砂漠の迷宮(3)砂漠の竜
「パパ、その目の前の空間が、魔力を吸い続けている中心みたいだよ。ほら、床を見て。魔素が吸い寄せられるように放射状に広がってるでしょ?」
「……空間?」
魔王に言われて視線を下に降ろすと、たしかに生き物の足下には、砂鉄を磁石で集めたように、魔素が固まった結晶が広がっていた。
ドラゴンの姿をしたその生き物が緩やかに呼吸をするごとに、周囲の魔素がほんの少しずつ引き寄せられているようだ。
「チシロさま、この場にはあまり長くいられません。結界の魔力が少しずつ引き剥がされています」
「パパ、あと5分ぐらいが限界かも。金片がもう少し用意してあったら大丈夫だったんだけど……」
「そうか。じゃあ今回は、とりあえず一度引き上げる必要があるかな。とりあえず原因と思われる物も分かったし、次の調査に必要なのが何なのかも……」
あと5分は大丈夫ということらしいけど、あまり二人に無理はさせられないと思って、振り返って地上に戻ろうとしたところ、今まで眠るように黙っていたドラゴンがわずかに身じろぎをして、閉じていた目の片方をゆっくりと開いた。
同時に、耳を通さない声が、脳内に直接響く。
『おまえ……まさか妖精か? 俺の声が聞こえているのなら、返事をするが良い!』
マテラと魔王の様子を見るに、この『声』は自分だけに届いているようだ。
今回はこのまま退散するつもりだったけど、次来るときに険悪にならない程度のコミュニケーションはした方がいいのかもしれない。
そう思い、再びくるりと振り返って、後ろに下がって距離をとりながらドラゴンに向かって話しかけることにした。
「聞こえているよ。自分は水音千代。妖精じゃ無くて、人間だよ。……結界が保たないらしいから今日のところはこれで失礼する。また来ると思うけどね」
『そうか。ところで、妖精の人間。おまえに頼みがある。……俺の足下にある、楔のような物が見えるか?』
「足下? 楔って、地面に刺さっているそれか?」
『そうだ。どうかこれを、地面から引き抜いて欲しいのだ。おまえしか頼める相手がいない。どうか頼む……』
「引き抜くと言ったって……」
ドラゴンの態度が偉そうなことに文句を言うつもりは無い。「なぜ自分が?」と思う気持ちが無いわけでは無いけれど、頼まれたことを無碍にするほど人でなしでも無いと思うから。
彼の言っていた楔を見てみると、それは地面に大分深く刺さっていて、引き抜くのにも相当力が要るように思われる……
「チシロさま、どうしましたか? 誰かと会話をしているのですか?」
「パパ、もうあまり長くは保たないよ! 調査をしたい気持ちは分かるけど、少し急いで!」
「あ、ああ、そうだね……ねえ二人とも、あそこに刺さっている杭みたいなのが、見える?」
「見えるけど! パパ、あの杭がどうしたの?」
「チシロさま、確かにあの杭は見るからに怪しいですが、魔力や魔素が吸われているのはあの杭の1メートルほど真上ですよ?」
二人とも、少しずつ余裕がなくなっているように見える。この場所で結界を維持するのは、自分が考えている以上に大変なことなのかもしれない。自分としても、二人に無理はさせたくないけれど、最後に一つだけ聞くことにした。
「そうなんだ……あの杭を引き抜くことって、出来そう?」
「「それは無理です、チシロさま!」」
まあそれは、そうだよね。そもそも結界の外の物に触れることすら危ない状況なのに、あんな深く刺さった物を引き抜くことが簡単にできるとも思えない。それに、どうやらこれ以上ここに長居をするのは難しそうだ。
「分かった、二人ともありがとう……と、いうわけみたいなんだけど」
『そうか……分かった。無理にとは言わない。時間をとらせてすまなかった。だが、また来てくれるのだろう? その時にまた、話の続きをしよう』
ドラゴンの声は、自分一人にしか届いていないけれど、逆にマテラと魔王の声は、ドラゴンの元にも届いているらしい。彼は自分たちの会話を聞いて、残念そうな想いを浮かべる。その想いが絶望ではなかったから、引き抜かなければ命に関わるというわけでもなさそうだから、そこは自分としては気が楽なところなんだけど……
「そうだね。じゃあ、また次の機会に!」
最後に一言だけ再会の約束を残して自分は、妖精の羽を広げて勢いよく飛び出した。
少し距離を置くと、ドラゴンの声は届かなくなり、彼の放つ強烈な想いも、砂の壁に阻まれて薄れていった。
そのまますいすいと砂の迷宮を抜けて地上に出ると、ちょうど砂平線の向こうが徐々に明るくなりつつある。
「チシロさま、日の出です! 急ぎましょう!」
「日が昇ると一気に気温が上がるよ、パパ、急いで街まで戻ろう!」
「りょ、了解!」
そういえば、さっきから少しずつ気温が上がっているのか、分厚い衣服の下が汗で少し湿っているような……
日が昇る前からこの調子だと、本格的に急いだ方が良さそうだ。
「飛ばすよ。二人とも、掴まって!」
二人がフードの中にすっぽりと収まったのを確認して、妖精の羽を全力で稼働して、人が集まる想いの方角を目印にして砂の世界を駆け抜ける。
街の目の前に着陸して結界の入り口を駆け抜けた瞬間、朝日が昇り、結界の外が灼熱の光に照らされたのを感じた。
なんとか間に合って良かった……




