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龍威の死体は、まだ転がっている。本物の死体であり、フェイクの死体でもある。龍威が生き返ったのは、学が突風を巻き起こしたあたりのことだ。前もって設定しておいたのだ。死体をその場に残し、ビルの外で新しく生き返るように。蘇生機能そのものを停止することは出来なくても、オプションとして様々な機能が備わっていることを、龍威は過去の死の経験で知っていた。本当は、このまま自分は死んだことにして、学たちの前から姿を消すつもりで居たのだ。龍威の長い過去に、何度もあった別れ。もし、学たちがこのまま無事に桜を救出できたなら、これ以上迷惑をかけないためにも、それが一番の選択肢なのだと思った。彼らにプレゼントしたナチュレーダーは、五回発動させた後は、ただのおもちゃになってしまうように、ここに乗り込む前に細工をしておいた。もし、その細工をしておかないと、彼らの中から第二第三のゼウスが現れないとも限らない。龍威が遠く離れた後で、そんな噂を風の便りで聞きでもしたら目も当てられない。彼らに心を開いたからこその、龍威の決断だったのだ。
しかし、陰に隠れて様子を伺っていた龍威が見たものは、一方的なゼウスの力であった。ゼウスが玄関から堂々とビルの中に足を踏み入れたとき、龍威は物陰に隠れていた。この初老とも思える男がゼウスだとは知らなかったし、仮に知っていたとしても、このまま姿をくらますつもりでいた龍威が、ゼウスに攻撃を仕掛けることは出来なかったのだ。ついでに言えば、人通りが少ないとはいえ、ここは繁華街の近くの通りである。こんなところで一般人には訳がわからない戦闘などを繰り広げれば、それこそ明日の新聞の見出しは『幻魔大戦勃発!』となりかねない。オリンピアを誘い出すために記者会見を開いたりはしたが、すべてが片付いた後に自分達がまたマスコミの目に晒されるのはごめんだった。一通りの形は通したので、オリンピアを潰した後になりを潜めていれば、世間の目は暫くすれば彼らのことなど忘れてしまうはずなのである。
だが。
龍威は最初の計画を変更せざるを得なくなってしまった。このままでは、彼が心を開いた人たちが、そろって全員この世から姿を消してしまうことになる。元はと言えば、自分が巻き込んでしまった人々が。
(くそっ!)
舌打ちしつつビルに入っていく龍威の顔は、なぜだか少しほっとしたような、そんな表情であった。
上で何が起こっているのか、桜にはわからなかった。ただ、彼女に理解できるのは、このままでは告白すらまともに出来ないまま、大切な人が居なくなってしまうという事だけ――しかも、自分を助けたがために!
「いやです、いやだよぅ、てらだくん、お願いっ!」
誰に、何をお願いしているのか。そんなことは、桜自身にも分からない。ただ、桜は祈った。泣きじゃくりながら。
瓦礫の下から、学の上半身だけがうつ伏せでこちらに見えている。衝撃波で粉砕されたコンクリートの粉が、地下室に積もるほど落ちてきていて、学の体の周囲の粉は、赤い液体をぐんぐん吸い込んで重く濡れていた。
学の、とても彼の内面を想像できないほどに威圧的で、軽薄で、それでも、見る者の心を奪わないはずが無いほどに整ったその顔は、なんだかとても満足そうな安らかな表情だった。ピクリとも、動いてくれない。
桜の体中が、激痛を訴えてくる。大きな瓦礫は、学が身代わりに防いでくれた。それでも、崩落した天井の破片の多くは桜の体を痛打していった。桜の体のあちこちの骨が折れているに違いない。しかし、そんな痛みよりも、遥かに大きな苦しみを伴う痛みが、桜の心を締め上げている。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫ぶこと。祈ること。今の桜に出来るのは、それだけだった。
「う……ぐ……」
自分は一体どうしたのだろうか。物凄い衝撃を体に受けたような気がした。その一瞬で記憶が飛んだのだ。
「ここは……?」
見渡すと、まだオリンピアの支部ビルのエントランスだった。どうやら、気を失ってそれほどの時間は経っていないらしい。床に転がるその他大勢の男達(それにしても、こいつらはまだ目覚めないらしい。少しパワーを出しすぎていたのかもしれない)の中に、自分が同じように転がっていたことを知る。少し違和感を感じるのは、なにやら男達の服が――いや、肌も少し――焼け焦げている事に気付いたからだった。
(いったい、なにがおきた……?)
周囲を見渡した佐々木の目に、見知らぬ男の姿が飛び込んできた。その男の頭を後ろから掴んでいるのは、龍威だろうか。そして、対峙する赤と黒の人影――倉本と青山だろう。
(倉本、動けるようになったんだな)
ヴィーナスが気絶して、その束縛が消えたのだろうか。まだ頭がぼんやりとしている佐々木は、そんなことを考える。ふと見ると、例の地下室があったのであろう部分の床が、ごっそりと消失していることに気付いた。
(!!――なんだこりゃ?)
