ、おのれおのれおのれぇ!」
目を血走らせて老人が叫ぶ
一撃で斬る気だったが
どうやら思った以上に老人が下がっており
刃が浅くしか入ってないらしい。
体勢を立て直す暇は与えない
今度こそ斬るためにもう一歩踏み出し
刀を握る右手に力を込める。
「食らえぇい、オロチの息!」
叫ぶ老人の口から小さな火の玉が吐き出される
予想外の位置からの予備動作なしの攻撃だった
一瞬の判断で抜いた刀の狙いを老人本人から火の玉へと変更する
剣圧により真っ二つになり消滅する火の玉
それが鞘に還り、さらに追撃をしようとするが
既に老人は離れている。
おおよそ五歩分ほどの間を空けて老人と睨み合う
お互いに下手な動きは見せられない
ただただ無言のまま時が過ぎる。
爆風を受け、火傷をした体が脳に痛みを伝える
だが、一瞬でも気を逸らせばやられるだろう
私はひたすらに神経を研ぎ澄ませながら
刀を抜く時を伺った。
どれぐらいの時が経ったのか
老人の体の傷から染み出す血が、シャツに広がっていた
傷の痛みか、失血を恐れたのか
老人が焦れた。
「かあっ!」
気迫の叫びを上げながら老人が迫って来る
お互いの武器の間合いまで一瞬にして詰め寄る
渾身の力を乗せて炎の剣が振り下ろされた。
「兎々音無新月」
研ぎ澄まされた神経に
解き放たれた魔力が上乗せされる
全てを乗せた一撃は左腰に構えた鞘から抜き放たれて
渾身の力によってこれまでよりも素早く振られた炎の剣よりも
さらにもう一段と早く空を奔り
炎の剣を握った右腕を根元から斬り飛ばした。
斬られると同時に魔力の供給が絶たれて炎の剣が小さくなっていき
私の体に届かず前髪を焼きながら私の眼前を通り過ぎる
鞘鳴りの音が立ち、刀が鞘の中に還る。
「まだじゃ、ラセツの・・・・・・。」
再び刀が抜き放たれる
残された左腕から炎を放とうと構えていた老人に向かって吸い込まれる
狭い路地に血飛沫が舞い散る。
「わ、儂は・・・・・・まだ・・・・・・。」
言葉が途切れ
怒るような、叫ぶような表情をその顔に貼り付けたまま
老人がその場に崩れ落ちる。
刀を解除し、一息をつく
いつの間にか空は雲に覆われ
月は見えなくなっていた
その暗い空から、一滴の雨粒が落ちる。
ポツリ、ポツリ
すぐさまそれは数を増やし
まだ乾ききっていない地面に新しい染みを作る
雨が降り出した
これで大通りの火事は収まるだろうか。
老人の死体に目をやる
最後まで戦おうとした目だ
何のためにこのような事をしているか分からないと言っていた
分からないのに何故ここまで必死になって戦ったのだろう
私にはまったく理解できなかった。
そもそもこれまで戦ってきた魔力持ちも理解出来なかった
誰もが理解出来ない理由で魔力を振るい
そして誰かが傷つき
そして私に斬られた
そうした者達から見たら
私は理解出来ない理由でこの刃を振るっているのだろうか。
「じゃあ、私は何のために、斬っているの・・・・・・?」
思わず出た呟きは
雨音に消されて
自分にも聞こえなかった。
 




