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※前回までのあらすじ※

幸恵は物心ついた頃には母親から虐待を受けており、父親も見て見ぬふりだった。小学校入学前に父方の祖父母に引き取られることになった彼女だったが、中学卒業間際、とつぜん母親が訪れ、「妹のために中卒で働くように」と言われる。これで幸恵と祖父母は初めて妹の存在を知る。妹の環境を心配した幸恵は実家に戻るが、両親の教育ですっかり暴君と化した妹にとって、幸恵の存在は逆効果だった。結局、一年も経たないうちに、幸恵は失意と無力さを感じながら祖父母の元へ戻ることになる。しかしその後、妹は周囲とうまくなじめず、小学校でイジメを受ける。それは「顔と名前が似合ってない」という理由だった。幸恵は妹に改名を勧めるが、妹はそれを「お姉ちゃんもあたしの顔を馬鹿にしてるんだ」と拒否。父方の祖母に似て美人の姉は、妹にとってコンプレックスを刺激する存在だった。妹は姉のあずかり知らぬところで、たった十歳という若さで美容整形手術を受ける。自分の存在もまた妹を歪ませてしまった原因だと自責の念にかられた主人公は、どうにか妹の権利を守りつつ、婚約者と両親に責任を取ってもらおうと決めるが――。

 シリアスな雰囲気を壊したのは、店員の明るい声だった。


 満面の笑みとともに、デンッと注文の品がテーブルに乗せられる。


 まず真っ先に目の入るのは、頂点で咲き誇る薔薇の花束だ。薄切りにしたリンゴといちごでできたそれは、結婚式のブーケを思わせる。


 その下のグラスには、ムースやソルベ、クリーム、アイス、フィアンティーヌ(薄く焼いたクレープ生地を砕いたもの)、カットされたいちごなどが、美しい層となっている。


 大迫力の巨大パフェだった。



「本日の日替わりパフェ、『いちごとリンゴのブーケパフェ』でございます」


「え、まだ頼んでないけど……っ」



 玲一が急に焦りだす。



「いつもの、というご注文でしたので、紅茶と日替わりパフェだと思ったのですが……作り直して参りましょうか?」


「アッ! しまっ……い、いえ! お気になさらず!」



 困惑する店員をどうにか帰らせると、玲一は頭を抱えた。



「………………か、かっこわるい……」


「え、なにが?」


「花岡さんの前では、甘いものはやめておこうと思ったのに……」


「え、いまさら? 和泉くん、昔から甘いもの好きでしょ」


「えっ!? し、知って……!?」


「そりゃあね。和泉くん、給食でデザートがつくたびに、目を輝かせてたでしょ。わかるよ」



 指摘すると、彼は赤い顔のまま、ショックを受けたように固まった。


 昔を思い出して、幸恵は思わずふきだす。



「そういえば、和泉くん、給食のプリンを田原に取られたことがあったよね。『食べないならよこせ』って。あれ、あきらかに楽しみに取っておいたやつだったよね」


「……あの時は、花岡さんが自分のプリンを譲ってくれたんだよね」


「そうそう。和泉くん、顔に出さないようにしてたけど、ショック受けてるのがわかったからさ。なんか可哀想になっちゃって」


「あの時は、なにも考えずに受け取ってしまったけど……よかったのかい? キミだって、甘いものは好きだろう? 製菓会社に勤めているくらいなんだから」


「まあね。でも、わたしは自分で食べるよりも、おいしいものを食べて幸せそうな他人(ひと)の顔を見るほうが好き。だから、この業界を選んだんだ」


「そっか。素敵だね」



 ストレートな賛辞は、どんなに飾った言葉よりも胸にしみた。



「だから、気にしないで食べていいよ。甘いものが好きな男の人に偏見なんかないし。むしろ、素直に好きな物を好きって言える人のほうが、好ましいと思うな」


「そっか。それじゃあ、お先に失礼するよ。……少し取り分けようか?」


「え、いいよ。そこまでしてもらわなくても」


「遠慮しないで。ここのパフェは見かけだけじゃなくて、味も素晴らしいんだ」



 そう言って、取り皿にきれいに移していく。


 最後にそえられた薔薇を模したリンゴやいちごは、もはや芸術だった。それを崩さずに移す玲一の器用さにも感心する。幸恵もたいがい細かいが、彼は自然とそうしているようだった。



