3-4
「今更かもしれないんだけどさ」
学が、不安そうに言った。
「僕達、全員で来ちゃったけど、大丈夫なのかな?」
「ん? なにがだ?」
聞かれて、龍威は答えた。全員で行こうと言い出したのは龍威である。それは、まだ使い方もろくに覚えていない力を暴走させないように、全員を監視したかったという理由から出した言葉だった。
「思うんだけど……」
すこし、言い難そうに学が続ける。
「オリンピアからの連絡ってさ、やっぱ、ホテルのあの部屋に来るんだよね?」
「そりゃなぁ。まだ神楽美の研究所も名ばかりだし、なによりお嬢を……」
と、龍威は倉本と同じ呼び方で桜のことを呼び、
「……誘拐っつーか、拉致したのもあのホテルに俺達がいたのがわかってたって事だろうからな」
至極まともに答えた。そして、確かに、自分の答えに妙な感覚を覚える。
「……あれ? なんかおかしいな?」
「いや、だから、オリンピアが連絡してきても、僕らが全員こうやって出てきちゃってたら、どうしようもないんじゃないかなぁ?」
「あ~……やばいな、そんなことすっかり忘れてたぞ」
オリンピアのヴィーナスが聞いたら、さぞ驚くことだろう。
「だいたい、そういうことはSPさんたちが言ってくれなきゃ」
学が凄い勢いで睨んでくるので、慌てて龍威は責任をSPたちになすり付けてみた。が、
「我々もここまで特殊な事態というのは初めてだからなぁ。佐伯君の言葉に従った方がいいのだろうと考えたんだ」
青山のもっともな意見で、あっさり学の視線も戻ってきた。さっきよりも強力な視線である。やぶ蛇、という言葉が脳裏に浮かぶが、ここは何とか誤魔化さなくては、時間をかけてしまうと本当に桜の身に何が起こるか心配だった。
目の前には、オリンピアの県支部が建っている。エントランスに堂々と、オリンピアのシンボルマークと県支部の文字が掲げてある。表向き、まともな宗教法人を装っているのだから当然といえば当然のことなのだが、龍威にはなんだか腹だたしかった。
「マナブ、ここで時間潰してるあいだに、神楽美が本当に拷問でも受け始めたら困るよな」
「あ、当たり前じゃないか!」
微妙に論点をずらしてみた。学は気付いていないようだ。
「よし、じゃあ行くぞ! どうやらここは明かりも付いてるみたいだし、ビンゴっぽい」
すると、佐々木が口を挟んで来た。
「どこから始めて良いんだ?」
恐らく、佐々木はどの時点から暴れて良いのか、と、聞きたいのだろう。
「ん~。しょっぱなから行きますか?」
こうなったら、なるべく騒ぎを大きくしてしまった方が良いような気がする。自分達がここで暴れていると知れば、もし、敵の首脳陣がここにいなかったとしても、なにか手を打ってくるはずだ。ここがハズレだった場合は、そうやって打たれた手を逆に追って行く事も出来るかもしれない。龍威はそう思って、能力全開の許可を出した。
「ただし、殺さないようにな。正義のヒーローが殺人罪で訴えられたら目も当てられない」
一応釘を刺しておく。まったく、正義の戦いというのは難しいものだ。制限が多すぎる。でも、その制限を守らなければ、自分達の正当性を、自分達自身が信じられなくなってしまうだろう。海外では、未だに自爆テロの応酬が続いているが、あの行為のどこに正義があるのか、龍威には分からない。自殺するのは勝手だが、そこに他人を巻き込んだ時点で、ただの犯罪者である。もちろん、自殺するということそのものが、龍威には許せなかった。俺と違って、限りある命なんじゃないのか?
