砂漠の街(8)
店を出た自分たちは、街の中をぶらぶらと歩きながら宿を探すことにした。
この世界で暮らすことになるなら、いずれは仮の宿ではなく、本拠点となるような家や部屋を買ったり借りたりすることも視野に入れていく必要があるんだろうけれど、今日のところはひとまず落ち着ける場所が欲しい。
幸いというか、よく考えたら不思議なことではあるんだけれど、この世界の文字も今に自分になら理解出来るから、看板を眺めながら歩いていれば、いずれは「ホテル」とか「宿」とかを見つけることも出来るだろう。
そんな軽い気持ちで10分ぐらい歩いていると、予想通りそれらしい建物を見つけることが出来た。
城のようにも見えるほど巨大なその建物は、この街でも一二を争う大きさで、遠くからでもよく見える。
いくら探しても宿が見つからないから、この建物はなんなのだろうと気晴らしに近づいてみたら、入り口のところにでかでかと「宿屋」と書いてあった。
よくよく見たら、夕方から夜にかけての砂漠が涼しいうちに移動してきた商人達は、荷馬車をひいてその建物の中へと次々に入り込んでいる。
おそらく、こうして砂漠を越えて別の村や町からやってきた商人を宿泊させるための施設なのだろう。
どうやら商売としてかなり儲かっているようで、他の家々とは違って壁面は綺麗に磨かれているし、砂漠の砂の色しかないこの世界の中で、この敷地内だけは様々な色にあふれていた。
「チシロさま、見つけましたね! 今日はここに止まりますか?」
「……まあ、ここに泊まるしかないだろうね。ちょっと、自分には豪華すぎるんじゃないかが心配だけど」
「パパ、豪華だと何か問題があるの?」
「豪華ってことは、それだけお金がかかるっていうことでしょ。いやまあ、お金に困っているわけじゃないんだけど……」
「チシロさま、そうは言っても、他に宿らしい建物はなかったのですよね。必要経費と割り切るしかないのではないですか?」
マテラの言うとおり、いずれにせよここに泊まる選択肢を外すと、砂漠の洞窟でもう一晩野宿……みたいなことになりそうだから、これ以上いろいろ考えるのは止めることにした。
それに、成金趣味な感じの建物は、逆に「金さえ払えば無礼講」みたいな雰囲気があるから、この世界のマナーとかに詳しくない自分にとっては逆にありがたいのかもしれないしね。
そういうわけで、自分たちは恐る恐る宿屋の敷地へと足を踏み入れていくことにした。
多くの旅人達は、それぞれ自分たちが乗ってきた荷馬車などを預けるために順番を作って並んでいるけれど、自分たちは特にそういう乗り物はないから、直接大きな扉を抜けて中に入ることにした。
街の中にも街灯は並んでいたから暗くはなかったんだけれど、この建物の中はむしろ明るすぎるぐらいだった。壁には一定間隔で照明が取り付けられていて、屋根からも無数の光源が吊されている。
灼熱のようだった砂漠の昼間ほどではないけれど、それでも「まるで昼間のよう」と表現するのに不足はないぐらいには明るさが保たれている。
他の店では薄暗い状態で我慢していたことから、こうやって明かりを用意するのも簡単ではないはずだ。つまりそれだけ、この宿が儲かっていると言うことなのだろうか。
「それで、チシロさま。受付には向かわないのですか?」
「ああ、そうだね。ごめん、少しぼーっとしてた。それじゃあ、行こうか……待って、誰か来るみたい」
正面玄関から入った大きなロビーの真ん中で呆然としていると、突然自分の方に意識が向けられたのを感じた。そして、そちらの方からドタドタと誰かが走ってくる足音が……
「坊ちゃん! また会いましたな、奇遇ですな! もしかして坊ちゃん、今日はうちにお泊まりになるんですかい?」
「お、おっちゃん?」
自分のことを見つけて走り寄ってきたのは、ついさっき別れたばかりのドワーフ風のおっちゃんだった。
相変わらず、ぽっちゃりとした体を揺らしながら走ってきているけれど、その服装はさっきまでと違って、しっかりとした、高級そうなスーツに包まれている。
彼は今「うちにお泊まり」と言っていた。ということは、このホテルの従業員か何かなのだろうか……いや、他の従業員が向けている視線や想いは、どうやらそうではなく、むしろ……
「もしかしておっちゃん、結構偉い人だったりする?」
「偉いっつうか、このホテルの社長なんっすわ、わたし。そうだ、坊ちゃんのためなら、特等室をご用意いすることも可能ですぜ。どうします?」
「いや、自分は普通の部屋で良いです。あまり高級すぎるのもちょっと……」
「そうかい……じゃあ、しょうがないな。おい、お前! このお方を、お部屋に案内しろ! 17階の、スウィートルームだ! 手続きは俺がやっておくから……粗相のないようにな!」
「あ、はい! かしこまりました、オーナー!」
おっちゃんは、受付をしていた従業員に雑に仕事を振ると、彼は文句も言わずにそれに従うようだった。
どうやら、この人がこのホテルの社長というのは嘘や誇張ではないようだ。
おっちゃんとはその場で別れて、自分たちは上へと通じるエレベーターのような乗り物に乗り込んだ。
扉が閉じて、おっちゃんの視線が感じられないようになると、黙っていた従業員がひそひそ声で話しかけてくる。
「お客様……うちのオーナーとは、どういう関係なんですか? あの人が他人を無料で泊めるなんて、初めてですよ?」
「いやまあ、そこまでたいした関係ではないというか……強いて言うなら、一緒に冒険をして、共に危機を乗り越えた戦友……いや、何でもない。わすれて……」
「戦友! すごいですね。野心が強いだけであまり動けない人だと思ってたけど……僕たちの知らないところでそんな風に誰かと戦っていたんですね!」
「うん。まあ……そうだね。あまり人には言わないでもらえると助かるかな……」
「そうですよね! 僕たちを戦いに巻き込みたくないんですよね! さすが、英雄は考えが深いなあ!」
実際は、おっちゃんは自分の巻き添えで掴まって、その後は縛られて動けないままだったんだけど……彼の名誉のためにこれは黙っておくことにしよう。
そして、自分は別にヒーローになったような記憶はないんだけど……これも、下手に触ると余計にこじれそうだから……
「さあ、尽きましたよ、英雄様! このお部屋をお使いください! 何かご用がありましたら、室内にある伝声管をお使いくださいね!」
「うん、案内してくれてありがとう」
「こちらこそ、光栄です! それでは私はこれにて!」
エレベーターを降りてすぐの距離に扉があり、従業員はその扉を指さしながら自分に鍵を手渡して、そのまま下へ向かうエレベーターへと乗り込んでいった。
どうやら、この部屋が今日の自分の寝床になるようだ。この階の廊下には、この部屋以外につながっている部屋は見当たらない……つまりこれは、自分はこの階を貸し切り状態で使えるってことだろうか。
「おっちゃんめ……普通の部屋で良いっていったのに……」
「パパ、この部屋、豪華なの? でも、お金はかからないんでしょ?」
「まあそうだけど……」
「チシロさま、おそらくですが、一般用の客室はオーナーの意思で貸し出すのが難しかったのでは? ともかく、部屋の中に入りましょう!」




