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「……いだいです……」
青山が目にした光景は、どこと無く喜劇の終幕を思い起こさせるものだった。仰向けに倒れている女性の顔の部分に、桜の頭が重なっている。どうやら桜がヴィーナスに体当たり(というか頭突き)をお見舞いしたらしいのだが、後ろ手に縛られた状態でそんな無茶をすると、当然受身など取れるわけも無く、顔面に全ての衝撃が集約されてしまったはずである。もし、狙いが逸れて床にキスする羽目になっていたら、最悪死んでしまっていたかもしれない。
「まったく……本当に規格外のお嬢様ですよ、あなたは」
苦笑交じりに、青山が嘆息する。すでにカタがついていたようなので、緊張を解いた。
「はやぐたすげてぐださい」
くぐもった声で、桜が哀願する。
「はいはい。で、その女性は?」
手摺りを降りながら、青山が聞くと、
「きぜつじでるはずでず」
潰れたカエルが花粉症になったような声で桜が返した。その声に、青山は、ん?と、違和感を覚えてしまう。
(泣いてるのか……)
手摺りの梯子を降りきり、床に足をつけた青山は、逡巡した後に聞いてみた。
「その……見てもいいのでしょうか?」
主語をぼかし、出来るだけ桜に気を使ってみたのだが、余計なお世話だっただろうか。妙に気まずい思いに囚われた青山に、だが、意外にも桜が返した答えは
「ありがどぅ……でらだぐんがいいです……」
というものだった。
「佐々木、寺田君に降りてもらってくれ」
上の佐々木に声を掛けながら、青山は
「失礼、とりあえず手錠だけ外させていただきます」
うつぶせに倒れている桜の手錠を強化された筋力で引きちぎった。このビルに乗り込んだときの警備員達との戦闘時に感じていた通り、このスーツの筋力強化は凄まじい力を青山に与えてくれているようで、それほど苦も無く手錠を壊すことが出来た。
(佐伯君は……一体どうなるというんだ?)
龍威は自分が死ぬことはないといっていた。龍威の能力に圧倒されて、青山自身、なんとなくその言葉が真実なのだろうと考えていたのだが――
(もし……佐伯君も、この女性と同じように、地球人の超能力者だとしたら?)
死んでしまったら、さしもの超能力も形無しだろう。龍威の言葉がもし作り話でしか無かったなら、青山たちはみすみす龍威を見殺しにしてしまったことになる。桜の救出に成功した今、青山の心にはまだその点が暗く引っかかりを感じさせるのであった。
「神楽美さん!」
学が降りてきた。ここは学に任せて、青山は龍威と倉本の様子を伺いに上に登った方が良さそうだ。
「寺田君……」
振り向いた桜を見て、学はドキッとした。桜は、泣いていた。
「大丈夫?」
どう声を掛けて良いのか分からず、学の口から出たのはあまりにも平凡で月並みな言葉であった。
「佐伯君は……?」
聞かれて、学は戸惑った。龍威は、本当に蘇るのだろうか?
「……わからない。リュウイが嘘をついてたとは思わないけど、生き返るのにも時間が掛かるのかもしれないし……」
「そう……ですか……」
沈痛な面持ちで、桜が吐息をついた。
(……僕は……冷たい人間なのかな……?)
決して、桜を救出できたことを手放しで喜べる状況ではない。しかし、学は今、桜の美しさに魅かれている自分をはっきりと自覚してしまっていた。だから、そんなことを考えてしまう。自己嫌悪に陥りそうだった。
「この人は……」
自分の気持ちを誤魔化すために、話題を変える。一瞬、桜が恨めしそうな視線を向けてきたが、気付かない振りをした。
「……どうするのかな。僕達をこんな目に」
「ねぇ、寺田君」
学の言葉を強い口調でさえぎり、桜がじっと学を見つめてきた。幾ら鈍感な学でも、もう気付いていた。だから、余計に、今は聞きたくなかった。しかし、そんな学の心中を知ってか知らずか、桜は言い募ってくる。まるで、今しかないとでもいうように。
「お願い、変身を解いてください」
真剣な表情だ。学の心にあった、抗う意思が消えてしまう。まるで、魔法に掛かったかのように。心臓が早鐘を打つ。桜の言葉に、体が無意識のうちに反応してしまう。自分でも気付かないうちに、学はナチュレーダーの変身解除ボタンを押していた。数瞬で、神楽美特殊科学班の警備服を着た姿に変わる。その間も、視線は桜の瞳から離せなかった。吸い込まれるかのように。
「こんなときに、って思いますか? でも、私は佐伯君の言葉を信じます。信じたいんです。だって、信じなきゃこんな事言えないから」
その桜の言葉に、学は目を見開いた。桜も痛がっている。桜も辛いのだと分かったから。それでも桜が――きっと、学の想像通りの言葉を今から学に伝えてくるのは、桜がすでに決意をしているからだろう。そして、その決意が時間が経つことでほんのわずかでも揺らぐことが怖いから。
それならば――学も聞かなければならない。逃げることは許されない。学も心を決めた。
「寺田君、私は、あなたが……」
何が起こったのか、青山には一瞬分からなかった。いや、当の佐々木にもわからなかったに違いない。とにかく、青山が地下室からエントランスに顔を出したとき、視界に飛び込んできたのは、派手に吹っ飛ばされる佐々木の姿だった。
「佐々木!」
叫んでから、今の自分の姿が「敵」の、格好の標的であることに気付く。手摺りの梯子を、青山はまだ登り切っていないのだ。動くに動けない。ちっ、と舌打ちして、青山は足に力を込めた。
青山が手摺りを蹴り、強化された筋力で1メートルほど残った梯子を端折り、上方へ跳び上がったとき、間一髪の時差で衝撃波が寸前まで青山が居た場所を叩いた。
コンクリートが粉砕される乾いた音が響き、床が崩れる。エントランスの床は、そのまま地下室の天井でもあった。
ごががっ!
青山の叫び声に、決死の告白を邪魔された桜が憤怒の形相で上を見上げたとき、その破壊音が聞こえた。と同時に、ありえない光景が桜の目に飛び込んでくる。
(天井が――崩れる!?)
下から眺めていただけでも、入り口付近のコンクリートはかなり厚めに見えた記憶がある。鉄筋の補強もされているはずであるし、実際、今現在も(桜は見ていないので知りはしないが)エントランスの床には数十名のオリンピア私兵が気絶して倒れており、厚めのコンクリートは不平を漏らすどころか平然とその荷重を支え続けていたのだった。が。
そのコンクリートが、まさに崩れようとしている。一体、どれほどの衝撃がそれを可能にするのか、桜には計算する余裕も無かった。
「神楽美さん!」
数秒――いや、きっと、呆然と数瞬天井を見上げてしまっていたに違いない。ガラガラと降って来る瓦礫が、桜を押し潰さんとしたその時に、彼女を突き飛ばし押し倒すものが居た。その人物は警備服を着ていて、ついさっき、桜が告白をしていた相手であり、そしていまは、桜を押し倒した拍子に、彼女を狙っていたコンクリートの瓦礫の下敷きになっていた。
「てらだくん……いやぁ! てらだくんっ!!」
愛の告白の続きは、悲痛な悲鳴に取って代わってしまった。




