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ベロニカの断罪

彼女が人生で最高に輝いた最悪の日を、私は生涯忘れないだろう。


あの日、アグネスがマリーの部屋(マリーとアーチャーは扉を隔てた一室を与えられている。アグネスは女中部屋に隔離(・・)した)に呼び出されたので、私はアーチャーに会いたいふりをしてついていった。


「昼間はなかったんだけど、見覚えのない瓶が化粧台にあってねえ。アグネス。捨ててきてくれない?」


そう言って、マリーは青い小さな瓶に入った液体を傾けた。

仕込まれた毒物をアグネスに処理させることは、割と日常的だった。

 私には、せめてアグネスが怪我をしないよう、毒物の種類と扱いの本を彼女の枕の下につっこむくらいしかできなかったけれど。器用な彼女はわりとすんなりその役目をこなせるようになっていた。


「え…! なにこれ!!」


傾けたことで、瓶の中身が何かに反応したのだろうか。液体がシューっといった。思わずアグネスになげつけた瓶は、彼女の額にあたって砕けた。


「ぎやああああああああ!」


続いて、いつもおとなしいアグネスの絶叫。肉が焼ける嫌なにおい。アグネスを正視したアーチャーが過呼吸をおこしてのたうちまわった。


「アーチャー! どうしたの! しっかりして!!!」


倒れたアグネスを一瞥もせず、アーチャーに駆け寄るマリー。本当に、本当に、嬉々としていた。彼女は、身内が悲劇をその身に浴びると輝くのだ。毎日警戒している私に「こんな美しい女がこの世にいるなんて」と感嘆させるほどに!

