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2-1

「なにがどうなってこうなったんだろう……」

 抑揚の無い声で、寺田学は呟いた。なにがなんだか、さっぱり理解できない。自分の今までの人生が間違っていたのか、それとも実は記憶障害の持ち主だったのだろうか? そんな事まで考えてしまう。

 八月五日の朝である。

 玄関から、ひっきりなしに呼び鈴の音が聞こえる。

 テレビでは見覚えのあるおばちゃんが、得々とインタビューに答えている。

 新聞には佐伯龍威の似顔絵の横に、自分の似顔絵がデカデカと載っている。

「なにがどうなってこうなったんだろう……」

 抑揚の無い声で、学は呟いた。呟くしかなかった。



「佐伯龍威! それと横のヤンキー兄ちゃん! こっち来てくれ!」

 突然のその呼びかけに、学は驚いて振り向いた。龍威が言いかけた言葉も気になるが、こんな街のど真ん中で自分を呼ぶ声(呼び方はかなり気に食わないものだったが)を挙げられれば、誰だって振り向いてしまうだろう。

 こっちに来てくれ、という言葉とは裏腹に、その声を挙げた男は物凄い勢いでこちらに向かって走ってきていた。黒いスーツの上下を着ているその男を見て、学は内心、まるで映画の中からSP役の俳優がスクリーンを抜け出してきたみたいだ、と思ってしまった。

 50mほどあった距離を、人波を掻き分けながら、それでいて誰かにぶつかる事も無い俊敏な動きでその男は10秒掛からずに二人の元へ走ってきた。見たところ、あまり息を切らしている様子も無い。その証拠に、二・三度息を整えると、男はしゃべり始めた。

「神楽美桜のボディーガードをやっている、倉本というものだ。時間が無いので手短に言うが、今、神楽美がいる建物で火事が起きている。」

 呼び掛けられて以降、無言だった龍威の表情が、このとき微妙に動いたのに学は気付いたが、さして意識せずに男の言葉の続きに耳を傾けた。

「その建物の場所は、ここからそう離れていない。いきなりこんな事を言われても困ると思うが、彼女を助けて欲しい。一緒に来てくれ」

「そんな……」

「わかった、どこだ?」

「ちょっ、さえ、いやリュ……」

「ありがとう、こっちだ!」

「いやあの、え、行くの?」

「何やってんだ、マナブ、早く来い!」

「ちょっとぉ、なんなんだよぉ、もう!」

 急変した事態にオロオロする学を尻目に、龍威と倉本はさっさと走り始めてしまった。学も仕方なく二人を追って走り始めたのだが、もちろん、この時にはあんな事になろうとは夢にも思っていなかったのである。



「そうだ、きっと今、僕は夢を見ているんだ……」

 白昼夢、という言葉がある。その状態がどういうものなのか学には分からないが、今この状態こそがその白昼夢というものなのだろう。そう、学は決め付ける事にした。

「ほら、そう気付いてまた確認したら、なんの事は無いいつもの部屋のはず……」

 学は部屋の中を見まわした。

 そう、確かにそこは学の家の居間であった。三日前に両親が世界旅行に出発し、部屋の中には学以外誰もいない。それだけの事だ。それだけの事なのだが……それでもやっぱり、玄関の鳴り止まぬチャイムの音も、TVでインタビューに答えている見覚えのある顔も(今度は学に平手をくれた女子高生に変わってはいたが)、新聞の学の似顔絵も、消え去ってはくれなかった。

 古典的な方法であるが、今度は自分の頬を力一杯つねってみた。

 すこぶる痛かった。

 詰まるところ、これは夢ではないようである。

「……だって……昨日の出来事のほうが、よっぽど夢の世界の話じゃないか……」

 そうだよ、昨日の非現実的な出来事が、夢じゃなくってなんだって言うんだ……

 学はもう一度、自分が体験してしまった、昨日の出来事を思い出してみた。というより、忘れられるはずも無い、強烈なインパクトでもって脳に刷り込まれてしまった「記録」を、無意識に再生させてしまった。



 龍威に引きずられて、行きついた先は、火災現場から2ブロックほど離れたビルとビルの隙間であった。1mにも満たない幅のその隙間は、正面の通りからの見通しが効かず、日も射さない。両側のどちらかのビルの人間が捨てたのか、はたまた通りすがりの人間が捨てたのか、二人の足元には空き缶や、女性のヌード写真が印刷されている小さなチラシなど、様々なゴミが散乱していた。

 学の腕を引っ張りながらも、全力疾走と言えるスピードで走ってきた龍威は、しかしまったく息を乱してはいなかった。対照的に、学は嗚咽感を覚えるほどに息が乱れ、息が整うまで、ただじっと自分を凝視している龍威に食って掛かる事もできず、体を折って膝に手を置き、呼吸を整える事に専念した。

 龍威の行動の意味が、学にはまったく理解できなかった。神楽美桜を救出したいのであれば、一刻を争う事態にこんな場所に来て、一体何が出来ると言うのであろうか?

