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episode.6 小さき刃に捧げる歌 ─前編─

桜の季節がやって来た

ここ、ウサギ公園に植えられている桜も見事に満開だ

穏やかな気候に美しい桜

兎も、人も、皆が浮かれていた。


「ほぅら、飲め飲めー。」

「あん? 花より団子ってか?」


普段はどちらかと言えば静かなこの公園も

いつもより多くの人間がやって来て

床にシートを敷いて飲み食いしながら

桜を楽しんで騒いでいる。


「はぁ、毎年のことだけど

 もうちょっと別のところでやってくれないかなぁ。」

「こんな気持ちのいい日はゆっくりお昼寝したいのに・・・・・・。」


人間達の賑やかな声は

耳のいい兎達にとってはいい迷惑である

普段は余り互いに干渉しない兎達ですら

愚痴を言い合ってるぐらいである。




それから数日したある日のこと

私が巣穴で昼食を摂り終えて休んでいると

外から可愛らしい人間の歌声が聞こえて来た。


「る~るるる~、るる~♪」


歌詞は付いていないが綺麗な声だ

それでいて元気に満ち溢れ

聞いているだけで何だか楽しくなって来る。


私は興味が湧いて巣穴から出て行き

声の主を探してみる。


歌っているのは十代後半ぐらいの少女だろうか

見たことない顔だ

そもそも、オフィス街であるこの辺りでは

どちらかと言えば年配の人間の方が多く

ここまで若い人間を見ることは珍しい。


さらに言えば

少女が着ているのは清楚な白いブラウス

その上に薄緑色の長袖の薄い上着を羽織って

膝の少し上ぐらいの長さしかない短パンをはいている

スーツ姿の人間が多いここらでは異質とも言える格好だ。


「る~る~、る~・・・・・・♪」


少女の姿を観察しているうちに歌が終わる

手があったら拍手をしたいところだったけど

生憎ながら前足でそれは出来ない。


一曲を歌い終えた少女は暑くなったのか

汗を拭い羽織っていた上着を脱ぐ

そして春の陽気を一杯に吸い込むと

次の曲を歌い始めた。


「あなたに会えるその日まで、夢の中であなたを想う~♪」


今度は歌詞のある歌だった

私は人間の音楽には詳しくないけど

決して大きい声ではないのに

良く澄んで良く通るその声は

素人のものではないと察せられた。


「ほえぇ~、随分歌の上手い子だね~。」


歌好きの灰色兎がいつの間にか隣にやって来ている

二人並んで少女の歌を聞く

木漏れ日を浴びて

舞い散る桜をその身に受けながら歌う少女は

どこか特別な存在に見えた。


そうして少女は歌を歌い終わる

そこに拍手も喝采もなかったが

並んで座って見上げている二羽の兎の視線に気付くと

しゃがみこんで目線を合わせて。


「兎さん達聞いてくれたの? ありがとうね。」


そう言ってこちらに笑いかけた。


「っと、もうこんな時間!?

