episode.6 小さき刃に捧げる歌 ─後編─
兎の時も人の時も
暇な時はよく街中を散策していたので
裏道も含めてこの辺りの地図は頭の中に入っている。
少女が私の姿を見失わないように速度を抑えながら
細かい裏路地を幾度も曲がって
何とかあの人影をまこうとする。
だが、既に疲れ果てている少女の足は思ったよりも遅く
人影との距離に決定的な差は生まれない
相手の体力がどれぐらいあるかは分からないが
このままではいずれ追い着かれてしまう。
「はぁ、はぁ・・・・・・兎さん。何処まで走るの?」
少女の口から弱音が漏れる
私に会うまでにどれぐらい逃げてたかは知らないが
そろそろ限界も近そうだ
後ろからの足音も近付いている気がする
裏道を逃げ続けても完全に振り切るのは難しい。
そうなるとどこか隠れてやり過ごせる場所がないかと思案する
大体のオフィスは入り口の自動ドアが開かなくなるし
この時間なら食堂街の店辺りは開いてはいるだろうが
人の多いところにあの人影を連れて行くと
誰が巻き込まれるか分かったものではない。
考えのまとまらないまま裏道を駆ける
さらに一本の角を曲がると
そこは昨日人だかりになっていた一角だ
ただ、今日はもう一人の人間もそこにはいない。
黄色いテープに仕切られた向こうには
焼け落ちた建物の残骸だけが残っている
黒く焦げたコンクリートが被害の大きさを物語っている。
そして、その残骸の側には見慣れないものが
人魂。そう形容するのが一番しっくり来るだろう
揺らいだ炎のような形の何かがそこには浮かんでいた。
「えっ、何あれ。お化け?」
後ろから私に追い着いてきた少女もそれに気付き声を上げる
それに反応したのか、人魂のようなものは少しだけ上空へ飛び上がり
煌々と照る月の光を浴びて白く輝く
輝きを纏ったそれから染み出すように血のように赤い液体が流れ出す
それらは地面に着くと二つの塊へと別れ
しばらくの高さまで集まると一つに繋がり
さらに人魂のようなものを飲み込みながら上へ上へと伸び上がり
一段細くなった部分が作られ
その上にさらに丸い部分が形成される。
見る見るうちに赤い液体は人魂を取り込み
人のような形となった
それは後ろから迫って来る人影と
大差のない姿となる。
何度も対峙した事のあるものではあったが
何処から、どのような形で現れるのかは知らなかった
人魂のようなあれが何だったかは分からないが
こうやって生まれては暴れているらしい。
「まぁ、興味はないけどね。」
つまらなさそうに私は鼻を鳴らす
だが、これで完全に二体の人影に挟まれる形となってしまった
自分だけなら速さを生かして足元を潜り抜けでもすれば逃げられるだろう
今は後ろに少女がいる
彼女はそんなことも出来ないだろうし
出来るのだとしたらここまで追い込まれることもなかっただろう。
彼女を逃がすには
何とかして前か後ろの人影を排除するしかない
ただ問題はその方法だ
体の奥に魔力が存在すること自体は感じられる
『首刈兎』の力も問題なく扱えるだろう。
だが、問題は使えたところでどうするかだ
武器を作っても前足で持つことは出来ない
咥えるぐらいなら出来そうだが
それでは握るのに比べて力が入らないから相手を切断するのは難しいだろう。
考えている間に新たに生まれた人影が動き出す
向かう方向は、無論少女のいる方向だ
後ろから来ているのもそうだが
どうやら私には一切見向きもしないらしい。
ならばいっそのこと武器を作って少女に渡し
代わりに戦わせるというのはどうだろうか
まず意図を伝える手段もないし
その上、少女の運動神経がいかほどのものかは知らないが
武器を持ったところで人影と対等に戦えるかと聞かれれば
ただの人間には厳しいのではないかと思われる。
第一に、自分の手から離れた武器が
いつまでその形を形成し続けられるかどうかは知らない
自分の制御を離れた時点で形を保てなくなり
ただの魔力の集まりとなって溶けて消えてしまうかもしれない。
(ん、いつまで保てるか分からない?)