(まぁ……ニュースで言ってたように、あのまま僕を連れてビルに突入されてもたまらないけど……)

 ようやく呼吸が整い始め、そんなことを考えていた学に、龍威が言う。

「マナブ、悪いが巻き込むぞ」

「もう……充分巻き込まれてる気がするんだけど……」

「こんなのは序の口だ」

「いや……んな自信たっぷりに言われても」

 現在体を濡らしている汗とは別の種類の汗が、学の体を伝う。

「明日から、もしかすると……いや、確実に今までとは違う生活を強いられることになると思う」

「ど、どういう意味?」

 汗の量が増える。つまりそれは……?

 そんな学の内心を見透かしたかのように、龍威はにやりと笑った

「お前の読みは正しかったってことだよ」

「え……?」

 先程まで、あんなに切らしていた息を忘れてしまったかのように――忘れていたのだ、実際――ひそめて、学は龍威を見つめていた。

「もう時間がない、あのビルはなかなか防火対策をしてあるみたいだが……」

「あっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

龍威は、学をじっと見据えながら呟き続けている。学は、そんな龍威を見つめている。驚愕に見開いた瞳で。口から漏れる奇妙な声は、まるでホラー映画の登場人物のようだった。目にしてはいけないものを見てしまった者が、搾り出す悲鳴。学の口から漏れる声は、正にそれであった。

「悪い、驚かせちまったな。だがまぁ、心配すんな。お前に危害を与えるつもりはないから。とにかく、いくら防火対策されていても、屋上まで炎が届くまで時間がない。炎が強すぎる」

「僕が、ぼくがぼくがぼくがぁぁああああぁぁぁっ!?」

「あぁ、お前の姿を借りるぞ。」

 失神しそうな学をよそに、龍威はこともなげに言ってのけた。いや、その姿はすでに龍威のものではない。そこには、寺田学が二人いた。

「どう……なってるの……?」

 弱々しい声で、学が――最初から学だったほうが呟く。

「説明は、後でちゃんとしてやる。だから、今は……」

 その龍威の言葉(もはや、その声までも学そのものだったのだが)の続きを、学は聞けなかった。特に邪魔が入ったわけではない。ただ、学の意識がこの緊張と恐怖に耐え切れずにブラックアウトしてしまったのである。



そして、気がつくと学は自分の家にいた。

だから最初は、本当に夢を見ていたのだと思ったのだ。とんでもない夢だった。佐伯君が僕に変身? 笑っちゃう……あれ?

 ふと、違和感に気付く。

 なんで、一階のソファで寝てるの?

なんで僕、パジャマ着てないんだろう?

 いや、それよりもこの服、夢で着た――そこまで考えたとき、背筋がぞくりと寒くなった。

 その時だった。玄関のチャイムが乱暴に何度も押される。電話が鳴り響く。その音で起こされたのだと気付いたのは。

「まさか……」

 電話を取る気にはならなかった。ましてや、玄関のドアを開けるなんてもってのほかである。信じたくはなかったが、怖かった。龍威は夢の中で、なんと言っていた?

『明日から、もしかすると……いや、確実に今までとは違う生活を強いられることになると思う』

 確かにそう言った。そして……あれだ。

「今まで……こんなに台詞の一つ一つをハッキリ覚えてる夢なんてあったかな……?」

 自問し終わる頃には、答えが頭に浮かんでいた。断じて、ない。殆どの夢は、起きた瞬間には忘れている。どんな感じの内容だったかを覚えていれば、よく覚えているほうだ。

 いかに現実離れしていたとしても、ここまでハッキリ――そうだ、女子高生に平手を食らった痛みまでリアルに――覚えているなんて。

 そして、電話にチャイム。両方とも鳴り止む気配すらない。

 よろよろと立ち上がり、テーブルの上のリモコンを取る。そして、気付く。テーブルの上に、新聞が置いてあった。日付は、八月五日。テレビを付ける。午前のワイドショーらしい。その画面を見て、学は抑揚のない声で呟いた。

「なにがどうなってこうなったんだろう……」

 呟くしか、なかった。テレビの画面に映ったのは、昨日――そう、昨日、なのだ、本当に――出会った、中年女性がインタビューに応えている場面だった。

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