 帰らなきゃ。」


公園の大時計に目をやって少女は慌てる。


「またね、兎さん達。」


もう一度こちらを向いて小さく手を振り

そのまま駆け出して行く。


その日から何日かおきに少女は公園へ遊びに来るようになった

昼にやって来ては

私や灰色兎の前で何曲か歌って帰る

その繰り返しだった。


彼女が誰で

何のためにここで歌っているのか

それは分からなかったけれど

最近の楽しみとなっていた。




そうしてしばらく時が経ち

桜のシーズンも終わりに近付いて来た頃

また私は人間の姿になった。


咲いた桜はその半分以上を散らせていたが

それでもまだ花見の客は絶えなかった

つまり、公園には人が多いわけで

この姿でいると非常に目立ってしまう。


仕方がないので公園から逃げるように出て行く

やましい事は何もないが

この姿を見られると厄介事になるのが想像に難くないので

人気のない路地の方へと向かう。


いっそのこと美咲丘(みさきがおか)方面へ逃げることも考えたが

この前遠出をした時に自分から首を突っ込んだとは言え

厄介事に巻き込まれたことを思うと

あまり遠くへ行きたい気分ではなかった。


公園以外は取り立てて人が多いわけではない

それでも念のためあまり人が来なさそうな路地を選んで歩く

すると、珍しいことに細い路地に人だかりが出来ている。


気になって少しだけ近付いてみる

赤く染まる空に立ち上る煙

そして、立ち込める焦げる様な臭いは

すぐに炎によるものだと分かった。


人だかり越しに赤くて大きい車が見える

その車体からは長いホースが伸びており

その先端付近を重武装の人間が持っている

ホースの先からは勢い良く水が飛び出すのが確認できる。


「火事、ね。」


私はつまらなさそうに呟く

既に消防も到着して活動しているし

野次馬がある程度いる中に突っ込む必要性もない

興味をなくした私はその場から立ち去った。


その夜は特にそれ以上何事も起きず

花見客が帰った頃合を見計らって

公園に戻り夜桜を眺めつつ夜を過ごした。




次の日も花見客は絶えない

しかも休日だったのだろうか

朝の人通りが少なかった分

昼から騒ぎっぱなしの連中まで出てくる始末だ。


夜になっても花見客はなかなか減らない

人の姿になるのは数十日に一回なので

兎の姿のままだし公園にいても問題はないのだが

この日は数が多い上にことさら騒がしかったので

嫌になってオフィス街の方へ逃げ出した。


やはり今日は仕事休みの日なのだろう

オフィス街の方は公園の喧騒と比べて

いつもにまして静かである。


その静かな街並をゆったりと歩きながら

兎の姿のまま夜に街へ出るのは初めてだと気付く

人の時とは違った目線で見るビル群は

いつもより高く、威圧感のあるものに感じる。


ウサギ公園から外へ出る兎は非常に少ない

だからこんな場所を兎の姿のままで歩いているのは

それはそれで騒ぎになりそうな気がしなくもなかったが

人通りが少ないのをいいことに散策してみる。


適当な角を曲がると

正面から一人の少女が走って来る

随分焦っているのか

私の小さな体には気付かずに通り過ぎて行く。


走って通り過ぎてしまったために

その顔は見えなかったが

見覚えのある薄緑の上着に

背格好も記憶の中のものと一致する。


(あんなに急いで何処へ行くのかしら?)


私はちょっと興味を覚えて追うかどうか考える

そこにもう一人小走りに走って来る人が

いや、それは人ではなかった

何体も見かけたことのある、あの赤い人影が迫って来ていた。


何故こんな所に

美咲丘では何度も見たことあるが

この街では過去に出会ったことはない

しかも見知った少女を追っている。


人影が私のいる場所を通り過ぎる

その先では、少女が息を切らせて止まっている

このままいくと、人影は容赦なく少女に襲い掛かるだろう

あれは周囲の人間を見境なく攻撃する

そう言う存在だというのはこれまでの経験で分かっていた。


あの人影を止めなければ

そう思うが、今日は兎のままである

人の姿を取っているなら『首刈兎(ヴォーパルラビット)』の力で武器を作って

あれを倒すことは容易いが

兎の体では武器を持つことなど出来やしない。


だが、彼女が人影に襲われるのを黙って見てるわけにもいかない

少し悩んだ末に仕方なく走り出す

そのまま人影の足に向かって飛び掛る。


この小さい体では多少勢いをつけたところで

相手を転ばせることすら出来ない

少し怯んだ程度で、すぐに動き出す。


止められないと分かった私はそのまま少女の方へ走る

息を切らしている少女の足元から一声かける。


「こっちよ、急いで。」


だが、口から出るのはブゥと言う鳴き声だけ

それでも少女は私の存在に気付き。


「あれ、兎さん何でこんな所に?」

「理由はいいから、今はあれから逃げるわよ。」


当然会話にはならない

それでも私が細い路地へ駆け込むのを見て

案内してるのを察してくれたのか着いて来てくれた。


赤い影からの、夜の逃走劇が始まる。


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