4-5
――八月十日。
神楽美特殊科学班は、ようやくその形を整えつつあった。市街から少し離れた郊外に、廃工場の建物がそのまま残っていたのを神楽美が(極秘裏に)買い取り、急ピッチで内部を業者に整えさせた上、見積もりの倍額の金銭で緘口令を強いた。業者側からすれば、短期の突貫工事で疲労困憊だったとはいえ、この不況のときに思わぬ利益をあげることが出来たわけで、特に不平も無く、それを受け入れることになった。
「なんつーか、今になると無用の長物の極みって気もしないではないがな」
倉本が、荷物運びに疲れたのか、それを隠すことの無い声で言う。
「いや、まだすべてが解決したわけではないからな。オリンピアの残党に、あとは……」
青山は、そこまで言うと自分たちの雇い主を振り返った。そして続ける。
「……寺田君専用回復装置の研究もしなくちゃいかん」
「随分な言われように聞こえます」
ぷぅ、と頬を膨らませて、桜が抗議する。
「無慈悲な上司には、それなりの皮肉も言いたくなるんですよ」
桜が超能力に目覚めたことを知ったのは、ゼウスが消えてからすぐ後のことだった。コンクリートの瓦礫を龍威が動かすと、地下室の床には夥しいほどの血が流れていて、SP三人は肝を冷やしたものだ。ヴィーナスはすでに絶命していたが、桜と学はほぼ無傷で、特に学に関しては気絶していたものの、かすり傷ほどの外傷も見当たらなかった。そのときに、桜自身が自分が癒したのだと教えたのだった。
事後処理は、神楽美の支部と警察に一任することにした。地方のローカルニュースでちらりと取り上げられたのに留まったのは、また、正隆が裏で手をまわしてくれたからだろう。いまの桜は、その事に素直に感謝できた。
翌日には学が目を覚まし、自分の体にどこも怪我が無いことを不思議に思っていたようだ。青山が桜の能力を「寺田君専用」と称するに至った経緯は、そのときに起こった。リンゴを剥いていた佐々木が、誤って包丁で指を切ったのである。意気揚揚と自分が治すと宣言した桜だったのだが、幾ら念じても一向に治る気配が無く、桜の能力は極限状態に置かれたために起きた限定的な能力だったのでは、と、青山たちが推測していたときに、佐々木からバトンタッチしてリンゴを剥いていた学が、同じように指を切ってしまった。ちなみに、桜にやらせなかったのは、彼女に包丁を持たせるとなんとなく身の危険を感じるからという男達の暗黙の了解があったことは言うまでも無い。とにかく、とりあえず学の傷が治るように念じた桜だったが、今度は見る見るうちに傷が塞がってしまったのである。それを見て面白がった倉本が、自分で指を切って桜に頼んでみたのだが、治らない。学も何度か指を切り、学の傷はそのたびに消えてなくなった。どうやら、桜の能力は本当に学のためにしか使えないようだった。
気落ちするべきなのか、学を想う自分の心を喜ぶべきなのか、複雑な心境の桜に、龍威はこう言った。
「癒しの力ってのは、基本的に俺には使えないんだ。対象が一人だからって、落ち込むことは無いと思うぞ」
「佐伯君が使えないんですか?」
驚く桜に、意外と真剣な表情で龍威は頷いた。
「俺は、要するにハードコピーは出来る。例えばマナブをもう一人作れって言われれば、造作も無いことだ。だが、怪我をしたマナブってのは、健常な状態の一部の情報が変化しているマナブって事になるよな? 例えば、マナブの原子構成を俺が霊子に記憶させていたとしても、その一部だけを具現させるというか、怪我をしたマナブにくっつけることは、不可能じゃないが神経を使うくらいには難しい。大げさに言えば、マナブの人差し指がなくなったとして、そこに人差し指と中指をくっつけちまうようなことが無いとも言い切れない。いくらなんでもそれはないけどな」
「なんとなく……分かるような気がします」
「確かに、俺の力は人間が使うには強力すぎる。だが、あくまでプログラム、それも、第一号試作品でしかない。精巧さや使い難さは言うに及ばずってところだな。おそらく、あのまま研究が続いていたなら、完全なマナブの構成と、怪我をして欠損があるマナブの構成を比較して、欠損部分だけを抽出したりすることも出来たのかもしれないが、今更だしな。あとは、俺のこの能力をそのままコピーして他人にくっつけることが出来ればいいんだが……」
「できない、ですか?」
「神楽美はパソコン使ってるか? OSってあるだろ、ウィンドウズとかマッキントッシュとか」
「えぇ、わかります、それくらいは」
多少憮然とした顔で、桜は答える。この時代、桜の年齢でパソコンを扱えなかったら、お嬢様などやっていられない。
「あれってさ、何でコピーできないか分かるか?」
「え?」
この質問には答えることが出来なかった。そんなことを試そうと思ったことも無いのだから当たり前だが。
