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episode.7 月夜の少女に捧げる歌 ─前編─

桜の季節が過ぎ去り

公園は緑に包まれていた

暑すぎず寒すぎず、非常に心地いい気温だ。


公園に何本も植えられた木の間から

柔らかい光が漏れて来る

それを浴びながらうとうとと

半分夢見心地で体を丸めている。


どれぐらいの間そうしていたかは分からないが

気がつけばお腹が空いて来ていたので

辛うじて昼になったことが理解できる。


しばらくの間は公園内で様子見

そしてすっかり馴染んだ歌好きの少女が来ないと分かると

最近足が遠のいていた食堂街の方へと向かってみる。


昼の食堂街はオフィス街からほとんどの人間がいなくなる、新年と夏の長期休暇の時期を除いて

基本的には賑やかだ

昼食を求めて足早に歩く人間達に

踏まれないように間を縫いながら

常連となった店の裏側へと回っていく。


「おっ、茶太郎。久々だな。」


店員の兄ちゃんが私の姿を目ざとく見つけて声を掛ける。


(だから、勝手なあだ名を付けないで欲しいのだけれど。)


内心文句を言うが勿論伝える手段はない

仕方がないので上目遣いに思いっきり睨み付ける。


「おっと、そんな目で見られても

 悪いけど最近茶太郎が来なかったからご飯を準備してないんだ。」


どうやらご飯の催促だと思われたらしい

たしかに食料の確保は重要だが、何となく心外である。


「じゃ、次来た時は準備しといてやるから、またな。」


兄ちゃんはへらへらした笑いで私の視線を外し

そのまま店の方へ向かっていく

釈然としない私の目の前でぱたんと店の裏口の扉が閉まった。


食料の調達に失敗した

諦めて店の裏手から表通りに戻る

この季節は公園に食べられる草等が生えているので

ここでの調達に失敗しても別段困ることはない。


けれどもせっかくここまで来たのだから

活気溢れる食堂街の雰囲気をもう少しだけ堪能してから公園へ戻って昼食を摂る

そうしている間に人間達も昼休みが終わり

それぞれのオフィスへと戻って行くから

食べ終える頃にはすっかり喧騒も活気も遠のき

静かな町並みに変わっていた。




パソコンの画面を見つめる

その中では一人の少女が一生懸命に歌っている

数ヶ月前に聞きに行ったライブの映像だ

ライブと言っても、この少女のものではなく

他のグループがメインのライブであり

この少女は前座として出ていたに過ぎない。


有名グループの前座としてしか出れない無名のアイドル

自分しか知らないかもしれない、興味がないかもしれない

だが、自分にとっては本命のグループよりも

この無名の少女の方が魅力的だった。


「あぁ、アヤちゃん・・・・・・。」


思わず声が出る。


西蓮池綾(さいれんじあや)、高校生

学生生活のかたわら、休日は地下アイドルとして

他のアイドルのライブの前座などで活動している

今年の春に高校を卒業して

何処かのアイドル事務所に入ったはずである。


若いながらもその歌声は非常に魅力的であり

今はまだ知る人ぞ知るレベルの無名アイドルだが

いずれ人気アイドルとして売れるだろうと思う。


自分の好きなアイドルが売れるのは嬉しいことだと思う

その反面、自分だけが知っていると言う現状も

何か特別なものの気がするので勿体無いとも思う

どうなったとしても、自分が世界で一番の彼女のファンであることには変わりない。


動画が終わり、そしてループする

