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1-4

「な、なぁ……こんなことして本当に大丈夫なのか?」

 学達がいる繁華街から、少し入った裏通り沿いの、微妙に寂れた雑居ビル。彼等はそこの2階にいた。

「うるせぇなぁ、上からの御命令なんだよ。俺たちゃ言われたとおりにやってりゃイイの」

 答えながら、彼はポリタンクの中に入っているガソリンを、床に撒き続けていた。多分、少し前までスナックが経営されていたのであろうこの区画には、その面影であるカウンターやソファ、テーブルなどがそのまま放置されている。狭いテナント用区画は、ガソリンの放つ刺激臭であっという間に満たされて行く。

「で、でもな、お前も見たろ? このビル、ココは潰れちまってるけど、上には人がいるんだぞ?」

「……だから?」

 おそらくパートナーであろう男の、うろたえた言動を嘲笑うかのように、薄い笑みを浮かべながら、答える。もちろん、ガソリンを撒く作業は続けたままだ。

「だからって……人が……いるんだぞ?」

 信じられないものを見るように、彼を眺めて呟く。

「はぁ~……ったくよ。」

 ガソリンを撒き終わった彼は、やれやれ、といった風にもう一人を向き直る。そして、説教をするように口を開いた。

「いいか? 俺らの仕事は、上に言われた事を実行に移す事だ。そうだろ?」

「あ……ああ、そりゃそうだが、しかし……」

「しかしもカカシもねぇの。俺らがやる事で、誰かが死んでも、俺らには関係無い事なの。そんでなぁ……」

 疲れたように、彼は懐から銃を取り出した。

「……え?」

 銃を突き付けられ、もう一人の男は目を見開いた。

 狭い店内に、銃声が響き渡る。

「これぐらいでおたおたするヤツは、口封じの為にこうされちまうんだよ。良く分かっただろ?」

 倒れた男を見下ろしながら、嘆息混じりに呟いた。

「……おっと、まずったな、危うく発火する所だったぜ。じゃあな、相棒。短い間だったがよ」

 バタン、と、扉が締まるのとほぼ同時に、店内は真っ赤に染まった。




「出て来ましたね」

 双眼鏡を構え、男が雑居ビルから出て行くのを確認して、桜は青山を振り返った。

「あの男で間違い無いのですね?」

「えぇ……しかし、もう一人は出てこないようですね」

 男が出てきた七階建ての雑居ビルの屋上である。先ほど、青山の所に桜と佐々木が到着したばかりだ。

「2階のどこかにいるはずです、3号、見て来て下さい」

「は、はいぃ!」

 びくっ、と、体を震わせて、バタバタと佐々木が階段のほうへと向かっていく。桜の方はというと、その背を見送ることもなく、また双眼鏡を構えてビルから出ていった男の動きを追っている。

「はぁ……」

(佐々木のやつ、あんな臆病なやつじゃなかったんだがな……)

 青山は哀れみを少し込めながら、佐々木の後姿を見ていた。青山と佐々木は、以前に違う仕事でSPとして顔を合わせたことがあった。佐々木は、見た目こそ風采の上がらない中年男だが、その少し太った印象を与える体格でも、青山が感歎するほどの運動能力を持っている男だった。ある大物外国女性芸能人の護衛をしていたとき、物陰からいきなり襲い掛かってきた狂信的なファンの男を、見事な手際で取り押さえていたことを思い出す。

(だからこそ、こういう仕事も回ってきたわけなんだが……)

 日本を裏で取り仕切る男の、愛娘の護衛。いつ来日するかわからないような外国人タレントの護衛などより、高い報酬。しかも、辞職しない限りは、定年まで永続的に勤務できるわけである。夢のような話だった。蓋をあけてみれば、それが悪夢であったことが判明したのだが。

「それにしても……あの男、妙に足早になって歩いているようですわね」

 それでも、悪夢を耐えるだけの価値がある報酬は現実なんだよな……そんなことを考えていた青山は、一瞬、桜のその呟きを聞き流しかけた。

「……え?」

 なんだか、とてつもない情報を与えられた気がして、訊き返す。そして、桜が口を尖らせながらもう一度同じことを言い終わる前に、青山は蒼白な顔をしながら叫んでいた。

「お嬢様! 早くここから出ましょう!」

 きょとん、としている桜(場違いではあるが、こういう表情の桜は本当に可愛い、と、青山は内心思った)の腕を取り、青山が先ほど佐々木が消えていった階段のほうへ走り出したとき、その階段から佐々木が、ものすごい形相で駆け上がってくるのが見えた。

