砂漠の迷宮(5)砂漠の竜(2)
スペラさんと二人並んで、砂の迷路を進んでいくと、ドラゴンがいる部屋に戻ってくることができた。
ここに近づくごとにプレートが金片を消費する速度は徐々に上がっていき、今では20秒に一度ぐらいのペースで金片一枚分のエネルギーが使い果たされてしまう。
なるほど。これを見れば、あのときナチュラ達が焦っていた気持ちがよくわかる……
『チシロさ……ま……到着……ですね。……お気づきかと思……すが、その空間は…………』
おそらくマテラもそのことを伝えようとしてくれているみたいなんだけど、ノイズがひどくてあまりうまく聞き取れない。
金片にはまだ余裕があるとは言え、危険な場所であることに変わりはないから、できるだけ早く調査を終わらせてしまおう。
『よくぞ戻ってきてくれた、妖精の人間よ……ところでその者は?』
「約束通り、戻ってきたよ。この子は、スペラさんっていう女の子で……もしかしたらその杭を抜く手伝いができるかもしれないから試しに連れてきたんだけど……」
『左様であるか。そのようなか弱き者にそのような力があるものなのか……』
「か弱き? まあ、人は見た目によらないっていう言葉もあるからね」
自分たちが来たことに気がついたドラゴンが、早速自分に話しかけてきた。
前に来て立ち去るときに「また来る」みたいなことは言ったけど、昨日の今日ですぐに来るとは予想していなかったのだろう。驚きの感情と、あとはやはり人と話をするのが楽しいのか、喜びの感情も見て取れる。
そんなふうにドラゴンと話をしている自分の様子を見て、スペラさんは「何してるんだろう」みたいな不思議な物を見るような目で自分のことを見つめてきていた。
「あの……また独り言ですか? 今度は何と話をしているんですか?」
「いや、ごめんごめん……やっぱりスペラさんにも見えないよね。目の前にドラゴン……不思議な生き物がいるはずなんだけど」
「見えません。私には、何もない空間に不思議な力が吸い込まれていくのしか見えません。ですが、ここが終着点なのですよね。結局、私に何をさせたかったんですか?」
「そうだね……危険なことだから、スペラさんが嫌だと言ったら止めとこうと思うんだけど……あそこに刺さっている杭のようなのが見える? あれを……抜きたいんだけど」
自分が、突き刺さる杭を指さすと、スペラさんはそれを見つめて「ふむ」と頷いた。
「それって、私の馬鹿力が必要と言うことですか? 確かに私は痛みに耐えるためにトレーニングを続けてきましたから、パワーには自信がありますが……そんなことなら私でなくても……」
どうやら彼女は、この空間の危険性というのがよくわかっていないみたいだ。
というか、かくいう自分にも何がどう危険なのかというのがよくわかっていないというのもある。
だから、そんな自分が言葉で伝えたとしてもうまく伝わる自信が無いんだけど、かといって何も伝えずに「じゃあそう言うなら引っこ抜いちゃってよ」と無責任に言うわけにもいかないし……
「そうだね。じゃあ、少し自分が実践してみるよ。一度だけしかやらないし、一瞬しかやらないから、よく見ててね……と言うわけでとりあえずこれを持っていてくれる?」
「あ、はい。わかりました……」
スペラさんにプレートを手渡した自分は、プレートが展開している結界の範囲ギリギリのところまで空を飛んで移動する。
この結界は、熱を防ぐ機能と、魔力の流出を防ぐ機能の二つがあって、これのおかげで自分たちは今もこの危険な場所で普通に活動することができているわけだけど……
結界の境界は、薄い膜のような物で覆われている。
その膜に左手をゆっくりと伸ばし……突き破るようにして結界の外に拳だけを露出させる!
左手を選んだのは、最悪失うことになったとしても利き手でなければなんとかなるだろうとか、一瞬だけ外に出してすぐに引っ込めることができるとしたら、足よりは手の方がやりやすいだろうとか、そういう打算的な考えだった。
一番最初に感じたのは、熱湯に手を入れたときのような強烈な熱さだった。思わず手を引き抜こうとした次の瞬間に感じたのは、何かが抜けていくような冷たい感覚。
ピシリ、ピシリと音を立てながら、自分の左手から抜けていく何かが、外気に触れた瞬間に固まっていき、その手はすぐに綺麗な結晶のような物に包まれた。床や壁に張り付いているのと似たような色形をしているこれは、マテラとナチュラが言う「魔素結晶」というやつなのだろう。
自分の中にあった魔素が飛び出して結晶化したと言うことなのだろうか。
痛みを感じると同時に全く動かなくなった左手を、腕ごと、身体ごとひねることで結界内に引き戻すと、パラパラと魔素結晶が崩れて地面に落ちていく。
結晶が完全に取れて現れた左手は、細かい傷がいくつもついていて、血の気を失ったように青白く変色していた。
「……と、こういうことになるわけだけど……」
痛みにこらえながらスペラさんの方を見ると、彼女は心配そうな視線を自分の左手に向けていた。
「そんなことより、早く治療をしましょう! でも治療って、こういう場合どうすれば?」
「治療は、後でするから良いよ。それよりもスペラさん。自分が想像していた以上にこの場所は危険みたいだ。ここまで連れてきておいて悪いけど、やっぱり今日のところは……」
だんだんと、麻痺してきたのか痛みすら感じなくなってきた左手を気遣いながら、スペラさんに「引き返しましょう」と言おうとすると、彼女は自分にプレートを差し出してきた。
「いえ、ちょっと待ってください? でも多分私は、外に出ても大丈夫だと思いますよ?」
「何でそんな発想に? もしかして、今のを見てなかった? 次は右手でもう一度……とかは勘弁だよ?」
「その必要はありませんよ。と言うか、よく考えたら私、さっきから何度か、普通に結界の外に手足がはみ出してたんですよね……」
プレートを受け取ると、彼女は何食わぬ顔で結界の境界へと近づいていく。
そして、特に気負う様子もなく「えいっ」と一声あげて結界の外に身体まるごと投げ出すように飛び出した。
自分は左手を出すだけで痛みにもがき苦しんだその地獄のような空間で、彼女は平然とした顔で「ほらね? 大丈夫でしょう?」と笑いかけてくる。
「……なんで?」
「『なんで』と聞かれても……私の中には、この空間が吸い続けている力の素になる物が欠如しているのです。だから私は、大丈夫なんですよ。と言うか、それがわかっていたから私をここに呼んだんじゃないんですか?」
「そういえば、二人から細かい理屈は聞いてなかったな……」
マテラとナチュラは、このことがわかっていたからスペラさんを連れてくることを推奨したのだろうか。
つまり二人には、スペラさんならこの外で普通に活動できることがわかっていたわけで……自分が左手を犠牲にしたのは完全に骨折り損ということ?
愕然としていると、スペラさんは気を取り直すようにしてくるりと回り、地面に足を付ける。
それでも特に苦しむような様子は見られない。
「ところで、この杭を抜けば良いんですよね? もうやっちゃって、良いですか?」
「え、あ、うん。お願いしようかな。それでいいんだよね?」
『……そうだな。お願いすることにしよう』
ドラゴンからも「何やってんだこいつ」みたいな想いを感じる気がするけれど、これはさすがに、自分の被害妄想だと信じたい。




