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アグネスの独白

リアルで母子関係が辛い方にはお勧めできかねます。

ご了承ください。

私はこの国の宰相の、後妻になる女の娘だ。

お母さんとお兄ちゃんは、宰相様とお嬢様とディナーを楽しんでいるけど、私は給仕をしている。理由は、ハウスメイドだから。


私と同じ年のベロニカお嬢様は、茜色のドレスでナイフとフォークを持ち、私、ことアグネスは黒い給仕服でピッチャーを持っている。


お母さんは始終ニコニコしていて、お兄ちゃんは始終チラチラこちらをみている。

宰相様は始終お母さんを見ていて、お嬢様は始終お兄ちゃんを見ている。


草食動物と肉食獣が、同じ檻にいる感じかな。


捕食者たちは、醜い私には見向きもしない。食事が喉を通らなくなるほど、目鼻が潰れた不美人だからだ。

誰もに目を背けられる容姿になったのは、お母さんから故なく酸をぶっかけられたせいだけど。


とにかく、ここは長居したくない檻だ。


私は影の様に給仕をしながら、いつでも仕事を辞める算段をたてている。

宰相様のお気に召す身の振り方をしなければ、存在を消される可能性があるから、慎重に。慎重に。

私が消されたら、お母さんは大げさに嘆き、宰相様は庶民としてはかなり立派なお葬式を挙げるだろう。人生で1番華やかな時間がお葬式なんて、イヤすぎる。


そもそも、宰相が乳母を後妻に迎えるなんて、あまりに一般的でない。身分が違いすぎる。

その上、2人いるはずの連れ子がひとりしか来ないとあっては、かなり外聞が悪い。

でも、見た目が醜悪すぎる私が宰相家の一員になるなんて、絶対に許されない。魔物を飼うようなものだ。

そこで、独立だ。

この国の法律によれば、15歳以上は個人で戸籍を持てる。

お母さんと宰相様は私が来月の2日、私が15歳になった1週間後に結婚式を挙げるんだそうだ。

私に給仕をさせ、それを聞かせるってことは、15歳になったら速やかに出て行け、ということなのだろう。つまはじきにされた連れ子が家出をするのはダメでも、成人した連れ子が独立するのはOKとか。宰相様は実に法律に詳しい。当たり前か。


ひとり、またひとりと、宰相様が指示をだして、メイドたちが別室に下がる。

やがて、給仕がわたしひとりになった時、お母さんが無邪気に毒を吐いた。


「アグネスちゃんは、私たちが再婚したら、どこに住みたいかしら?」


お母さんの夢見る様に微笑みに、宰相様はいかにもクリーンな政治家ですって笑顔を浮かべた。


「どこでも」


お兄ちゃんの顔がますます青ざめる。わたしは努めて冷静に頭を下げる。

言いたいことは山ほどあるが、まだだ。

まだ、発言を許されていない。


「ねえ。アグネスちゃん。アグネスちゃんは結婚式には来てもらえないけど、ずーっとお母さんの娘だから、ずーっと大好きだから、やりたいように生きる応援、しちゃうよ」


三十路を五年も過ぎてその喋り方っていったい。


「まあ! マリーお母様ったら、お優しいわね。ねえ、アーチャー?」


お嬢様が大げさに手を叩いたけど、まだ。

私とお兄ちゃんに発言権はない。


「意見があるなら、発言を許そう。アーチャー。アグネスをの未来はどうしたら輝くと思う?」


お兄ちゃんの眼差しが、一瞬怒りに燃えたことを、宰相様は気がついただろう。

でも、堪えた。なんとか耐えた。


「教育を」


宰相様の笑顔は、ピクリともしない。

お兄ちゃん、がんばれ。それは不正解だよ。私に知恵なんかつけてほしいわけがないじゃん。


「…この顔では学校は無理ですね。手先が器用ですから、修道院ならば重宝されるのでは?」


「ふむ」


宰相様が破顔した。

よかったね、お兄ちゃん。正解だね。


「まあ、こんなに若くしてシスターをめざすなんて! アグネスは高潔で素晴らしいわ!」


しなだれかかるお嬢様がウザいと思うけど、頑張って!