「コピーできないんですか?」
オウム返ししか出来ないことに内心腹を立てつつも、桜は出来るだけそれを表情に表さないように勤めながら聞き返した。
「うん。もちろん、OSのプログラム上でガードが掛かっていることもあるんだが、例えば、ウィンドウズを起動しているときに、ウィンドウズをコピーしようとしたら、作動中のプログラムをコピーすることになるよな?」
「たしかに、そうですね」
「そうすると、コピーしようとして計算を進めているときに、その対象も色々計算していることになる。なにせ、自分が計算しているんだから当然だ。自分をコピーしようとしてるんだから」
「あぁ、なるほど……」
「そう、いつまでたっても自分自身を計算してばっかりで終わることが無い。無限ループに入っちまう。だから、OSではどれでも、作動中のプログラムをコピーできないようにしてある。俺の霊子プログラムにも、どうやら同じようにガードが仕組まれてたみたいだな」
「あの……試したんですか?」
恐る恐る聞いた桜に、にかっと笑って龍威は答えた。
「あぁ、能力がフリーズでもしてくれたら、俺も死ねるんじゃないかと思ったことがあってな」
「んーで? オリンピアの方はどうなったんだ?」
倉本が相変わらず疲れた声で、貼りたてピカピカの床に寝そべりながら佐々木に聞いた。佐々木はゼウスとの最終決戦のときにすぐ気絶してしまったからという理由で、オリンピアの事後処理担当にされてしまっている。
「ゼウスって爺さんの話は、前にした通りだが……」
これも、あの戦いの翌日の事である。ひとしきり桜と、ついでに学をからかった一同だったが、やがて青山がリンゴを剥き終わると、それを食べながら今回の件の話を整理し始めた。ちなみに、桜、学、龍威以外の三人は、あちこちの指にバンソウコウを貼っている。面白がって自分で切ったはいいが、桜だけではなく龍威にも治せないといわれてしまい(龍威の場合は、よほどのことが無いとこの力は使いたくない、という断り方だったが)、やむなくバンソウコウを貼っているのである。
「そもそも、あのゼウスってのは何者だったんだ?」
龍威は、まずそう言って切り出した。倉本はゼウスと龍威の最後のやり取りをまじかで見ていたので、龍威がゼウスに何らかの親近感を持っていることに気付いていた。ただ、それを口に出すつもりは無かったが、龍威がゼウスについて知りたがるのも、なんとなく分かるような気がしたのである。
「最初は、普通のサラリーマンだったらしい。超能力も持ってない、ただの一般人だったってな」
佐々木が言うと、なんとなく一同の視線が桜に集まる。
「わ、私は一般人じゃありませんもの」
「む、そう言われると名実ともに普通じゃないな」
「どーゆーいみですか、倉本」
「はっはっは、佐々木君、続けたまえ」
半眼になって睨む桜から目をそらし、倉本は冷や汗を浮かべながら佐々木を促す。絶対減俸してやる、と呟く桜に苦笑しながら、佐々木は続けた。
「超能力に目覚めた理由ってのも、桜お嬢様に近いものがある。ゼウス――中原雄二って本名らしいんだが、25の時に結婚していて、とにかく愛妻家で有名だったらしい」
「普通の名前だぁ。なんか逆に違和感感じちゃう」
ぼそりと学がいうと、なんとなく全員が頷く。
「そして、30の時に、この奥さんが結核で倒れた」
「結核? 初期に治療すれば、いまなら治せる病気のはずだぞ?」
新撰組の沖田総司がこの病に倒れたことは有名で、それ故にか結核という病気には不治の病というイメージが強い。だが、現代医学では癌と同じく、初期の治療で完治も可能な病気であり、病床の進行が遅い分、癌よりも生存率は高いとされている。青山はそれを知ってはいたが、佐々木の次の言葉で納得した。
「結核ってやつは、初期症状はただの風邪とほとんど見分けがつかないらしい。だから、中原も最初は風邪だと思い、次にインフルエンザだと思った。奥さんが血を吐くに至って、ようやく病院に連れて行ったんだな」
愛妻家である男が、すぐに病院に連れて行かなかったことを、ふと学は疑問に感じたが、その表情を見た青山が言ってきた。
「愛妻家というのは、奥さんが嫌がることを極力避けようとしてしまうものでもあるらしい。きっと中原は奥さんを心配しつつも、病院に行きたがらないのを無理に連れて行くことが出来なかったんだろう」
「そうかもしれないな。だから、発見が遅れて既に手遅れになっていたと知ったならば……」
佐々木が言葉を継ぐと、学も理解して言った。
「無理にでも連れて行かなかった自分を責めた……?」
「たぶん、な。でも、だからといってすぐに超能力に目覚めたのか?ちっとつじつまが合わないよな」
龍威が聞くと、佐々木が頷く。
「現代医学で手遅れだといわれた患者の家族が、よく取る行動というのがある。なんだか分かるか?」