(おっと、今はこんなこと考えてる場合じゃねぇな)
おもわず、考えに耽りそうになった自分を叱咤する。
「とにかく、派手に、しかしソフトに、だ。攻撃のレベル調整はさっき教えた通り。いいな? んじゃ、行くか!」
きぃ、と、鉄のこすれるような音がして、桜の目にいきなり光が飛び込んできた。それほど強い光ではなかったのだが、暗闇に慣れた桜は、眩しさに目がくらんだ。
「はぁい、お嬢様♪ どうやら、あなたの部下達はあなたがどうなっても構わないみたいよ」
聞き覚えのある声が、上から降ってくる。どうやら、ここは天井部に入り口が作られた空間のようだ。地下室なのかもしれない。
目を開く。しばらくは何も見えないが、慣れないとしょうがないので、我慢する。5秒ほどで、大体の視力を取り戻せた。天井に点検口のような蓋があり、そこからあのヴィーナスとかいう女性が、にこやかな顔で覗き込んでいるのが見えた。とりあえず、微笑み返す義理も無いので睨んでおいた。
その入り口は壁に近いところに作られていて、入り口の下には壁に四角い手摺りのような形をした鉄の棒が、30センチほどの感覚で床まで取り付けられていた。
(なるほど、あれを梯子のように上り下りするのですね……上でカギをかければ、下から力づくで押し壊そうとしても、踏ん張りが効かなくて脱出しにくい、と)
なかなかに手の凝った監禁部屋である。もしかすると、万一の時のために、水牢攻め用の放水口などもあるかもしれない。確かめる気にはならなかったが。
「それで? いまどき流行らない拷問でもするつもりですか?」
精一杯、虚勢を張って桜は言った。もちろん、睨んだ視線は外さない。
「あら、察しがいいのね。そのまま、全部素直に話してくれると私も嬉しいんだけど?」
そういうヴィーナスの顔は、とても本心でその言葉を吐いたとは思えないほど、サディスティックな期待に満ち溢れているように見えた。背中に悪寒が走るのを感じる。
(でも、こんなことくらいで負けるわけにはいかないんです!)
「その前に、私がここに連れてこられた理由すら分からないんですけど?」
実際、桜たちはこれまで、状況証拠と推測だけで行動を進めてきた。オリンピアと直接接触したことも無い。桜のその言葉を聞いて、ヴィーナスは少し考え込んだ顔になった。
「……そうね、確かにそういう言い訳も通るのかもしれないけど……あの会見が無かったらね」
だが、彼女はそう答えてきた。
「加えて、あなたはあの時ビルの屋上にいたでしょう? ちゃんと見てたんだから。しらを切るには少々動きすぎたんじゃないかしら?」
「ということは、あのビルの火災は、あなた達がやったことだと認めるのですね?」
正直、あの場に近藤と田口という男達が入っていったのは、ただの偶然かもしれないと桜は思っていたのだ。可能性はかなり低かったが、ない、とは言い切れなかったので。だが、自分がこうしてさらわれることになり、いま、一連の首謀者と思しき女性が目の前にいる。
「まぁ、ね。本当はもうちょっとスマートにやりたかったんだけど、無粋な部下がいて困っちゃうのよ」
「私を誘拐するのは、粋なやり方だとでも? その部下さんは、上司が喜びそうな手段を取っただけですよ、きっと」
この状態で、相手を逆上させるのは得策ではないのだろうが、言わずにはいられなかった。だが、まだ相手には余裕があったようだ。
「あら、そうだったの? じゃあ、殺す前にお礼でも言えばよかったわね」
平然と、そんなことを嘯く。さすがに気圧されて桜は何も言えなくなってしまった。そんな桜を見て、変わらず微笑を浮かべながら、ヴィーナスはゆっくりと手摺りの梯子を降りてきた。
「もうおしまいかしら? じゃあ、始めさせてもらうわよ」
