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アーチャーの手紙

親愛なるアグネス



この手紙を読んでいる君は、心身ともに回復に向かっているのだろう。君の生命力と、神の保護に、深く感謝を捧げたい。


と書いたら、この手紙の内容があまり善いものではないと、聡い君は察するだろう。


この手紙に、君にとってショッキングなことを書く。


正直、知らない方が良い気はしている。けれど、外部から噂という形で中途半端に聞くくらいなら、身内から真実を知らされていた方が、幾分マシだと僕は思っている。

君には、宰相家の全てを恨む権利があると。


さて、君は宰相家で厄介者扱いをされ、最北の寺院に捨てられた。そういう認識のはずが、思ったより待遇や居心地が良くて、戸惑っている。そんな感じかな?


気がついたかもしれないけれど、北の寺院は精神が疲れた人が療養するための、保養施設だよ。

修道女や修道士たちは全員、医者や看護師、薬師やカウンセラーなどの免許を持っている。


ここに君を保護するためには、親権者の許可が必要だった。もしくは、成人になった君の意思か。

もっと早くに母さんたちが再婚していれば、宰相様が親権者になり、君の処遇をいかようにもできたのかもしれないけど。

けど、母さんと宰相さまが結婚しても、君の親権が彼に渡ることはない。

というか、君の親権が他所に移ってしまう可能性があるから、宰相さまは君が成人するまで再婚を待ったんだ。


結論からいうけど、僕と君は異父兄妹だ。…と、思う。

母さんに似ていない君は、父親似の僕にも似ていない。そのかわり、君の父親と思われる男とは、驚くほど似ている。顔の怪我がなかったとしても、君の社交界デビューを見合わせるほどに、だ。


君の父と思われる男は、ダレウス・ローファンという。

僕たちの故郷を統べていた、元伯爵さまだ。


君が生まれる前、母さんはローファン伯爵家で乳母をしていた。父さんは騎士で、やはり伯爵家に仕えていた。

仲睦まじかったふたりを引き裂いたのが、ダレウス・ローファン伯爵だった。

その日のことは、無情なくらいはっきり覚えている。

ダレウスは父さんを殺し、泣き叫ぶ僕を殴り、冷たくなってゆく死体の前で、母さんを犯した。


貴族の犯罪はもみ消される傾向があるとはいえ、殺人と強姦と暴行と幼児虐待の現行犯を見逃すほど、伯爵領の司法は甘くない。というか、彼を陥れて地位を欲していた人間や、彼の統治に不満を抱く層が、一定数いたんだと思う。