このビルが何年に建てられたものか佐々木は知らないが、阪神大震災以降に建築されたビルのほとんどが、耐震を強化されていることは知っている。よっぽど大きな地震でもあって、それで自分は気絶してしまったのだろうか?
(いや、それも変な話だな)
うまく考えがまとまらない。何かが佐々木の脳裏に危険信号を発しているような気がするのだが、それがなんなのかが分からない。とにかく、床が無くなっているのは地下室があった部分だけで、その他はまったく問題ないように見える。なんだかよく分からないが、かなり大きな石(もう岩と呼べるほどだ)が、一つ壁に減り込んでいることくらいだろうか。
(で、結局地下室が潰れたのはなんでだ? ――あれ?)
危険信号が大きくなる。急速に脳の回転が速くなり始め、ますます佐々木は混乱を極める羽目になった。
(なんで佐伯少年が? あの男は誰? 桜お嬢様? ――地下室のところにまだいるのかっ!?)
慌てた佐々木は、飛び起きようともがいた。が、腰の辺りから激痛が走り、結果――いったん起こしかけた上半身が力を失い、また倒れる格好になった。
がん。
後頭部を自分で床に叩きつけることになってしまった佐々木は、また、意識を暗闇の世界に落っことしてしまったのである。
「人の頭をいきなり後ろから掴むのは、失礼だとは思わないかね?」
――全然余裕がありやがる……
突然の龍威の登場にも動じずに言い放つゼウスを見ながら、倉本は改めて戦慄を覚えずにいられなかった。
――死んだはずの人間が出てきても、まったく驚きもしないのかこいつは!
まったく疑っていなかったかと聞かれれば嘘になるが、倉本も青山も、前もって知識としては龍威が不死身であることを知らされていて、それでも――驚いた。肝が据わっていると自認している倉本が驚いているのだから、青山の驚きは半端なものではないだろうと思う。
――こいつは……人間を超えている代わりに、何かを無くしているんじゃないのか?
奇妙な、それでいて深刻な喪失感を覚える。敵の立場ながら、このゼウスという男には、恐れと同時に哀れみすら感じてしまいかねない。倉本は確信した。この男には何かが足りないのだと。
「じっちゃんがもし、俺のクラスメートだったりするんならば失礼かもな。でも、あんたは忌避すべき敵でしかない。俺の主観でしかないがね」
いうと、龍威はちらりとゼウスの頭を掴んだままの右手を見た。そして、尋ねる。
「もし、この状態でもじっちゃんが力を使えるとすれば、俺達の負けだと思うが……使えるかい?」
「ふふふ、残念ながら使えないようだ。どういうことかね?」
まだ、その笑みは消えていない。もちろん、余裕もである。
「よかったよ。じっちゃんはまっとうな超能力者だ。いま、俺の手は電気伝導率を究極にまで高めてある。じっちゃんの脳波が空気中に拡散しないようにしてるわけだな。だから、どんなに強く念じても、その力は俺の手に吸い込まれて使えない。じっちゃんが……」
そこで一旦言葉を区切り、龍威は地下室があった場所を見やる。
「……あのヴィーナスって姉ちゃんを人工的に作り上げたのであれば――多分そうなんだろうって憶測でしかないがな――この説明だけで充分じゃないかな?」
「ははは、なるほど……うむ、確かにそれで充分だ。それで?私がこの手をどけようとするとどうなる?」
その質問に答える龍威の表情は――倉本に読み取れるような代物ではなかった。きっと、気の遠くなるほど長い年月を生きたものにしか作りえない表情なのだろう。倉本の脳裏に浮かんだ単語は、たった一つ、超然。
「俺の手が離れた瞬間に、じっちゃんは消えてなくなる。これは、じっちゃんがもがこうが、俺が自分で離そうが変わらない」
「そうか」
刹那。
倉本は確かに見た。ゼウスが喜んでいるところを。元からの笑顔が邪魔をしていたし、その表情は一瞬でしかなかったものの、ゼウスが歓喜している事を直感的に倉本はその一瞬で見抜いた。見抜いたがゆえに、彼の行動がわかってしまったのだ。
「佐伯!離すな!」
思わず叫んだが――もしかしたら、龍威には分かっていたのかもしれない。ゼウスが自らふっと体をよじるのに、龍威はまったく抵抗しなかった。それは――龍威なりの優しさなのだろうか?
「――!!」
青山が隣で息を呑むのが聞こえた気がした。
ゼウスは――あっけないほど簡単に、原子の塵となって消えた。
桜は、その光景を当然のこととして受け入れなければいけないことを知っていた。そうでなければ、その現象が止まってしまうのだから。焦る気持ちが無いわけではなかったが、焦ってもしそれが止まってしまったら、学は本当に死んでしまうだろう。
もう、学は瓦礫の下敷きにはなっていない。学の周囲を囲むように、それらは動かされていた。桜が手を下したのではないと同時に、それは明らかに桜の所業でもあった。そしていま、学の傷はふさがり始めている。
桜は――それを当然のこととして受け止め、なおも学を回復させるために、念じ続けた。




