エピローグ
嶋田拓郎は、いつものように近所のスーパーでお菓子を買ってきた。
最近、彼の保育園の子供達がしきりに遊んでいるのは、「おーたーれんじゃーごっこ」。どうやら、テレビの作り物のヒーローでは、彼らは満足出来なくなってしまったらしい。嶋田は、その実物を見たことは無いのだが、その「おーたーれんじゃー」に感謝する気持ちでは、子供達に負けていない。
保育園は、場所こそ少しはなれたところに移り、プレハブではあるものの、存続することが出来た。これは、マスコミがあの火事を広く報道してくれたことと、園児の保護者達がインターネットのSNSなどで強く存続を希望してくれたこと、そして、日本全国の心ある人々が、それに応えてくれた事、尚且つ、あの神楽美グループが(!)金銭支援を申し出てくれたことなどの理由に拠る。嶋田は見ていなかったのだが、テレビで記者会見があったらしく、あの時火の中に飛び込んだ青年が、やはり「おーたーれんじゃー」であったことや、その青年が所属していたのが神楽美グループであったらしいことなどを、保護者や保育士が教えてくれた。
それから、嶋田は神楽美グループに感謝の手紙を送ることを毎日の日課に加えた。今日も、スーパーに行くついでに手紙を投函してきたところであった。5年持てばよい、と思って始めた保育園が、神楽美グループの支援のおかげで、近々市の認可ももらえそうなのである。幾ら感謝してもし足りないほどだった。
ふと。
嶋田は、プレハブ保育園の前に、見知らぬ男性が佇んでいることに気付いた。同時に、その男もこちらに気付いたようである。にこやかな笑顔で、嶋田に向かって歩み寄ってきた。一瞬警戒した嶋田も、相手がただの不審者ではないと思い、緊張を解く。
「園長先生、ですよね?」
どことなく、威厳を感じさせる男だった。年齢は30代前半といった風情なのだが。
「はぁ、そうですが……」
きっと、困惑した表情を表に出してしまったのだろう、嶋田の顔を見た男は、慌てたようにズボンから名刺入れを取り出して、その中の一枚を嶋田に差し出してきた。
「申し訳ありません、私は神楽美警備グループで広報を勤める、えーと、中原、といいます」
自分の名前を名乗るのに、一瞬考えるところが不審といえば不審だったが、その男が漂わせる雰囲気が、嶋田にそれ以上の追求を考えさせなかった。この男の雰囲気を、嶋田は以前にも感じたことがあるような気がしたので。見ると、名刺には「神楽美警備保障 広報部長 中原雄二」とあった。
「ほぉ、そのお年で部長さんとは、凄いんですね」
思ったままの言葉が、口から漏れる。気を悪くしたかな、と一瞬考えたが、中原は恥ずかしそうに笑っただけだった。
「私はいわゆる窓際族って奴でしてね。ポストがそこしか空いてなかったから、そこにいるだけですよ。ところで、今度ウチの内報でこちらの記事を書きたいんですが……」
「あぁ!なるほど、それで!」
言われてみれば至極もっともである。嶋田は、言われるまでにそのことに気付かなかったことを恥じた。
「いや申し訳ない!まったく気付かないで。どうぞどうぞ、中にお入りください」
「いや、アポなしで来たこちらが悪いんですから」
「いやいや、神楽美さんには大変お世話になっておりまして……」
まるで、ご近所の主婦同士の昼食支払いの会計での光景のように、お互いが奇妙に恐縮しあいながら、プレハブの中に入っていく。
「えんちょぉせんせぇ、おかえりなさぁーい!」
「おかえりなさぁーい!」
園児達が、嶋田を見るや否や駆け寄ってくるのを見て、中原がにこやかに「慕われてるんですね」と言ってくれる。
「いやはは、この子達のお目当てはこれですよ」
照れながら、嶋田は手に下げたビニール袋を示す。そして、園児達に
「おやつはもう少ししたらみんなで食べようね。ほら、お客さんにご挨拶しましょう」
と、保育士特有の口調で言う。だが。いつもは素直に嶋田の言うことを聞いてくれる園児達が、今日は様子がおかしかった。黙ったまま、ぽかんと中原を見つめているのだ。
「あれ?ご挨拶の仕方忘れちゃったかな? みんなでこんにちはーって言うんだよ。せーのっ!・・・」
重ねて言うのだが、園児達はやはり中原を見つめたままだ。もう一度言うべきか、嶋田が悩んでいる時――園児の中でも比較的元気で無邪気な男の子が、叫んだ。
「おーたーれんじゃーだ!」
「やっぱり!」
「おーたーれんじゃー!」
「へんしんして!」
あっという間に、園児達に叫びが伝染してしまう。叫び声が他の園児達を誘い、見る見るうちに中原の周囲は園児達に取り囲まれてしまった。名うての保育士たちも、どうすることも出来ないくらいに熱狂してしまっている。
「おいおい、みんなぁ、その方は違うんだよぉ!」
慌てて叫びながらも、嶋田は思った。そうだ、この人の雰囲気は、彼と似ている。園児達は、それを敏感に感じ取ったのだろう。
「ええと……きょ、今日は退散させていただきますぅ……」
園児達にもみくちゃにされながら、中原が悲鳴を上げる。
「だめー!へんしんしてー!」
「かえっちゃやだー!」
「やだー!」
いまや、今日出席している園児全員のブーイングの大合唱となった中を掻き分け掻き分け中原が這い出てくる。嶋田や保育士たちも手伝い、やっとのことで園児たちを引き離すことに成功すると、プレハブから出た中原は、それでも楽しそうに「元気ですねぇ、みんな」と笑っていた。
「いや、なんだか今日はみんなおかしくて……」
困惑しながら嶋田は言ったが、ふと、中原の表情に、強烈なデジャヴを感じた。あの時の佐伯と言う青年は、怒りながら。そして、この中原という男性は、笑いながら。しかし、この二人には確かに同じ、何かを超越した存在感があった。まるで、気の遠くなるほど長い時間を生きてきたかのような……
「では、また改めて伺うことにしますよ。私がこのまま残ると、先生方の邪魔をしてしまいそうですし」
中原の声で、我に返る。
「ああ、いえ……申し訳ないです……」
少し気の抜けた声になってしまっただろうか?しかし、この時に至って、嶋田はもしかしたら園児達が正しかったのではないかと言う気がしてきたことも事実だった。
「それでは……」
言い残すと、中原は歩き始めた。
嶋田は、深々と頭を下げてそれを送った。
「ありがとう……子供達を助けてくれて、本当にありがとう……」
嶋田の言葉は、彼に届いただろうか。しばらく経って顔を上げると、もう、中原の姿は見えなくなっていた。
「ありがとう……」
もう一度、心からの感謝を込めて嶋田は呟いた。
「まいったね、しかし……」
角を曲がって、周囲に人がいないことを確認すると、彼は「佐伯龍威」の姿に戻った。
「ん、でもみんな元気そうで良かった!」
それが知りたかっただけなのだ。そして、知った。だから、満足である。
「さて、明日はあの二人をどうやってからかおっかなぁ~♪」
クラスメートの男子と、その彼女になった隣のクラスの女子の顔を思い浮かべながら、龍威は歩き始めた。
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