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※注意!!※
前回に引き続き、両親から主人公姉妹への虐待の描写があります。
「育児放棄・暴力・経済的虐待・姉妹間の過度な待遇差・優しい虐待・イジメ・子供の美容整形」
これらの要素に嫌悪感のある方は、読み飛ばしていただいてかまいません。
次回(第8話)の冒頭にあらすじを載せますので、そちらをお読みいただければ話がわかるよう対策いたします。
また、今回、主人公の性格が悪いです。「主人公は聖人君子じゃなければ嫌だ」という方はご注意ください。
玲一が息をのむ気配がする。
かまわず幸恵は話を続けた。
「ショコラがいじめられたことは、両親が起こした騒動で知ったわ。あの人たち、担任教師やいじめた生徒相手に連日抗議してね。ついに追いつめられて退職してしまった担任教師の家族から、逆に訴えられたのよ。そこで初めて、妹の現状を知ったってわけ。祖父母も大慌てよ。けっきょく、どうにか示談にしてもらったけど、妹は深く傷ついた。だからわたしは、以前から調べていた、改名手続きの資料を持って、妹に会いに行った。つらいなら名前を変えてもいいんだよ、って。――それが間違いだった」
妹の名前のことは、幸恵も気にしていた。
出生届はとっくに出されていたので、今さら取り消すことはできない。だが、改名はできる。
だから、もしも彼女が改名したいと思うことがあった時には、手助けできる存在になろうと決めていた。
そして、それは今だと思った。
改名手続きの資料を持って妹を訪ねた幸恵は、傷ついて涙をこぼす彼女を前に、こう切り出した。
「あのね、ショコラ。もしもあなたがつらいなら、名前を変えることだってできるんだよ。みんなに悪口を言われるくらいなら、変えちゃっていいと思う。十五歳になったら、自分で変えることができるから。もしも名前が嫌になったなら、お姉ちゃんが協力するからね」
それが妹のためだと思った。自分は正しいことを言っている、と。
――だが、違った。
「……お姉ちゃんも、あたしに『聖恋蘭』なんて似合わないって思うんだ」
「え?」
「あたしだって、好きで地味な顔に生まれたんじゃない。もっと可愛く生まれたかった。本当のお姫様になりたかった」
「違う、そうじゃないのよ、ショコラ。あなたの顔じゃなくて、名前の話をしているの。それに、あなたの顔だって愛嬌があるし、卑屈になることなんか――」
「お姉ちゃんにあたしの気持ちはわからない! キレーな顔した、お姉ちゃんになんかっ!!」
手元にあった目覚まし時計が投げつけられて、幸恵の胸にあたった。
けれど、胸が痛いのは、そのせいではなかった。
「本当はあたしのことバカにしてるんでしょ!? ブサイクでカワイソーって! どーせ心の中では悪口言ってるんでしょ!?」
「ショコラ、聞いて。わたしは――」
「美人な人に、ブサイクの気持ちなんか、わかるはずない!!」
――それは、妹の魂の叫びだった。
「その後、妹は整形手術を受けた。それを知った時は、子供になんてことさせるんだ、って両親に抗議したけど……あの子には、なにも言ってやれなかった。わたしがなにか言ったら、また傷つけるような気がして」
「そう……だったんだ」
「けっきょく、わたしの自己満足だったのかもしれない。あの子を傷つけたんだから、わたしも同罪ね」
ふう、と重い息をつく。
あの時の光景は、今でも夢に見る。
「わたしは、父方の祖母に似たんだけど、たしかに祖母は美人なの。昔はかなりモテたらしいわよ。いまだに語りぐさになってるくらいだから、そうとうね。妹は母親似なんだけど……あの子はああ言ったけど、本当に素材が悪いわけじゃないのよ。ただ、典型的な日本人顔だったから、フランス語の名前には違和感があったわ。そもそも、人名じゃなくて、お菓子の名前だし」
「向こうの人からしても、違和感があるだろうね。日本人だって、西洋人の名前が『オセンベイ』とか『イモヨウカン』だと、違和感があるだろうし」
「たしかに。『ダイフク』とか『オダンゴ』とかね。ペットの名前なら、アリかもしれないけど」
想像して、思わず苦笑いする。
おいしそうだが、人名だとは思わない。
「……だからね、本当に妹に対する恨みはないのよ。むしろ、ちょっと後ろめたいというか。あんな男と引き合わせちゃったのは、間違いなくわたしのせいだし」
「結婚式には、ご両親も呼ぶつもりだったの?」
「まさか。義両親の理解だってあったし、うちの親戚も事情は知ってるから、式に呼ばなくたってなにも言われなかっただろうからね。……ただ、婚約者が、うちの両親にも祝ってもらいたいって言ってきかなくてね。『血が繋がった親子なんだから、話し合えば理解してくれる』って、勝手に実家と連絡つけちゃったのよねぇ。義両親と一緒に諭したんだけど、なんだか浮かれちゃってて」
まさか、妹に手を出すほど愚かだとは思わなかったが。
今さらながら、自分の見る目のなさが悔やまれる。
「……妹さんへの恨みは、本当にないんだね?」
「ない。……いや、違うな。あったけど、冷静になったら、自己嫌悪で死にたくなった」
「と、言うと?」
「妹は両親の被害者。悪いのは未成年に手を出した婚約者のほう。……そう、頭ではわかっていたつもりだった。でも、あの瞬間、わたしの怒りはたしかに妹にも向かってた」
――作られた美貌に、嫉妬なんかするわけないでしょ。
――赤ちゃん、可愛いといいわね。
どれも、妹のトラウマをえぐる言葉だ。
あの時の幸恵は、意図的にショコラを傷つける言葉を選んでいた。
「血は争えないわよね。わたしにも、あの両親の血が流れてるんだな、ってはっきりわかった。――思い返しても、自分自身に吐き気がする。何度も消えたくなったわ」
――本当はあたしのことバカにしてるんでしょ!? ブサイクでカワイソーって! どーせ心の中では悪口言ってるんでしょ!?