彼女は侍女に命令して、アーチャーを別の部屋に移動させ、それについていってしまった。

同時進行で私は私の護衛に命じて、アグネスの搬送と治療を急がせた。


命は助かったものの、アグネスの肌にはひどいケロイドが残り、黒く艶やかな巻き毛は茶色く哀れな縮れ毛に化け、どこか高貴にも見えた美貌は失われた。




事件のあった夜、私はマリーとお父様を「重要だけど、家族が病気なら欠席やむなしの夜会」に行かせた。

マリーのことだ。看病と称して、点滴を引っこ抜くかもしれない。包帯を引き剥がして「可哀想なアグネス! でも愛してるわ」と、頬ずりするかもしれない。


「本当、気色悪いったらないわ…」


アグネスの私室でつぶやいたひとりごとを、アーチャーに聞かせたのは、気まぐれだっただろうか。必然だっただろうか。

アーチャーは妹をかばったりはしないけれど、母がいないときに母に代って意地悪をするほどのクズでもない。


「申し訳ございません。アグネスが…アグネスが、至らないばかりに」


でも、それを聞いた瞬間、「アーチャーを極力傷つけまい」という矜持は消えた。

そりゃあ、普段の私の態度ときたら、乳姉妹を疎ましく思っているようにしか見えないだろう。そのくらいしなきゃ、大人のマリーを出し抜けないし。

でも、そういう話じゃない。そうじゃなくて、アーチャーも加害者だと思い知ったのだ。


「ねえ、召使たちの噂で聞いたんだけど。アグネスとあなたって異父兄妹よね?」


いつもマリーに甘えて、アーチャーにも甘えて、アグネスには辛辣な私の、心から人を蔑む視線に、アーチャーがたじろぐ。

「え、いえ。その」

「ま、似てないしね」

「……」

「アグネスが社交界に出た時、出生がばれたらマズい人に似てるんでしょ? だから、ハウスメイドにしておいたってとこかな? まあ、犯罪者の娘ってばれるよりはマシね」

「お、お嬢様のお耳に入れることでは…」

「かまわなくてよ。私も知りたいもの。私の母となる方が、悲劇の末にこの地にたどりついたのか。それとも下世話な噂どおりの女なのか」

「母は…母に非はありません!」

いつになく感情的になったアーチャーが、幼い日のことを語り始めた。

父親が殺された横で、自分が殴られ、母親が犯された。そして、アグネスが発生した。

子供のころはわからなかった行為の意味を知ったとき、一晩中嘔吐して、過呼吸をおこして、病院に運ばれた。必死に看病してくれる母に、とてもすまないと思った。

無力な子供が、残酷な場面をまざまざと見せられて。心が傷ついても、その傷が治らないまま青年になっても、なんら不思議ではない。


「聞き苦しい過去を…申し訳ございません。しかしアグネスは母に救われた、とも言えます」


病室の白いカーテン。

こんこんと眠り続けるアグネス。

背の高い少年が、優しい眼差しで寝顔を見下ろす。


「あの男の罪を受けて生まれたこの子が、あの男の特徴を失った。アグネスの罪が消えたのです。見た目は醜いかもしれません。ですが、今のアグネスは生まれてからいちばん美しく、いとおしい」


それを聞いた瞬間、自分が令嬢であることを忘れた。

ブローチを外してこぶしを握り、そのまま彼の横っ面を殴り倒したのだ。頬の皮膚が切れて、血が流れた。


「気色悪いのは、あんたたちよ! アーチャー・ウェーリー。そしてマリー・ウェーリー!」




この日から、アーチャーの前で猫をかぶらなくなった。

マリーが包帯の上から力加減なくアグネスに抱きつけば、私はアーチャーの頬の傷に容赦なく頬ずりした。

マリーが「アグネスが初潮を迎えたのよ!うれしい」と下着を見せてまわった翌日は、彼の下着に家紋を刺繍して学校の屋上から投げた。

マリーがうっかりアグネスの食事に虫を入れたときは、彼女づらして昆虫サンドイッチ(蜂の子とかイナゴとか食文化的に常識の範囲だけど)を差し入れした。もちろん、マリーがアグネスにしたように、完食まで笑顔で見守った。

マリーが除菌と消臭と称してアグネスの部屋に泥炭をまいたときに初めて、アーチャーがそれを片づけはじめた。

「明日の朝いちばんに、ロッカーに泥炭を詰めて差し上げようと思ったのに…。ほら、マリーも言っていましたわよね? 泥炭には消臭効果と殺菌効果があるんでしょう?」

と、ふたりきりになったときに耳元で囁いたら、「ひ!」と言って逃げだした。


たぶん、ロッカーの前で一晩明かしたのだろう。マリーの後始末をあなたがちゃんとすれば、マリーの行動をなぞったりしないって言ったんだけどな。


脅しすぎて壊れるかと思いきや、意外にも徐々に理解を示すようになってきた。

以前の彼は、情緒が人間未満だったのだと思う。

人類に進化したアーチャーに、ゆっくりとレクチャーした。


アグネスにはひとつも罪がないことを。

かつて被害者だったマリーは今、司法で裁かれるほど酷い虐待を繰り返していることを。

いつか、マリーの「子育て」をアグネスがなぞってしまうかもしれない危険性を。

それから、父がマリーのことを1ミクロンも愛してないことを話した。彼にとって、マリーと子どもたちは私的な研究対象でしかない。

偽装婚約で、偽装結婚で、新婚旅行先が入院施設だってことを伝えた頃には、アーチャーはあまり驚かずに納得していた。

そして、「治るのかな…」と、つぶやいていた。


アーチャーの闇も、けっこう深い。


私は彼をさんざん利用した。必要以上に傷つけたし、ふりまわした。面倒見る気がないから触れないけど、おそらく彼は不能か、それに近いと思う。幼少期のトラウマや母親以上に、私に原因がある気がする。

そう、罪は私にもあるのだ。

後悔も反省もしてないけれど。

こっちだって夢を壊されたんだから、いわば痛み分けだ。


アグネスと、同じ学校に通いたかった。たとえ医者になれなくても、アグネスがいい人を見つけて結婚したとしても、離れ離れになる未来があったとしても、一緒にパーラーに行ったり、宿題をしたりして学生時代を楽しみたかった。


でも、できなかった。仲良くしたら、かばったら、アグネスがより辛い思いをさせられるって、知ってたから。


切り刻まれたドレス。ぬいぐるみ。制服。


気付かないくらい、馬鹿で鈍感に生まれたらよかった! 

例えば、そう、アーチャーのようにね!





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