何度見てもその姿は可愛らしいし

何度聞いてもその歌声は魅力的だ。


あぁ、そうだ。彼女はこんなにも可愛らしい

あぁ、そうだ。彼女のことが何よりも好きだ

あぁ、そうだ。この想いを彼女に伝えなくては

あぁ、そうだ。こんなにも月が綺麗な日がふさわしいだろう。




真円の月が立ち並ぶビルを照らしている

そのうちの一つに、私は登っていた

ここから見下ろす地上の景色は

何もかもが小さく見えて不思議な感じだ

普段の自分はこの高さからなら分からないぐらいに小さいのに。


私はその日、人の姿になっていた

少し前にこのオフィス街で赤い人影と遭遇したことから

普段のこの街の様子を知りたくて

身軽な人の姿になったのをいいことにこんなところまで登って来ていた。


地上よりも強く吹く夜風によってコートがはためく

そこまで寒いと言うほどの気温ではなくなってはいたが

素肌に受ける風は思いの外冷たい。


再び眼下に目を向ける

小さな粒のように見える人が無数に動いている

聴覚や嗅覚と比べ、そこまで視力が優れていると言うことはない

それでも少し不思議なものを見つけた。


細かい容姿などは分からないが人間だと思われる

一つの建物の前を何度も行ったり来たりを繰り返している

しばらく見ていると

それは建物から一番近い路地の電信柱の裏に隠れるように移動する。


人通りの少ない通りだったからその動きは目立っていた

大通りのように人が最寄の駅へ、食堂街へと流れるように動いている場所なら

気が付かなかったとも思える

だが、気付いてしまったそれは挙動不審としか言いようがない

少し気になったのでもうしばらく目で追ってみる・・・・・・。




オフィス街の一角にある小さなアイドル事務所

既に多くの人が帰ったのか

一際人通りの少ない通りにそれは立っていた。


「うぅ・・・・・・まだかな、まだかな?」


実際のところどれぐらいの時間が経ったか覚えてないが

待っているだけと言うのは非常に時間の流れが遅く感じる

いきなり来たことに驚くだろうか

それともそんな熱心なファンがいることに喜んでくれるだろうか

ひたすらに頭の中で様々なパターンをシミュレートする。


そう言えば手土産か何かを持って来た方がよかっただろうか

けど今更探しに行くと入れ違いになるかもしれない

今日は挨拶ぐらいで済ませようか

また日を改めてゆっくり親密になっていけばいい。


頭上の切れ掛かった電灯が明滅する

頭の中は様々な妄想でフル回転させながらも

その体は目当ての相手が見つかるまで微動だにしない。


さらにしばらく待って

事務所の扉が開いて小柄な少女が出てくる

動きやすそうな半袖のシャツと短パンに

綺麗な薄緑色の上着を羽織っている

肩の辺りで切り揃えられた髪と

そこから覗く横顔は何度も見たものと寸分の違いもない。


(来た、アヤちゃんだ。)


ドクンッ。と、心臓が一際大きく跳ねる

ライブ等で見かけたことは何度もあるが

こうしてオフの時に見るのは初めてである。


自分が何よりも好きな少女が

一歩、また一歩と自分のいる路地の方へと近付いて来る

ある程度の距離まで来たところで

路地から飛び出して極力フレンドリーになるように声をかける。


「アーヤーちゃんっ。」

「ひぃっ、だ、誰っ!?」


目の前の少女が非常に驚いた顔をする

見たこともない表情だが、これはこれで可愛い。


「やだなー、自分のこと知らないんですか?

 アヤちゃんの一番のファンの奥田風太(おくだふうた)だよ?」

「えっと、私のファンの方、ですか?