彼女の言ったとおりだった。
偉そうなことを、きれいごとを言っておいて、いざ婚約者が寝取られたら、冷静じゃいられなかった。
感情的になって、妹を攻撃した。
その時、初めてわかった。
本当は心の中で、整形手術を受けた妹を嫌悪していた。
そして妹には、それが伝わっていたのかもしれない。
「本当に、性格が悪い……」
自分が嫌な人間だと認めるのは、苦痛だった。
けれど、ここで現実から目を背けたら、今度こそ両親と同じになってしまう。
あの人たちと同じところにまで堕ちるのは、嫌だった。
「これ以上、嫌な人間になりたくない。だから、あの子のためにも、自分のためにも、軽率な行動はしたくない。きちんと、正しい選択をしたい。だから、妹を恨んだりしたくない。……これで、答えになるかな」
「うん、じゅうぶんだよ。花岡さんが昔から、自分自身を理性的に律しようと努力する人だってこと、知ってるから」
ほっとしたように笑った玲一を見て、心配かけてしまったのだと悟った。
「事務所におじゃました時は、まだ冷静じゃなかったものね。わたしが妹になにかする気じゃないか、って心配してくれたんでしょう?」
「そこまでの心配はしていなかったけど、権利を主張して、結果的に妹さんの立場を悪くするんじゃないか、と危惧してはいたかな」
「ああ、たしかにありそう。わたしならやりかねない」
正義感で他人を必要以上に追いつめかねないタイプだという自覚はあった。
「未成年者の権利を保護するのも、弁護士の仕事だものね。あの時の和泉くん、妹の話になると歯切れが悪かったし。わたしのこと警戒していたのはわかってたよ」
「ごめん。今回の場合、下手すると刑事罰も絡んでくるから……」
「こっちこそ、ごめん。……刑事罰って、淫行罪とか?」
「淫行条例違反だね。あれは親告罪じゃないから」
「え、そうだっけ?」
「そう。だから、花岡さんが警察に駆けこんだりしたら、ちょっとまずいことになると思って。あれは懲役とか、けっこう重い刑罰もありえるから」
「ああ、なるほど」
たしかに、警察に訴えてしまえば、和也は条例違反で罰を受けるかもしれない。
そうすれば幸恵を裏切った連中に仕返しができるし、さぞやスカッとすることだろう。
だが、それは同時に、妹を未婚の母にしてしまう危険性もはらんでいる。
その上、警察沙汰になれば噂が広まり、妹ごと口さがない世間にさらされるだろう。
婚約者や両親の立場など今さらどうでもいいが、妹のことを考えれば、安易に行動するわけにはいかない。
「あーもう! 浮気相手がショコラじゃなければ、あの子のお腹に赤ちゃんがいなければ、遠慮なく和也さん――いや、もう姫野でいいな。ヤツに「さん」付けなんかしたくない。十六歳に手を出すロリコン淫行野郎なんか、百年の恋も冷めるし。キモいし。……とにかく、妹のことさえなければ、あのロリコン野郎を警察に突き出して、社会的に叩きのめすのもやぶさかではないんだけどなぁ」
妹ではなく赤の他人なら、たとえ未成年だろうと容赦しなかったかもしれない、と思うあたり、やはり自分は性格がよくないな、と幸恵は思った。
ここにいない男を口汚く罵る彼女を前に、玲一は苦笑する。
「はは……まあ、交渉材料にはなるよ。警察に相談するかどうかは、相手の出方次第かな」
「あんなロリコン野郎に引っかかったことが人生最大の汚点だわ。間違いなく黒歴史。できるなら出会う前に戻って、すべてをやり直したい。過去の自分に『思い直せ』って忠告してやりたい」
つくづく、自分の見る目のなさが悔やまれる。
彼らを引き離すべきなのか、それとも責任を取らせるべきなのか。妹が和也に入れこんでいる以上、難しい判断だ。
(……ごめん、ショコラ。本当にごめん)
あの日の彼女の叫び声が、耳の中でこだましていた。
このまま結婚すると、ショコラの本名は『姫野聖恋蘭』になります。