何かが引っかかる
自分の手を離れた物はいつまで形を保てるか分からない
逆に言えば、その「いつ」が来るまでは形を保てるのではないか
たしか、以前武器を投げて使った事があった気がする
その時はすぐに回収したらそのままの形で使えたはずだ。
だとしたら、出来るかもしれない
もしかしたら見当違いかもしれない
それでも何か手を打たなければ少女の身が危ない
試してみる価値はゼロではないだろう。
「シューティングエッジ!」
体の奥の魔力が私の意思に応じて動き出す
それは体の一点に収束していく
ある程度の分量が集まるとその流れを一旦停止し
そして一息に体の外へと向けて吹き出す
体を出て空気に触れると同時に魔力は刃を形成
刃となってもそれは吹き出す勢いを落とさず
空中へと飛び出していった。
鍔も、柄も、刀身以外何も持たない刃物は
夜の醒めた空気を切り裂きながら一直線に飛び
狙った通りに人影の体に突き刺さる。
人影に痛覚などと言うものは存在しないのだろう
怯むこともなければ、刃が刺さった場所を気にする様子もない
だが、明確に攻撃を受けたと言う事だけは意識したらしい
顔をこちらへ向け、少女ではなく私の方へ足を動かす。
少女から少しずつ離れ
戦闘に巻き込まないように人影を誘導していく。
「今のうちに逃げてっ。」
そう叫ぶも、ウサギ語では通じない
状況を見守り動こうとしない少女の事は一旦諦め
私は人影の相手に集中する。
「シューティングエッジ!」
再び刃を二本作り人影の両足へと射出する
狙いは寸分違わず二本の足をそれぞれ貫くが
刃が刺さってもなお歩みを止める気配はない。
近付いてきた人影が腕を振り上げる
私は後ろに跳ねて拳の間合いから逃れつつ
さらに刃を作り人影へと放つ。
「はぁ、はぁ・・・・・・。」
いつもは一回武器を作ったらそれを使いっ放しだが
今回は一回一回作っては飛ばしてを繰り返すため
いつも以上に疲労する
まだ魔力の残量に余裕はあるが
怯む様子すらない相手に後何本差し込めばいいかも分からないため
出来る限り体力も魔力も温存しておきたい。
相手に痛覚がなく、失血もしないなら
腕や足などの部位を狙って攻撃や移動を止めることは不可能だろう
そうなると体や頭等の致命的な部位に攻撃を集中させ
致命傷を与えることを優先する方が効率がいい。
振り下ろしてくる拳を、踏みつけてくる足を
出来る限り最小限の動きで避けながら刃を作っては飛ばす
体格差の問題で足元に潜り込んでしまうと
相手の頭に狙いを付けることは出来ない
なのでひたすら狙いやすい腹部辺りに攻撃を集中させる。
何本の刃を放っただろうか
普通の人間が相手なら
既に失血で倒れているか内蔵が破壊されているだろう
それでも一切鈍ることのない人影の動きに流石に精神的に参って来る。
だが、よく見ると何本も何本も刃で貫いた腹部は
確実にその質量を減らして窪んでいた。
(これなら、やれる。)
僅かでも希望が見えると戦意も湧いて来る
魔力をさらに操り刃を形成、そして射出
このまま体に穴が開くまで何本でも撃ち込んでやる。
普通に武器を振るうのに比べると
圧倒的に効率は悪かったであろう
それでも何十本と撃ち込まれた刃は
少しずつその身を削っていき
一番深い部分が背中へと到達しようと言う頃
ついには人影は形を保てなくなり溶けて地面へと染み込んだ。
「や、やった。やったわ。」
思わず口から声が漏れる
かなりの魔力を消耗したが
どうにかあの人影を退けることが出来た。
少女の方へと駆け寄り
まだ完全には状況を把握しきれず困惑した顔をしている少女に向け
もう大丈夫だ、と言う意味を込めて
少し誇らしげな顔をして鼻を大きくならす。
「こ、これでもう大丈夫なんだ・・・・・・あっ!」
少女が後ろを振り返って顔を上げる
私も釣られてそちらの方向へ顔を向ける
そこには、もう一体
後ろから追って来ていた人影がすぐそこまで迫っていた。
一体を倒すのに集中しすぎて忘れていたが
そもそも私達は追われていたのだ
振り切ったわけでもないから当然それはやって来る。
どうするか
戦うだけなら出来ないことはない
ただ、一体を倒すだけでもかなりの体力と魔力を消耗した
もう一体同じ手順で戦うとして
最後まで魔力が足りるかどうか。
それでも少女を見捨てられない
私は刃を生み出すと距離があるうちに顔面へと目掛けて射出
明確にこちらの殺意を認識させ、注意を引く。
再び長い戦いが幕を開けた
迫り来る拳や足を避けつつ
着実に刃を撃ち込んでいく
やることそのものに変化はない。
