帰省(1)
肌に空気が張り付く感覚がある。目を開くとそこは建物の中だった。
マテラもナチュラも、自分の前からは消えている。
懐かしいと感じるのは、思い込みによるものだろうか。
視界を外に向けると、曇天の空が目に映った。
湿った、土のような匂い。
雨音は聞こえないが窓がぬれている。少し前に雨でも降ったのだろう。
ガラスに映った自分の顔が、視界に入る。
そこにいたのはこの世界に相応しくないような姿だった。
転生前の自分の顔は面影もなく、転生後の自分の姿は、まるでアニメの作画を現実世界に合成したように違和感があった。
異世界ではありきたりなこの服装も、ここが地球の日本だと考えるとコスプレをしているように見える。
「さて」
姿についてはどうしようもないとして。
違和感を感じた自分は、精霊力に意識を向ける。
いつものように、羽を広げて宙に浮く……そうイメージしても、上手く力が入らない。
穴の空いた風船に空気を吹き込むように、力を込めた瞬間に抜けていく。
数十分かけてようやく、手のひらほどの小さな羽が背中についた。
力の流れを強くイメージすることで、十センチほど身体が浮くが、これ以上はどうにもならなさそうだ。
どうやらこれが、今の自分の限界らしい。
地球という環境を考えれば、これでも十分にすごいことなのはわかる。
だけど、羽を広げて自由に飛ぶのが当たり前だったから、あまりにも物足りなく感じる。
贅沢な悩み。というやつなのだろう。
「まあ、仕方ないか」
それよりも、せっかく地球に戻ったのだから、やるべきことをやってしまおう。
マテラによると、世界の扉を塞ぐ雲が晴れるまで、数日程度だったはず。
のんびりしている時間はない。
そもそもここはどこなんだ?
前世の自分の部屋……ではない。窓の外も、少なくとも見たことのある景色ではない。
木製の床、漆喰の壁。伝統的な日本の家屋のようではある。
扉を開けると廊下があった。廊下を進んで外へ出ると、塀に囲まれた狭い空間に、この建物はあるようだった。
「どこかで見たことがあるような……」
子供の頃の記憶を掘り起こす。
そう、自分はここに、何度か訪れたことがある。
頻繁にではなく、年に数回、夏祭りとか、初詣とか。
どうやらここは、地元にある神社の境内のようだった。
都会でもない地元の神社には、イベントでもない限り人が集まることもない。
定期的に掃除はされているようだが、それでも薄く落ち葉が積もっていた。
季節はどうやら秋頃らしい。
心地よい涼風が肌をなでる。
「さて」
久しぶりに地球の空気を吸った。
というだけでも十分に満足なのだけど、せっかくだから、いろいろ歩き回りたい。
そうなると、今のこの姿というのは目立ってしまうだろう。
服屋にでも行こうかと考えて、ふと思い出す。
そういえば自分は、日本円をまったく持っていない。
「そうなると、実家に行くしかないか?」
幸いなことにここは自分の地元で、実家まで歩いて十分とかからない。
自分が転生した当時のままだとすれば、玄関の扉は電子キーだから開けることができる。
日が高いこの時間なら両親は仕事に出ているはずだし、俺の部屋には着替えがいくつかあったはず。
まさか久しぶりの帰省なのに顔を見せることができないのは申し訳ないが……死人がひょっこり現れるわけにもいかないから、仕方がない。
◇
境内をぐるりと回ってみたが、門が閉じているようで、外に出ることができないようだった。
無理矢理こじ開けるわけにもいかないので、壁を飛び越えることにする。
十秒近く、目を閉じて集中して、精霊力を全身に行き渡らせる。
身体が少しずつ軽くなっていく。
目を開いて壁に向かって跳躍すると、自分の身体が三メートル近く飛び上がった。
そのまま壁を飛び越えて、敷地の外にふわりと着地する。
道具無しで三メートル飛べるのは、地球という環境を考えれば(略)
全力を出してもこの程度しかできない能力の劣化に頭を抱えつつ、石段を降りて実家へ向かうことにした。




