第2話 真雛
月曜日はあまり自分の事を考えたくないものだ。これから一週間の仕事量を想像すれば、そんなことに余力を裂いている余裕はない。最低限の世界に彼女の視界は調整される。ふと気がつくと自分の部屋から駅まで誰とすれ違い、なにを視界に入れてきたかも既に忘れていることがある。そんな省エネ姿勢で電車に乗り込み会社へと向かう。
大学を卒業して早くも7年が経過しようとしていた。真雛は中堅の女子大学を卒業後、先輩の紹介もあり今の会社に入社した。当時は景気の不況で就職難が騒がれた時代だったが今となってはどこ吹く風というばかりに新入社員数は年々増加する一方だ。同年代の知り合いは職場も含め7割が寿退社を果たし、輝かしい第二の人生をスタートさせている。高校の同窓会でもみんな様変わりしていた。当時の親友とよばれる仲間もほとんど母親になっていて、やれ子どものオムツがどうだの、二足歩行が数秒できるようになっただのと、正直話の輪に入って行けなかった。最後に出席した同僚の結婚式では、さすがにこのままでは自分は埋もれていってしまうと感じ、気分を一新するために転職も考えた。しかし、周りで再就職に成功している知人はごくわずかで、そのほとんどは辞めたものの再就職先が見つからなかったり、前職よりハードだった為、結局続かずに実家に帰っていたりという有り様で、今の年齢と能力を考えるとそう簡単な問題ではないと感じていた。さらに真雛には追い討ちとばかりに予期せぬ出来事が起こっていた。昨年、結婚をなんとなく想定しあっていた相手と4年間の恋愛に終止符を打ったのだ。それ以来現在にいたるも、これという有力なパートナーは現れていない。なぜなら…
(以前の彼よりもグレードの高い人としか付き合わない。でないと友達を結婚式に呼べないし、それになにより前の彼を見返さないことには気が済まない。絶対に別れたことを後悔させなければ…!!)
真雛の本音はこんなところだった。
そんな時、いつものようにみんなと昼食を取っていると「辞めていった懐かしいあの人」の列挙が始まった。
「ほらほら会計にいた野口さん」
「あああ、いたね〜、どうしてんだろ、今。」
「なんか結局同じような職種についているらしいよ」
「ここを止めたときは”アルカトラズからの脱出”とか行き込んでたのにね。」
野口と同期だったことを思い出した真雛は笑えなくなった。なぜなら今のフロアーではいつの間にか自分が古参兵の仲間入りをしていることに気がついたのだ。それは非常に由々しき状態であった。時間はただ過ぎ行くものだと思い知らされる瞬間だった。
つまるところ自分自身で理由を付けて行かなければならないのだ。集団的な行動は小回りが効かず大儀の中であらゆる個性を犠牲にしなくてはならない。またそれは自己の欠落を補えるような一貫した錯覚を見出ださせてくれる。その結果、振り返っても後には何も残ってはいない。そしてそれを青春と銘打ち、さも形あるものとして自らの記憶に躊躇なく格納することが許されるのだ。それだけは避けたかった。
この不条理な時間の速度に真雛は恐怖を感じた。目的も出会いもない社会と家との往復の生活は、これからも今までの出来事をそのままを延長上に繰り返すだけだということは目に見えていた。しかし焦りはするものの突破口は一向に見えてこない。今までの様にOLを演ることに少し疲れを感じる年齢になってきていた。鬱屈した気分に覆われたとき真雛は決まって一人で新宿にあるジャズのライブハウスに行く。演奏者が観客を楽しませようと、演奏や他愛のないトークを一生懸命にやってくれる姿が、少しだけ彼女の空いた心の隙間を埋めてくれるのだ。そんなとき、きまって見知らぬ男性が話しかけてくる。肩は見せても下にはパンツをはくガードの固さがある。つまり真雛にとっての他人ないし異性とは自分の寂しさを紛らわす手伝いをさせているのだ。そして大きくたばこを吸い、ウィスキーのグラスを空ける。
ライブハウスからの帰り道、ふと酔いがさめるのとまた昼間の悩みを頭の中で悶々と繰り返すのだ。
「…ちきしょう」
問題なのは年とともに出来る事が心身ともに、ひとつひとつ無くなっている状況に何の手も打たないことだった。せめて目的意識や生き甲斐を持って時間と向き合っていたい、手に取れる形を残しておきたい、そういう焦りの気持ちは大きくなりすぎて押さえ込めなくなって来ていた。
(もし生き甲斐というものがあるなら、年老いていくことだって受け入れられるのに。)