 その時、青山は自分の判断が遅すぎた事を悟った。こちらの姿を確認した佐々木が、これから叫んでくる言葉を、青山はすでに理解していた。

「た、大変です、火事です! このビルが燃えてるんです!」




「実は俺、宇宙人なんだ」

 真顔のまま、龍威はそう言ってきた。

「……はい?」

 自分でも素っ頓狂な声をあげていると、学は思った。と、同時に、怒りが沸いてくる。

「なにそれ?」

「……ふむ。まぁ、当たり前の反応はそれだよな。」

 からかわれた怒りを隠そうともせずに放った学の言葉に、龍威は事もなげに返してきた。そして、続ける。

「じゃあ聞くが。俺が宇宙人だってのと、俺が変身ヒーローだって事。この二つに、どれほどの違いがある? 変身ヒーローだって言ったら、おまえは信じたのか?」

「……それは……」

 その後の言葉は出てこない。龍威の言う事がもっともだからだ。それでも、ある引っ掛かりが学に反撃の糸口を与えた。

「じゃあ、じゃあなんで、佐伯くんは普段と違うキャラになってまで、それを否定しようとするの? 逆に変じゃないか、僕が勘ぐったってしょうがないでしょ?」

 一気にまくし立てた。繁華街のど真ん中である。周囲の人々が、何事かと二人のほうを振り返った。意に介さない様子で、龍威が口を開いた。意地の悪い微笑を浮かべながら。

「やっぱり疑ってたのか。なんとなく変な気はしてたんだよな、おまえがあんなに早いレスポンスで誘ってくるなんて」

「答えになってないよ、佐伯くん」

「俺の事はリュウイでいいって。それとな、答えは……」

 だが、そこから先を学は聞く事が出来なかった。突然、見知らぬ男の声が耳に飛び込んできたのだ。

「佐伯龍威! それと横のヤンキー兄ちゃん! こっち来てくれ!」




 SP1号こと倉本は、繁華街の人の波に隠れながら、マトを追っていた。標的となる人物は、その似顔絵が全国の新聞に紹介された有名人で、倉本のご主人様の同級生でもある。その有名人の隣には、何やらやたらと派手な顔つきをした青年がいるのが見える。どう見ても、暴走族のヘッドを裏で操っている美形黒幕、といった風情のその青年が着ている服は、しかしとことん地味なのであった。Tシャツのすそをスラックスの中に几帳面に入れているあたり、後姿はダサい印象すら受ける。

「人間、顔で判断するもんじゃねぇってな」

 そんなことを思いながら、二人の姿を見失わないように倉本は歩きつづけた。と、中年女性が二人に何やら話し掛けているのが見えた。

「おいおい~、またかよぉ」

 愚痴をこぼしながら、倉本は手近にあるショウウィンドウのほうを向いて立ち止まった。ディスプレイされていたのは女性用の水着だったため、多少気恥ずかしかったがやむをえない。今日だけで、もう数えるのも億劫になるほど、あの二人は通行人から呼びとめられ、そのたびに倉本はあまり得意ではない尾行術を駆使しなくてはならないのであった。それでも、青山を残して自分がこの役を買って出たのは、単純に「おもしろそうだから」という、なんとも明快な彼自身の性格ゆえであり、だからその時、鳴り出した携帯電話(折り畳み式のガラケーである)からもたらされた情報に、彼は軽い失望を禁じえなかった。

「あんだって?」

 受話器にあまり上品でない口調で訊き返した彼の耳に、青山の切羽詰った声が、今一度同じ言葉を繰り返し伝えてきた。つまり、青山に佐々木、そして桜も一緒に、雑居ビルのステーキ、ウェルダン風の「薬味」になりかかっているということである。

「俺の居ない間に、そっちだけずいぶん楽しそうな事になってるじゃないか」

 倉本は本心でそう残念そうに呟いたのだが、そろそろ劫火にその身を焼かれようかという青山は、倉本に同感してはくれなかったようだ。

「は、早く助けてくれ! 俺の予想通りだと、消防隊は多分ここまでたどり着けない!」

 どう言う意味だ? と、青山に問いかけようとして、倉本は気づいた。なるほど、以前偶発的に出来た状況を、今度は人為的に仕組もうとしている輩がいるという訳である。ならば、倉本に出来る事はただひとつであった。

「分かった、もう少しだけ我慢しとけ。せめてミディアムになる前くらいには助けてやる」

 あんまり有難くない台詞を言った後に倉本は電話を切り、さらに青山が聞いたら泣き出しそうな事を付け加えた。

「あいつが本当にヒーローだってことを祈っとけよ。じゃなかったら、俺は着任二日目でクビ、お前らは……ジ・エンドだ」

 携帯電話を胸ポケットにしまうと、倉本は振り向いて、青山たちの救世主の姿を探した。二人は先ほどの場所に残ったまま、何やら見つめ合っている。中年女性の姿はもう見えない。