「……じゃあ、お言葉に甘えて……」



 おそるおそるスプーンですくって、口に運ぶ。


 舌の上に乗せた瞬間、広がった味に驚愕した。



「お、おいしい……っ!」



 濃厚ないちごとはちみつのムースが、爽やかなミルクソルベとレモンクリームと混ざることで、くどくなくキレのある味わいになっている。


 もちもちした触感のいちごリゾットと、ザクザクした歯ごたえのフィアンティーヌが舌に楽しい。


 甘酸っぱいいちごやリンゴも、アイスやクリームと一緒に食べることで、ちょうどいい塩梅になっている。


 パフェというとダラダラと甘さが続くものが多いが、これは上品でさっぱりとした味わいだった。



「なにこれ、すごい! おいしーい!」



 つい夢中になって食べていると、くすりと忍び笑いが聞こえた。


 はっと顔を上げると、玲一が慈愛のこもった眼差しでこちらを見つめている。


 急に恥ずかしくなってきて、幸恵は顔を赤らめた。



「う、ごめんなさい。おいしくて、つい……」


「気にしない、気にしない。素直に好きな物を好きって言える人のほうが、好ましいと思うよ」



 つい先ほどのセリフをそのまま返されて、幸恵は今度こそ顔から火が出る思いだった。






 続いて運ばれてきた『選べるケーキセット』もまた、素晴らしい味わいだった。


 すでに表情を繕わなくなった玲一も、幸せそうに笑み崩れながらスイーツに舌鼓を打っている。


 幸恵は玲一のことを、よくできた砂糖菓子のように完璧すぎて、自分とは別世界の住人だと思っていた。だが、こういう姿を見ると、そんなものは幸恵自身が勝手に作り出したイメージによる先入観だったのだな、と思い知る。


 今の玲一は、まるで子供のように瞳を輝かせている。そこに人形めいた美貌はない。あるのは、血の通った生命の輝きだ。



(……そういえば、あの人とはこういう話はできなかったな)



 和也は工場で実際に菓子を製造する仕事をしていたが、彼自身は菓子があまり好きではなかったようだ。「私生活でまで菓子を見たくない」と言って、目の前で甘いものを食べることすら許してもらえなかった。


 ただ、彼の気持ちもわからないではない。幸恵も入社後しばらくは工場で新人研修を受けたが、甘い匂いや機械の騒音でつらかった覚えがある。あそこで仕事をしていると、だんだん感覚が麻痺してくるのだろう。


 だから、こうして気兼ねなく甘いものの話ができるのは、本当に久しぶりだった。仕事でならそういった話もできるが、プライベートだとまた違った楽しさがある。



「それで、新作のアイディアっていうのは、どういったものなのかな? なにかテーマがあるとか?」


「うん。『夏の新商品』のアイディアを出さないといけないんだけど。前回、宇治金時風の『宇治抹茶ケーキ』を提案したら、夏らしくないって却下されてね……」


「宇治抹茶ケーキかぁ、僕は好きだけどな。……あ、じゃあ、発想を逆転させて、冷たい宇治抹茶ケーキを作ってみたらどうかな?」


「冷たい宇治抹茶ケーキって、それもう宇治金時じゃない」


「違う、違う。かき氷じゃなくて、アイスにするんだよ。抹茶と小豆ときな粉と黒蜜をソルベにして、このパフェみたいに何層にも重ねてさ」


「――そ、それだぁっ!!」



 まさに天啓だった。



「そ、それもらっていい? そのアイディア、いただいちゃっていい?」


「どうぞ。僕じゃ商品化できないし。花岡さんが作ったアイス、僕も食べてみたいな」


「ありがとう!!」



 こうしてはいられない。早く会社に帰って、アイディアシートを埋めなければ。


 残りのケーキをきれいに食べ終わると、幸恵は代金をテーブルに置いて、席を立った。



「ありがとう、和泉くん! あなたのおかげで会議に間に合いそう! あ、お金はここに置いておくね!」


「え? ちょ、花岡さん、これじゃ多すぎるよ。おつり……っ!」


「アイディア料だと思って、残りは和泉くんのものにしておいて! それじゃ!」



 返事を聞く間もなく、幸恵は店を飛び出した。


 早く――早く、アイディアを形にしたい。


 幸恵の脳内は、すっかりスイーツのことで埋め尽くされていた。


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