ダレウスは伯爵位を剥奪され、貴族の凶悪犯専門の刑務所に収容された。

でも、完全な被害者だった母さんは、実家に帰らせてもらえなかった。元伯爵を誘惑したのだと、内外から因縁をつけられたからだ。

特に、元伯爵夫人やそのとりまきからは、死んだ方がマシな折檻を受けた。

あの時期、たまたま宰相さまがあの地を視察に訪れなかったら。考えただけでも、ゾッとする。

君は流れ、僕と母さんは生涯、あの連中の慰み者、もしくはサンドバックだっただろう。


母さんは保護されてしばらくして、乳母として雇われることになった。

悲惨な目にあったにもかかわらず、君を堕胎しようとはしない崇高さが、奥様の琴線に触れたらしい。

母さんは、子どもに罪はないと、愛おしげに腹をさすっていた。

奥様も満足げに微笑んでいた。

その横顔は、聖母がふたりいるようだった。


母さんが無事な出産を迎えた3ヶ月後、奥様が亡くなられた。産褥熱で、あっけなくこの世を去ってしまった。

この時から、母さんの中の何かが崩壊しはじめた。

心から愛を告げ、ニコニコ笑いながら、君の首を絞めたり、窓から落とそうとしたり。


我が子を愛せなくても無理はないと、養女に出そうとすれば、全力で拒否する。

「敬愛する奥様を失った私から、愛するアグネスまで奪わないで!」と。

君と同じ年のお嬢様を、それこそ珠のように可愛がった。

息子である僕を溺愛した。

君には、寒い日に暖炉のそばで呆れるほど着込ませて熱中症にさせたり、暑いからと吐くまで冷たいジュースを飲ませたりした。それが、彼女の子育てだった。


被害者だった母さんは、日々罪を重ねた。今や、完全な加害者だ。

実の母子でも訴訟可能だし、間違いなく有罪判決だろう。

僕も証言台に立つよ。母さんだけでなく、僕と宰相様の罪を問うことも可能だ。ベロニカお嬢様だけは、難しいと思うけれど。君が望む日がきたら、いつでも。


諦観しながらも、母から愛されたい願いを捨てきれない君に、朗報だろうか、悲報だろうか。

母さんは、真実君を愛していると思う。

ただ、彼女の愛は、独特すぎる。

君に理不尽を強いることが、君を幸せにすると信じて疑わない。そういう狂気にとりつかれている。

狂気は伝染して、僕もたまにおかしくなる。

君の顔が酸で崩壊したとき、なぜか正しいことだと思ってしまったんだ。

だって、ダレウス・ローファンと似た顔がこの世から消えて、かわいい妹だけが残ったのだから!


…我ながら、気味が悪いな。


そうそう。君を遠くに逃がした立役者は、妹思いの兄ではなく、君が大嫌いなベロニカお嬢様だよ。


お嬢様は、僕に夢中なふりをして、母さんから気をそらし続けていたんだ。

彼女曰く、「アーチャーに首ったけで、その母に媚び、仲間はずれのアグネスをいじめる、ワガママなお嬢様」って設定なんだって。


実際は、乳姉妹の君をひとりで守ろうとしていた。


僕はね、ふたりきりになると、彼女に罵倒されてばかりいるんだよ。殴られたこともある。

「被害者ぶるな。このマザコン野郎」って。

それが、お嬢様の口癖だ。晩餐会の時も宰相様よりお嬢様が怖くて吐きそうだった。


人前では「この世で1番大好き、愛してる」ってとろけそうな声で、何かとふたりきりになりたがる姿は、君もウンザリするくらい見ただろう?

演技だったんだよ。あれ。全部。

ふたりきりになれば、容赦なく罵倒された。


お嬢様によれば、母さんが君にしていることを、彼女が僕になぞってるだけなんだって。

「あそこまで徹底はできないけどね。私にも、人としての矜持があるから」とも言われたけど、十二分に苛烈だった。


ベロニカお嬢様は、繰り返し語ったよ。

母さんのしていることがいかに理不尽かを。母さんに必要なのは治療であって犠牲の子羊(アグネス)ではないことを。

真実は、耳に痛いものだ。

逃げても泣いても耳をふさいでも、こんこんと説教され続けた。


母さんは妹に躾をやりすぎる面もあるけれど、家族の問題だ。お嬢様とはいえ、他人が口出すことじゃないと、僕はずっと思っていた。

お嬢様には、「加害者って自覚ないわね」と鼻で笑われたけどね。


母さんの病気は、「代理ミュンヒハウゼン症候群」と言うらしい。どんな医学書にも書いてないけど、若い頃に医学を志していた宰相様が書いた論文と考察は、あまりに的確だった。ぐうの音もでないほど母さんそのものだった。


母さんは、不幸に打ち勝ち、献身を賞賛されることが、なによりの生き甲斐なんだ。

だから、躊躇なく君を、病気にも、ケガ人にも、障害者にさえしてきた。何の罪悪感もなく。憎しみもなく。


間違いなく、母さんは加害者だ。

だけど、加害者はひとりじゃない。

君を養女に出さなかった宰相様もだし、父を殺した仇の娘が虐げられる様を当然として傍観してきた僕こそが加害者だ。


アグネス、ごめんなさい。


君の人生が始まった原因も、母さんが狂ってしまった理由も、君が虐げられる理由にはならない。


君をずっと傷つけてきたのは、母さんの狂気から君を守らなかった僕だった。君が傷つく度に、父さんを殺したダレウスが傷ついているような錯覚、感動を覚えた僕だった。


僕たち母子は、ダレウスの罪を、君に背負わせていたんだ。

ぼくたちが、君を生贄にして傷を癒してきたんだと、ようやく理解できたんだ。


あの狂った家の中で、ひとりで正気を保っていたお嬢様に罵倒されるわけだよ。

大事な乳姉妹をいじめた相手に、常識の範囲の報復にとどめた精神力に、今となっては驚かされるばかりだ。


アグネス。君の人生は君のものなのに、僕たちは15年間も踏みにじってきた。


ごめんなさい。


ごめんなさい。

ごめんなさい。


どうか、僕と母さんのいない場所で、自由を満喫してください。

どうか、どうか、幸せになってください。


君の自由と幸福を、誰より深く祈っています。





愛を込めて アーチャーより。











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