「アグネスちゃん、本当に心の綺麗な子に育ってくれて、お母さん嬉しいわ」


…お嬢様はもろに悪意なんだけど、お母さんは善意なんだよね。これ。

本気の本気で、シスターが私の天職とか思ってるんだわ。信仰心なんか、これっぽちもないのに。


お母さんは、そんな人だ。


5年前、私の顔に酸をかけたのも、暗殺者に仕込まれた瓶をたまたま発見して、びっくりして、思わず投げたら私にあたっちゃっただけ。

その時、ショックで過呼吸になったお兄ちゃんだけを医者に連れて行って、痛過ぎて気絶した私を放置して気がつかなかったから、すごい。

居合わせたお嬢様が、速攻で使用人を呼んでくれたけど。うん、声帯とか視力、聴力が、機能だけでも回復できたのは、お嬢様のおかげだね。お嬢様につきまとわれて生きてきた、お兄ちゃんのおかげかな?


あの後、包帯だらけの9歳児に「アグネスが生きていて良かった」と、心から笑ってくれたお母さんは、ついぞ私に謝らなかった。

だって、悪いことなんか、ひとつもしてない認識だから。たまたまそこにいた私が不幸だった。ただそれだけのこと。

まあ、百万歩譲って、酸の瓶を思わず投げちゃうまでは理解できなくもないけど。病院のくだりとなると、悪意があっても実行は難しい。私のことが大嫌いなお嬢様にだって無理だった。

お母さんは、そこを「混乱していた」のひとことで片付けて、カケラも良心が痛まないモンスターなのだ。


それほどまでに、お母さんは無垢な人だ。無邪気で純粋だ。シルバーブロンドの髪をゆるく結わえ、サファイア色の瞳をキラキラ輝かせながら話す。

優しい声、柔らかな肌、少しタレ目で儚げな美人。いくつになっても少女みたいな人だ。


「天使のようなマリー」


たくさんの男性がお母さんをそう呼んだ。全くその通りだと思う。黙示録の天使みたいに、躊躇なく、世界を滅ぼすことができる性格は、人間よりも天使や、いっそ神や悪魔に近い。


「どうだね? 私たちがプレゼントする進路は? 発言を許すよ。アグネス」


私は宰相様の前で最敬礼した。


「ありがたく、お受けいたします」


「うむ。では、早速、極北の寺院に親書を書こう」


お母さんの顔がパッと輝く。


「極北‼︎ 素敵ね! オーロラを見たらお手紙をちょうだいね」


宰相様は、よく通る声で朗々と説明してくれた。

曰く、極北の寺院とは、我が国最北端の宗教施設だと。

修道院と辺境の学校、政治犯が収容されてる刑務所が併設されているのだと。

冬は昼過ぎには日が暮れ、夏は短く、1年の半分以上が雪に覆われている。

家畜は痩せていて、屋内栽培の野菜がわずかに育つだけ。

心静かに神に仕える修行の場として、これ以上の土地はないと言う。


「あそこなら、嫁入り前の娘を預けても安心だ」


宰相様は鷹揚に頷き、お嬢様とお母さんは目を輝かせた。お兄ちゃんは、今にも吐きそうな顔でうつむくばかり。

私は。

私は、どこまでもいらない存在である自分を、嗤った。






結婚式の朝、私は副侍女長のエル様に連れられ、乗り合い馬車より質素な、だけど妙に揺れなくて居心地の良い馬車に乗った。

1週間がかりで陸路を北上し、3日間船に揺られた。


結論からいうと、極北の寺院は、噂のような劣悪な環境ではなかった。

白夜の太陽に照らされて、白亜の屋根や壁が、ステンドグラスが、キラキラ輝いていた。

建物自体は古いけれど、隅々まで清掃が行き届き、全てのリネンが清潔で、手作りらしきキャンドルと夏の野花が、そこここの窓辺に飾られていた。


私はさっそく、ベッドと机と小さなクローゼットと古びた鏡台が備え付けの個室に案内された。

家具は全て白木で、リネンは全て真っ白。素朴を通り越して殺風景だ。シスターになるより、入院してる気分になった。


実際、私はしばらくお医者様にかかっていた。

とてもとても心が疲れているから、休養が必要だと、寺院に住むドクターに指導された。


私みたいなシスター候補は、ここでは珍しくないらしい。


仕事や社交などで疲れ果てた貴族がやってきては、入院したり、修道士や修道女たちと生活したりして、心身の健康を取り戻すのだそうだ。


自分が病人だとも、疲れているとも思わなかったけれど、昼も夜も嘘みたいによく眠れた。

眠りに入る前に、ベッドに針は刺さっていないか、爆発物は仕込まれていないか、酸の臭いはしないか、毒物は仕込まれていないか、入念に調べる日課を、いつしかさぼるようになり、忘れてしまった頃、ドクターから分厚い封筒を渡された。



消印は、私が成人する2週間前。

差出人は、お兄ちゃんだった。





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