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平安高校1年3組の神楽美桜は、お嬢さまであった。
平安高校の誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。だがやはり、それは彼女の存在の一面しか表していない言葉でもある。彼女は確かにお嬢さまであったが、彼女を表すにそれはあまりにも似合わない言葉である事もまた事実であった。
言うなれば、神楽美桜は、あらゆる意味で破天荒すぎた。
彼女の父親である神楽美正隆は、元警視総監であり、現在は全国に巨大なネットワークを有する警備会社の社長でもある。政界・財界にも多大な影響力を持ち、現時点で日本を動かす裏の顔の黒幕的な存在とさえ言える。近年やたらと目にするようになった政治家のスキャンダルの多くは、彼の意向で暴かれてきたと言われている。彼の勢力内に居るもののみに、政界の甘い汁を吸う事が許されているのだ。ひとたび彼の元を離れると、徹底的に内情を調べ上げられ、昔日の汚職が明るみに出る事になる。故に、積極的に彼を攻撃しようとするものは皆無に等しかった。
そんな正隆の悩みは、男子に恵まれなかった事である。妻の百合との間に生まれた子供達は、大学生の椿、高校生の桜、中学生のすみれと、皆女の子であった。
三姉妹の次女である桜は、やたらと自立心の高い子であった。幼稚園児の時分に一人暮しをしたいと言い出し、当然正隆が反対すると、今度はどこから引っ張り出してきたのかピストルを構えて脅迫し始めた。「ダメだ」と言う度に高価な骨董品を惜しげもなく撃ち壊し、弾が無くなるとしっかり用意していた弾を装填するのを見て、正隆はがっくりとうなだれながら桜の言い分を叶える約束をしてしまったのである。故に、桜はこうして親元を遠く離れて現在も一人暮しをしている。
さらに桜は、抜け目が無かった。
仕送りは毎月100万円。しかも、住む場所に正隆の所有しているマンションの中でも最高級のレベルのもの、もちろん全階全室1棟丸ごとを、正隆の書斎のドアの前で手榴弾を持ちながら要求したのである。結果は言うまでも無いだろう。
正隆が桜には内緒で張りつけているSP達(これは三姉妹全員についてはいるのだが)の存在にも気付いており、これ幸いと自分の起こしたトラブルの後片付けに使っている始末である。そんなSP達の絶え間ない努力の結果、桜の「正体」は、まだ学校や近所の人々には知れていない。
それが故に、高校での桜の印象は、「お嬢さま」なのである。
はっきり言っておくが、彼女の性格は幼少の頃からまったく変わりない。すべて、SP達の命と、平穏な老後を賭けた努力の賜物なのである。
平安高校1年3組の神楽美桜とは、とにかくそういう生徒であった。
「さて、これはどうしたものでしょうね……」
ノートパソコンをパタンと鳴らしながらたたみ、ソファの上に投げ出すと、桜は立ち上がって部屋の中をうろつき始めた。
最高級のマンションの一室、この部屋だけで20畳の広さがある。1戸の中にこのレベルの部屋が6室づつ、12階建てのこのマンションには50戸あるのだが、それがすべて彼女一人のものである。そんななかの一室であるこの部屋は、殺風景の一言に尽きた。ワンルームに住んでいるOLの部屋の方が、よほど色々とモノが置いてあるに違いない。ソファ、テーブル、ベッド。この部屋にあるのは、キッパリそれだけだった。
いや、彼女がこの部屋にいる間、つまり今はもう一つ、ベッドサイドにマシンガンが置いてある。幼稚園児の頃にピストルの反動を小さな体で持ちこたえた桜である。使いこなす自信はあるし、今まで実際使いこなしてきた。人間に向けて撃ったのはたった6回しかないのが残念ではあるが、これから機会が訪れる事もあるだろう。今日のネットのトップニュースが、桜にその期待を抱かせた。
「つまり、佐伯くんに対するアプローチが大事なのです」
失敗したらチャンスは無くなるだろう。せっかく楽しめそうなシチュエーションが身近に起こっているのだ。
「だったら、上手く動いて楽しまなきゃ損です!」
グッと握りこぶしを作って、立ち止まる。寝間着替わりの迷彩服が、妙に体に馴染んでいるのが恐ろしい。
では、どう言ったアプローチで攻めるべきでしょう?……そう言えば、佐伯くんには私と同じような匂いを感じていました……目立つオーラなのに、本人はそれを隠そうとしている様ですし……私は別に隠すつもりは無いんですけど、お父様が……
「そんなことはどうだっていいんです!」
思考に耽る内に、不意に脳裏に浮かんできた厳格そうな(桜自身は正隆を厳格だとは思っていない。少し脅しただけでこんなに素晴らしい環境を用意してくれた、やさしい父なのだ)正隆の顔を払いのける。ふと……
「……ふむ、お父様ねぇ……」
そう呟くと、桜はニヤリと顔を歪ませた。元が美少女な分、こんな表情をすると、見たものに底冷えするような恐怖感を与える程になる。そして、大概の場合は本当に恐怖を撒き散らす結果となるのだが、幸いにして今のところ被害者は桜の身内に限定されていた。無論、これからもそうである保証はまったく無い。いままで被害が外に出なかったほうが奇跡なのだから。