後ろ手に縛られ、足かせもされている桜は立つことも出来ない。そんな桜の前に立ち、ヴィーナスは優越感に満ちた表情で見降ろしてくる。恐怖よりも、悔しさで胸がいっぱいになった。
ドン、という衝撃音が、天井から聞こえてきたのは、その時だった。
「癖になりそうだな、これ」
佐々木が浮かれた顔で楽しげに騒ぐ。ナチュレーダーの技を使う必要も無いくらいに、スーツで強化された筋力が軽く突付いただけで警備員を吹っ飛ばす。その威力に酔っているのだ。
「いーけど、頼むから死人だけは出すなよ」
龍威は気が気ではないようだが、この状況ではそんな手加減は出来ないように青山は思っていた。
どうやら、このビルが「当たり」であることは間違いないようだった。エントランスを無言で走りぬけた途端、通路のあちこちから警備員が現れた。今まで回って来たビルとは比べ物にならない人数だ。しかも、彼らの制服は神楽美の物ではない。いまや全国で80%近いシェアを誇る神楽美の警備員ではないという上に、この人数である。オリンピアとやらが、神楽美に隠れて何らかの悪事を働いてきたことは確かな気がした。
とにかく、次から次に襲い掛かってくるので、体が反射的に動いてしまう。結果、手加減など出来ずに、相手が吹っ飛ばされていくことになる。ドン、ドン、と、壁や床、時には天井(!)に、警備員達が叩きつけられる音がビル中に響いているのだろうか、上の階の見回りをしていたらしい警備員が、後からあとから湧いて出てくる。今やエントランスは、明らかな人口過密状態になっていた。
「なぁ、ウォーターレンジャーさんよ、あれ使って良いか?」
倉本が、期待を込めた口調で龍威に聞いているのが聞こえた。あれ、とは恐らく、倉本の属性である炎の技のことだろう。
「いや、こんな状態で使ったら駄目ですよ!」
学――ウィンドレンジャーが、悲鳴のような声で警告していた。その学だが、警備員に飛び掛られるたびに「ひゃあっ」とか、「おひょっ」とか、情けない声をあげつつ、やっぱり反射的に、恐らく渾身の力で警備員を突き飛ばしていた。その証拠に、ドンドン音を立てて壁に叩きつけられているのは、大半が彼に突き飛ばされた警備員である。
とにかく、このままではキリが無いことも確かなので、今度は青山自身が龍威に聞いてみることにした。
「私の『壁』で通路を塞ぐという手はどうだろう?」
「おっけー、やってみて」
「むぅ、なぜお前だけ」
倉本が恨めしそうな声をあげるが、無視する。両手を通路の一つに向け、青山は叫んだ。
「グラウンドウォール!」
すると、龍威から前もって聞いていた通りのことが起こった。大理石調の(本物ではないだろう、きっと)フロアタイルの上に、ずずっと岩肌が現れたかと思うと、そのまま天井まで、まるで植物が一気に成長したかのような感じでズズズッとせり上がっていった。数秒後には、通路を完全に岩壁が塞ぐ形になる。その周囲にいた警備員達は、何が起こったのかわからない様子で、不思議な岩の壁を呆然と見詰めていた。おそらく、壁の向こう側にいた連中も同じだろう。
「ジンハリケーン!」
学が右手を前に出して叫ぶ。どうやら、いちいち驚いて反応するのに疲れたらしい。ゴウッという風の音が聞こえ、学の手が指している方向の警備員達の動きが止まった。力を抑えろと言われているので、風速25メートル程度の風になっているのだろう。大型台風より、少し強いくらいの風だ。吹き飛ばされることは無いが、踏ん張らないと立っていられないだろう。
「ドライアードウィップ!」
今度は佐々木の声だ。佐々木の右手から、茨のついた蔓のような鞭が射出される。佐々木が右手を振り回すと、警備員達が悲鳴を上げて逃げ回った。威力レベルを抑えているので、当たってもバラの茎で殴られた程度の痛みらしいが、レベルを上げると、有刺鉄線を振り回すくらいの威力になるらしい。もちろん、射出時もレベルが高いと、そのまま槍のようなものだ。恐ろしい武器である。