 それで、何かご用でしょうか?」


酷く途惑った顔に笑みを浮かべて答える

おかしい、一番のファンである自分が来たんだから

もっと喜んで貰えると思ったのに

非常によそよそしい態度の気がする。


「勿論、アヤちゃんに会いたくて来たんだよ

 それ以外に何か理由がいるかい?」


満面の笑みを浮かべて自分の足を一歩踏み出す

それに合わせて目の前の少女は二歩後退する。


「え、あっと・・・・・・

 私は急いでますので、すみません。」


そう言って少女は足早に自分の横を通り過ぎて歩き去ろうとする

まだ話は終わってないどころか、ろくに話もしてないのに

だから体を使って歩こうとする前を遮る。


「やだなぁ、置いていかないで下さいよ。

 もっと一緒にお話したり出かけたりしましょうよ。」

「す、すみません。そう言うの結構ですので。」


何でここまで頑なに拒絶されるのかが理解できない

一番のファンである自分が来たと言うのにこの態度は何なのだろう

こうなったら大好きなアヤちゃんには悪いけど

多少強引な手段を使った方がいいのかもしれない。


「しょうがないなぁ、『全てを包む流体の愛(ラビングスライム)』。」


自分の体から不思議な力が流れ出て足元に溜まっていく

それはたちまちライブの応援の時に振ったサイリウムのような

蛍光ピンクの色をしたゲル状の物質となって動き出す

自分の愛を示すかのようなハートの形となりながら

憧れの少女へと向けて少しずつ地面を這っていく。


「え、えぇ・・・・・・。」


怯えた表情で二、三歩後ろへと退くアヤちゃん

驚愕のあまり声も出ないようだ

そこに少しずつ自分の生み出したゲル状のものが近付いていく。


「あぁ、もうすぐ一緒になれるよ。」


カカンッ!


金属音が響き渡る

ゲルの前にはいつの間にか刃物が二本転がっている

これは何だろうか

一度ゲルの動きを止めて落ちているそれを観察する

と、それは空気中に溶けるようにして消えてしまった。


今のは一体何だったのだろうか

疑問ではあるが今はそんなことはどうでもよかった

それよりも目の前の少女のことだ。


「ヴォーパルグレイブ!」


頭上から声が響く

その一瞬後に何かが降って来て

同時に自分の生み出したゲルが縦に真っ二つに引き裂かれる。


「ふぅ、大丈夫だったかしら?」


聞き慣れない声がする

どうやら声の主は女性のようだ

その姿を確認すると

赤いコートに灰色のスカート

何故かコートの中は素肌が見えていて少々目のやり場に困る

顔立ちからアヤちゃんとさほど変わらないぐらいの年齢だと思われる

が、その顔を覆っているのは薄茶色の髪

そして何故かそこから同じ色の兎耳が飛び出している

手には長い棒の先に反り返った巨大な刃を付けた道具を持っている。


誰かは知らないけれど

どうやらこの女があの道具でゲルを切ったらしい

自分とアヤちゃんの間に割って入ろうとする邪魔者なのか。




「だ、大丈夫です。それよりあなたは

 えっと、似たような刃物を投げる人、と言うか兎さんを知ってるのですけど

 お知り合いですか?」

「カフェモカよ、そう呼んで。」

「あ、はい。カフェモカさん

 あなたは向こうにある公園にいる兎さんのお知り合いなのでしょうか?」

「私はちょっと変わった体質でね

 こうやって時折人間の姿になってしまうのよ。」

「え、では、あなたがあの兎さん?」

「そう。いつも綺麗な歌を聞かせてくれてありがとうね。」

「おいっ、お前っ!」


顔だけを後ろに向けて少女と話していたが

怒鳴り声により中断される

前を向き直すと怒りに震える男の姿が見える。


「じ、自分を差し置いてアヤちゃんに話しかけるな。」

「あら、妬いてるの?」


指摘してあげると、男の顔が怒りでみるみる真っ赤に染まる。


「お前っ、調子に乗るなよ!

 自分と、アヤちゃんの邪魔をしたこと許さないからな!」


さらに発せられる怒りの声と同時に

さっき真っ二つにしたはずのゲル状の物体が

元の形に戻って迫って来る。


「ふぅ、どうして魔力を持ってる人間はこんなに変なのが多いのかしらね。」

「変だとはなんだ、お前の方が変な格好してるだろ。」

「残念ながら、見た目じゃなくて中身の話なのよ。」


思わずため息をつく。


「さて、ちょっと危ない作業になるから下がっていて。」


後ろで少し震えている少女に声をかけ

私は手の中の薙刀の切っ先をゲル状の物体へと向ける。


「面倒だから、さっさと片付けさせてもらうわよ。」


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