「民間療法……ですか?」
「そうです、桜お嬢様。……中原も、同じように様々な民間療法を使って奥さんを治そうとした。だが、効果は見られない。さらには心霊療法などにも手を出し、最後に中原が行き着いたのは、気功だった」
「なるほど……な。今ならば西洋医療でも効果が認められてはいるが、当時は邪道だったかもしれない。少なくとも、心霊療法なんかよりも先にそこに着くべきだ」
青山はそして、続けた。
「気功は、自らの体内の抵抗力を増加させることが近年認められている。だがしかし、当時はまだそこまで情報が無かった。たしかに、熟練した気功師ならば多少は他の人間の体内にも影響を出せるかもしれないが、あくまでも熟練したものだけだろう」
「そうらしいな。そして、中原も、当時、気功療法とは熟練した気功師が病人に手をかざすことだと思っていた。そう考えた方がいいだろう。その後中原が道場に通っているのを当時の同僚の方が覚えていたよ。」
佐々木が、少し声を落として言った。
「そして当然、間に合わなかった。中原が32歳の時、奥さんは他界している。問題はその時だ」
「奥さんの遺体が消えた……じゃないか?」
龍威が佐々木に先んじて言うと、佐々木は驚いた顔をした。
「いや、気功ってのは超能力の端くれみたいなもんなんだよ。恐らく熱心に気功を習得していた中原が、その間に超能力の基盤を作り上げてしまったんであれば、奥さんの死を信じられずにそのくらいのことはしかねないって思ったんだ」
「……なるほど。とにかく、奥さんの遺体は消え、中原の周囲では一騒動あったらしい。この時を機に、中原は会社を辞めていて、暫く音信不通になっていたようだ」
佐々木がちらりと周囲を見渡す。ぼんやりとではあるが、一同に暗い雰囲気が流れた。
「傷心旅行、ってのじゃないんだろうな、きっと」
倉本が、その雰囲気を壊すためにだろう、少し大きな声で言う。
「それは分からん。そうだったのかも知れんし、違ったのかも知れん。次に中原が姿を現したのは、2年後のことだ。その頃にはもう、ゼウスと名乗っていたらしい。初めは各地で手品のようなものを見せ、小金を稼いでいたようだが、しばらくするとオリンピアを立ち上げるに至った」
「そうか……いや、分かった。恐らく、そうやって超能力者を集めて、奥さんを生き返らせることが出来る奴でも探していたんだろう」
龍威がまた、先読みする。そして、佐々木が軽く頷き、龍威の推測を肯定した。
「……はぁ~……大体そんなこったろうと思っちゃいたが、やっぱりなぁ……あのさ、ほら、オリンピアの支部に聖水ってあったじゃんか」
「あぁ、あったな」
龍威の言う聖水とは、あの戦いの後にビルの内部を調べた県警が、倉庫の中で大量に見つけた、ペットボトルの水の事である。
「あれってきっと、精神安定剤と、興奮剤を混ぜてあるだけだと思うぜ。あと、DHAくらいは混ぜてあるかもな」
「なるほどね……」
龍威の言葉に、学が頷く。超能力が、多量のアルファ波によって引き出される力だということは、学も聞いていた。精神安定剤と興奮剤で、脳内血管を拡大させたり萎縮させたりすることにより、ゼウス――中原は、信者の中から自分の望む能力を持ったものが出てくることを待っていたのだろうか。DHAは、脳細胞のシナプス回路を増やすと言われている。確かに、脳波を大きくするのには役立つのかもしれない。
「どんなに愛していても……他人を殺して生き返らせられても、奥さんは喜ばないでしょうに……」
「そうだな。神楽美がそれを忘れないでいてくれると、嬉しいよ」
龍威の言葉に、桜がキッと龍威を睨む。
「私がっ……」
「でもな、愛情ってのは、良くも悪くも人間を変えるもんなんだよ」
叫びかけた桜を、龍威が先んじて制す。その言葉は、桜自身の変化をも言い当てている気がして、だから桜は何も言えなくなってしまった。
「そう……ですね。覚えておきます」
「じーさんの話はいいよ。行方不明って事でカタは付いたんだろう?」
なんだかもう、まどろむ猫のように床に転がりながら、ダルそうに倉本が言う。
ゼウスこと、中原雄二の死は確認されていない。死体が存在しないのだから当然である。あの戦いでの死者は、ヴィーナスこと田中由香里、地下室の天井とともに落下し、追突死した暴力団組員が二名。合わせて3名ということになっている。
当局の発表では、新興宗教団体と、複数の暴力団の抗争、という事になっている。そういう結末にした人物がいることは、この場にいる全員と、神楽美グループの最高峰陣営、そして、警察官僚のごく一部だけが知る事実であった。
「俺が聞いてるのは、オリンピア幹部の残党だよぉ~~~~……っあぁ~」
ごろごろしながら、ぐぐっと伸びをする倉本の様は、本当に猫のようである。
「えぃっ!」
ごきっ!