「ずるいぞぉ、おまえらだけぇ!」
最後に響いたのは、技発動のキーワードではなく、悔しそうな倉本の僻みであった。
どうやら、エントランスにいる警備員達はそろって気絶してしまったようだ。それにしても凄い数である。このビルのエントランスは20メートル四方程あるのだが、倒れている人数は50人程もいるであろうか。幾らなんでも多すぎる。どんな大企業であっても(そう、警備会社である神楽美グループであっても、だ)、一つのビルのワンフロアにこれほどの人数を持って警戒に当てることなど無い。しかも、青山が作った壁の向こうの連中や、いまだ彼らの侵入を知らぬであろう上層階の人間も合わせると、とんでもない人数になりそうな気がする。
「こいつら、本当に警備員なのか? 俺、こんな制服の警備会社見たことないぞ」
佐々木が周囲を見渡しながらぼやく。そう言えば、この警備員達は青山たちが侵入したとき、誰何の声も挙げなかったように思う。黙して、まるで青山たちの侵入を予期していたかのように襲い掛かってきた。
(もしかすると……)
青山の心中の呟きは、そのまま倉本が声を出して継いでくれた。
「私兵ってヤツじゃねぇのか? オリンピアの」
「考えられるな。どの道、桜お嬢様を誘拐した時点でオリンピアは俺達といつかは正面対決しなくちゃいけないことは分かっていた筈だし」
「警備員というよりも、暴力団の構成員のような風貌だな」
倒れてうめいている連中を見ると、確かにスキンヘッドだったり、いかにもな傷を顔に持っていたりする男達がちらほら見える。普段から周囲を威圧している人間というのは、風貌も染まるものなのかもしれない。稀に、学のように容姿と内面が真逆のベクトルを向いている人間も存在するのだが。
「じゃあ、僕達がここに来たって事は、もうオリンピアの上層部の人間も知ってるって事だよね?」
その学が、龍威に確認する。
「あぁ、こんだけ騒げば、流石に気付かない方がどうかしてると思うしな」
「じゃあ、神楽美さんを急いで探さなきゃ」
「だな」
「うむ、急いだ方が良いだろう」
青山も龍威とともに頷いたのだが、見ると龍威は少し浮かない顔をしていた。
「どうした、佐伯君?」
「いやぁ……奥に進むにはあの壁消さなきゃいけないだろ? したらまた、連中がどどーっと押し寄せてくるんだろうなぁって」
疲れた顔で、龍威は言った。
「なぁ、あれなんだ?」
そのとき、倉本が怪訝そうに床の一部を指差して言った。その指の先を見ると、足が見えた。もちろん、彼らが気絶させた警備員だか私兵だか暴力団構成員だかの足なのであるが、青山もそれに違和感を感じた。足しか見えないのだ。体の上半身は、床にめり込んでしまったかのように確認できない。無論、周囲に転がる連中の所々は折り重なって倒れているので、下になっている人間の体の一部が見えないのは不思議じゃないのだが、その足の周囲には他に倒れているものはいなかった。なにより、足の先が天井を向いている。
近寄って見てみると、どうやら地下に空洞が設けてあるらしく、そこに入るための蓋が開けられているようだった。その男は、仰向けに倒れた拍子に上半身がその穴にはまり、中に降りるための手摺りのようなものにかろうじて引っかかったらしい。
「あっぶねぇなぁ、何でこんなもん開けっ放しにしてあるんだ?」
「もしかしたら、落とし穴のつもりで開けといたんじゃないかな?」
「まさか、んなトコで暴れたら、自分達が落ちちまう可能性もあるのに、幾らなんでもそんなことはしないだ……」
学の珍妙な予想に苦笑して答えながら男を引っ張り上げていた倉本の言葉が不意に止まる。
「あれま、お嬢、こんなトコにいたんですかい?」
そして、彼は穴を覗き込んでそんなことを陽気な口調で言った。