だが、変化はすぐに訪れた
さっきから休むことなく小刻みに飛び跳ねては
相手の攻撃を避け続けた私の足に負担が溜まっていた
振り下ろされた拳を最小限のステップで避けはしたものの
着地に失敗して転びそうになる。
急いで起き上がるが
その時には既に人影が迫っている
接近した人影の体が月明かりを遮り視界が暗くなる
そして振り上げられた足が自分の体を目掛けて降って来る。
「ぐっ。」
踏みつけられた背中が痛みを発する
さらに人影は足に体重を乗せてくる
私は地面に押さえ付けられ、肺から空気が漏れ出す。
「この、どきなさい。」
言葉にならない声を発する
両足に力を入れて、何とか立ち上がろうとするが
人間と同じ形の人影相手では体格差がありすぎて
いくら踏ん張ったところで足はぴくりとも動かない。
「兎さんから、離れてっ。」
横から少女の声が飛ぶ
そちらに目をやると
持っていたハンドバッグを振りかぶって人影に殴り掛かるのが見えた。
少しだけ背中に加えられている力が緩む
その隙に足の下から大急ぎで抜け出す
危なかった
そしてこれ以上長期戦になると危険だということが感じられた。
刃を飛ばす以外に効率よく攻撃する手段はないか
少し思案する
出来ないことはない気がする
ただ、自分一人では実行できない
果敢にも人影に立ち向かって私を助けてくれた少女に期待するしかない。
私は手近なビルの壁際に立つ
『首刈兎』の力で兎の体に合わせた小さな刃物を作り、それを咥える
あまり力は入らないが首を振ってビルの外壁にそれを叩き付ける
何度も刃を叩き付けてる姿を気にして少女が近寄って来る。
私を上に投げて
ビルの壁に刃で無理矢理刻んだ文字列を見て少女が驚く
そして頷くと、私の体を掴む
ちゃんと私の意図は伝わっただろうか。
良く分からないながらも少女は天へ向けて私を放り投げた
体を丸めたまま私はどんどん上昇して行く
空中で身を捻ってビルの方へと向き直る
ある程度の高度に達し、上昇する力が弱まって来た時
私は後ろ足を一気に伸ばしてビルの壁を蹴り飛ばす。
さらに体が上へと向かう
空中で一回転しながら眼下に人影の姿を確認する。
「ヴォーパルナイフ!」
ビルの壁に文字を刻んだ小さな刃物を捨てて
人間用の大きなサイズのナイフを作る
咥えられないので両方の前足と顎を使って固定する
掴んだナイフの重みが重力に引かれて
ナイフの切っ先を真下に向ける形となる。
壁を蹴って体が上昇する力を
重力が体を大地へと引っ張る力が勝る
後に始まるのは急速な落下だ。
兎の体に武器を振るうだけの力はなかった
だが、私の体は武器を振るうよりも大きな重力加速度を伴って
吸い込まれるように一直線に人影へと落ちて行き
その脳天へとナイフの切っ先を突き刺した。
人の体とは違う柔らかい感触を私に伝えながら
重力に導かれるままに頭から足元まで
ナイフは私に抱えられたまま人影を引き裂いて落ちて行く。
カチンッ
アスファルトに当たって硬い音を立てて
私の体ごとナイフが弾かれる
その反動でしばらくの距離を転がった私が
起き上がって振り向くと
人影が地面へと溶けていく姿が目に映った。
その次の日
私は公園に戻ってゆっくりと眠っていた
体力も魔力も消費しきっていて
体を動かすのも億劫だった。
「る~る~、る~・・・・・・♪」
聞きなれた歌声が耳を打つ
私はまだ重い体を起こし
その様子を見に巣穴から外へ出る。
すっかり見慣れた姿の少女が公園で歌っている
人影を倒し安全を確保した後
私はすぐさまその場を離れたから顛末は知らなかったが
どうやら少女は無事だったらしい。
そのことに安堵してほっと息を吐く
その姿に気が付いた少女は歌うのをやめてこちらにやって来る。
「兎さん、昨日は助けてくれてありがとね。」
しゃがんで私の耳元に口を寄せると
そう呟いた
そして立ち上がると
肩辺りで切りそろえられた綺麗な黒髪に縁取られた顔に
満面の笑みを浮かべて再び歌い出した。
今まで何度も魔力を使って戦い続けて来た
それは日常から逸脱した行為であり
誰にも理解されたことはなかった。
だからこそ
初めて魔力を振るって得ることが出来た感謝の言葉に
私の心は今までにない感覚を覚えていた
必死になってあの人影から少女を守ってよかったと
心の底から思う。
「何、二人して内緒話?」
横から灰色兎が声を掛けて来る。
「いいえ、何でもないわ。」
何事もなかったかのように私は答え
そして、歌い続ける少女に視線をやった
昼が終わり、少女が去って行くまで
いつまでもその姿を見続けていた。
 