「そうですね、とりあえずお父様を使って、確実に攻めるとしましょうか」
ニヤリ、から、にっこり、に、笑顔の形容詞を変換させた桜は、さっそくSPを呼ぶために準備をすることにした。電話で正隆と話すよりもスムーズにコトが運ぶし、電話代もかからない。なにより、SP達の慌てた表情を見るのが楽しみだった。おもむろに窓の方へ向かう。
「すぅぅぅぅぅぅ…………っきゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
叫ぶと同時に、綺麗な正拳突きで窓ガラスを叩き割る。さらに回し蹴りで隣のガラスを。そのままソバットに移行して3枚目を。締めは回転を持続させて裏拳で4枚目。ガシャガシャーン!と、4枚の割れたガラスがほぼ同時に床に跳ねる。独学で身に付けたにしては、あまりにも鮮やかな身のこなしであった。
「オスっ」
何故か、空手の残心などを決めつつ、桜は腕時計を見やる。この部屋は6階にあるから、彼等が到着するまで1分足らずだろう。たまに暇つぶしでこれをやる時は、テーブルの上に誘拐犯が書いたようなそれらしい置手紙なども用意して隠れたりするのだが、今回はやらなくても良いだろう。
「……でもそれじゃつまらないかしら。やっぱりココは隠れてあげた方が彼等も仕事のやり甲斐があるでしょうし……」
2秒ほど悩んでみる。そして、あっさりと隠れる方に天秤が傾いたのだが、どうやら神は今回の彼女のわがままには付き合うつもりが無かったようだ。まだどこに隠れるか桜が決めかねている内に、ドンドン、と、乱暴にドアを叩く音がしたかと思ったら、今度はチューンとサイレンサー付きの銃声が聞こえてノブが吹き飛んだ(ノブに当たって派手な音が起きた為に意味は無かったようだが)。バンッと、扉が開くと、見た事も無い男たちが3人、部屋に走りこんできたのだ。
てっきり、いつものSP連中が来たものとばかり思っていた桜は、一瞬だけ硬直したが、そこは彼女の性格である。どこかしら嬉々としながらベッドサイドに走り、マシンガンを持って構える。そして、構えた一瞬後には警告もなく撃っていた。
ダララララッと銃声が響く。走り込んできた3人のちょうど足元に、正確に横なぎされた弾痕が出来あがり、「どわぁっ」などと声を上げて3人が前のめりにひっくり返る。記念すべき7回目の桜の人に向けての発砲であった。
「あなたたち、何者です?」
油断なくマシンガンを構えたまま、桜が誰何する。にっこりと微笑みながら。もちろん、彼女はこの状況を楽しんでいる。
「……それはこっちが聞きたいくらいですよ、桜お嬢さま……」
情けない声が返ってくる。3人の真ん中の1人がのそのそと立ち上がりながら、続ける。
「話には聞いてましたが、これほどぶっ飛んでたとはね。恐れ入ります」
ようやく立ち上がると、まだ転がってる二人を見下ろす。恐る恐る、彼等を指差しながら、桜に聞いてくる。
「……当ててませんよね?」
「だいじょうぶですわ、いつか『当ててもイイ』人間が現れたら容赦なく撃ち殺したいと思っていますけれど」
「んーじゃ、気絶してるだけですな。そりゃよかった、俺の評価が上がるってもんだ。そろそろソレ下ろしてもらえませんかね? 残念ながら俺達は『当てちゃいけない』人間です」
「そのようですわね、いつ引き継いだのかしら?」
「……今日ですよ。って、もしかして解ってたんですか!?」
「前の3人と同じ格好ですもの。当たり前ですわ」
飄々と受け答えながら、名残惜しそうにマシンガンを下ろす。あー、そーでございますか、と力なく呟くと、男は一応姿勢を正して言った。
「本日付けで桜お嬢さま担当になりました、SPの倉本です。右のが佐々木、左のが青山です」
「前の3人はどうしたの?」
「退職しました。希望に満ちた顔で」
「凡人にはツライ仕事だったのかもしれませんわね」
「俺ぐらいの才能の持ち主でもお断りしたい仕事のようですな」
「イイ度胸してらっしゃるわね」
「お嬢さまほどではないつもりですがね」
ふっふっふっふ。二人が微笑みながらにらみ合う。佐々木の体がピクピクと震えている。どうやら、気が付いたのだがあまりの雰囲気で起きあがれないらしい。頭の中ではきっと、辞表の文面を考えている事だろう。青山はいまだピクリとも動かない。どうでも良い事だが。
「じゃあSP1号、最初の仕事ですわ」
「倉本です。なんでしょう?」
「とりあえずガラスを片付けて下さいな、SP1号」
「倉本です。わかりました、ぶっ飛びお嬢さま」
ふっふっふっふ。同じ光景が繰り返される。先ほどと違うのは、気付かれない様に佐々木がそぉっと少しづつ出口に向かって体を引きずっているくらいだ。それもまた、どうでも良い事である。
なんにせよ、神楽美桜が、佐伯龍威に対して、なんらかの行動を起こすことが明白になった瞬間と言うのは、こんな状況であった。