「ぐぇ」
怠惰な部下にとりあえず蹴りを入れた後、桜が佐々木を振り返る。
「で、どうですの?」
「いや……いま、凄い音がしましたけど……」
「多分死なないから大丈夫です」
キッパリと言ってのける桜の向こう側に、学が冷や汗を垂らして苦笑しているのが見える。これから、一番苦労するのは寺田少年かもしれないなぁ、と、学に深く同情しながら、佐々木は答えた。
「え~と……青山の不安は的中してるみたいですね。幹部のほとんどが姿をくらましていて、確認が取れない状態になっています」
「ってことは、まだまだ安心は出来ないってことですね?」
少し嬉しそうに、桜が念を押す。
「はぁ……まぁ、そうです」
「そうですか、わかりました♪」
にっこりと微笑んで、桜は跳ねる様に学の元へ駆けて行った。なんだかなぁ、と、佐々木はその背を見ながら溜息をついた。若いもんはいいよなぁ……
「と、いうわけですので、明日からちゃんと来て下さいね?」
本当に嬉しそうに、桜は学に言ってくる。
「えーと、いや、神楽美さん……」
「桜って呼んでください」
喜んでる場合じゃない、と言いかけた学に、むくれた顔で桜が重ねてくる。
「んじゃ、あの、桜さ……」
「桜!ですっ!」
「え?いや、えと……」
見る見るうちに、学の顔が赤く染まっていく。青山はそれを眺めながら、くすくすと笑みがこぼれるのをこらえられなかった。見ると、桜に蹴られた腰をさすりながら、床に転がった倉本も同じようににやけている。
「んじゃ……桜……さん」
たはー、こりゃ当分進展は望めんなぁ、と、倉本は内心で爆笑した。表向きは、やっぱり爆笑していたが。
「くぅーらぁーもぉーとぉー、もう一発?」
まず半眼で倉本を睨み、その後にっこりと微笑んで、桜が首をかしげる。可愛くて、怖い。まさに小悪魔って奴だな、と、龍威はその様子を微笑ましく思う。今回の事件で、名実ともに一番の成長をしたのは、このお嬢様だろう。
「うひ~、勘弁~!」
悲鳴を上げて床をごろごろと逃げ惑う倉本と、それを追いかける桜。きっと、これからもこう言った場面を何回も見つめることになるのだろう。
(これからも……か!)
それもいい。凄くいい。龍威は、今まで味わったことの無いような幸福感が込み上がってくるのを感じていた。そうだ、自ら蛍の光を聴こうとする必要は無い。いつか、時がくれば、必ず龍威にも聴こえるはずだから。その時までは……
ひとしきり倉本を蹴りまわした桜は、ようやく溜飲を下げたのか、青山、と、声を掛けた。その横には、ズタボロになった倉本がノビているが、青山は気にしないことにした。
「なんですか?」
「私ね、決めていたんです。一度、前の3人に謝りに行きたいって」
一瞬、桜の言葉の意味を図りかね、青山はきょとんとした顔になったに違いない。
「あ、前、私を護衛してくれた3人です。名前も覚えていないんですけど、凄く会って謝りたいんです。調べてくれませんか?」
これは驚いた、と、青山は本気で思った。内容もさることながら、これは、桜が初めて青山にした「お願い」であったからだ。
「……えぇ、調べておきます」
きっと、うまく笑えているはずだ。青山は、内ポケットの辞表を後で破ることを決意した。
「ありがとう♪」
弾むように、また、桜は学の元へ駆けて行く。
「彼らの住所がわかったら、てら……学くんも、一緒に行きましょう!」
精一杯の、桜の気持ちを感じる。これ以上恥ずかしがるのは、命の恩人だからだとか、そう言ったことを抜きにしても、男として、許されることじゃないんだろうな、と、学は思った。それに……
(それに僕は……いや、僕も……この子が好きだから)
そう、自分に素直になればいい。そうすれば、何も恥ずかしがることは無い。実際、自分の気持ちを認識したら、それだけで不思議に落ち着くことが出来た。
「うん、行こう」
もう、顔は赤くないはずだ。動悸は相変わらずだし、高揚感も凄いけど……!
不意に。
「!!」
唇に暖かいものを、学は感じた。
その場にいた、全員の視線が、学と桜の二人に集中した。
「……うれしい!」
押し付けた唇を離した桜が、恥ずかしそうに、だけども幸せそうに、呟いた。