「おいおい、頼むから男同士の濡れ場なんか見せてくれるなよ」

 軽口を叩きながら、倉本は一瞬逡巡した。佐伯という青年は、なにがなんでも火災現場に連れて行かなくてはいけないのだが、果たしてもう一人はどうすれば良いのだろう? 意外と重要な問題のような気がしたが、倉本には時間がなかった。二人を引き離そうとすれば、そこで要らぬ時間を食うことになるかもしれない。倉本は決断した。

「佐伯龍威! それと横のヤンキー兄ちゃん! こっち来てくれ!」




「近藤、やり方が少し乱暴過ぎるんじゃないかしら?」

 モニターを見ながら、そう言って眉をひそめる女性に、近藤と呼ばれた男はしゃあしゃあと言ってのける。

「ですが、これで奴が『本物』ならば、確実に姿をあらわすでしょう? あのビルも我々の持ち物。 事後処理も手間取る事はないはずです」

「だから、田口も殺したの?」

 女性の詰問に、一瞬近藤は言葉を詰まらせるが、すぐにまたにやけた顔に戻って答える。

「とんでもない、それは誤解ですよ、ヴィーナス様。あいつは逃げ遅れちまったんです。どんくさい奴でしたからね」

「……そう」

 ヴィーナスと呼ばれた女性は、それ以上何も語ろうとせずに、モニターへと視線を向けた。それが退席の合図だと気付き、近藤は一礼して部屋を出ていった。

「馬鹿な男……自分がいつ、田口と同じ立場になるのかを考える事も出来ないのかしら」

 そう呟いたあと、女性は今度は自嘲気味に、その呼び名にふさわしく整った顔を歪ませた。

「……そうね、この組織に居る人間はみんな……私も馬鹿な女。そうでしょ、ヴィーナスなんて呼ばれて、いい気になってる田中由加里さん?」

 ヴィーナス――田中由加里は、その後しばらく俯いていたが、気を取りなおしたようにモニターへとまた向き直った。画面には、火災が起きているビルの屋上が映し出されている。一区画離れた10階建てのビルから、望遠で撮っている映像である。普段テレビで流れてくる映像と遜色無いほどの解像度であり、恐らく下の階から逃げてきたのであろう人々の顔を識別する事も容易であった。30人ほどいるだろうか、そのほとんどが着飾ったホステスのようだ。夜からの営業の準備をしていたのだろう。その中に数人、場違いな服装の奇妙に目立つ集団が居た。上下を黒のスーツで決めた、まるで映画に出てくるSPのような格好をした男が二人。そして、その二人に守られているような立ち位置で、迷彩服を着た美少女が一人。と、その美少女の顔が、妙に由加里の脳裏に引っかかった。

「この娘……まさか!」

 彼女は、このときになって始めて、自分の部下がとんでもない失態をしでかしていた事に気付いたのであった。




「これは……」

 燃え上がるビルを見上げ、学は絶句した。テレビの情報特番などで、たまに見る火災の現場とは迫力が違う。アレはアレで迫力のある映像ではあるが、モニターを通さずに見る火災現場とは、これほどまでに凄まじいものなのか。

「この屋上に、神楽美さんがいるのか……」

 炎はすでに5階の窓から噴き出して空気を焼いている。学たちの居る場所からは、その炎が邪魔して屋上はちらちらとしか見えない。その手摺り付近に人影が見当たらないのは、恐らく下から吹き上げる熱気の為に近寄る事すら出来ないからだろう。

「すまない……」

 学たちを連れてきた黒スーツの男が、頭を下げた。

「俺にはあんたらを連れてくるしか手は無かった。もし、あんたが例の人物じゃなかったら、上に居る人間は助からないだろう。もし、あんたが本当に『彼』だったとして、この状況で上の人間を助けろというのは酷だと思う。だが……」

「んな事言ってる場合じゃねぇだろう!」

 怒鳴ったのは……龍威だった。学校での超然とした龍威とも、先ほどまでの妙にフレンドリーな龍威とも違う、完全に動揺している佐伯龍威を、学は呆然と見つめた。学自身はといえば、完全に日常から外れた現実に、動揺を通り越して何も考えられないような状態であった。

「火事ってのがなぁ……」

 そんな学をよそに、龍威は炎を見つめながら、叫んだ。

「俺はこの火事ってのが一番気に食わないんだよぉっ! マナブッ! お前も来い!」

「……へ?」

 龍威の言葉を理解する間もなく、学は龍威に手を掴まれ、無理やり引っ張られて走らざるを得なくなった。

「ちょっ、ちょっと!? えぇ? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」

「いーから早く来いっ!」

「や、やだ、やだよ! いぃやぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 走り去って行く二人の背中を、連れてきた黒スーツの男――倉本は放心したように眺めていた。

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