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「……え? …………えええええっっ!?」


「うふふ、恥ずかしいわぁ」



 口元を隠してくすくす笑う音羽は、とても追いつめられて自殺未遂をするような人間には見えない。


 見た目からは想像もつかないでしょ、と西澤も苦笑している。



「表面上は愛想よくニコニコ笑ってるから、周りも気づかないんだよね。でも、案外こういう外面のいいタイプのほうが、内に溜めこんじゃうのかも。花岡ちゃんだって、仕事だといつも愛想がいいでしょ」


「は、はあ。そうでしょうか……」


「その場にふさわしい振舞いができるから、外向的だと誤解されがちだけど、本当は内向的なタイプだよね。だから他人と距離を縮めるのが苦手で、特定の人以外とは深い関係にならない」


「……よく見てますね」


「だしょー? もっと褒めて褒めて」



 にしし、と調子に乗る西澤に、音羽がやれやれと呆れ混じりに笑った。



「でも、この観察眼のおかげで、わたしは命を救われたのよねぇ。あのころ、わたしの本当の性格に気づいてくれたのは、あなただけだったもの」


「お(にい)もひと目で見抜いてたけどねー。音羽ちゃんに連絡が取れないって言ったら、『ああいう手合いは意外と溜めこむタチだから、心配だ』って言って、すんなりついてきてくれたし」


「あら、そうだったの? 知らなかったわぁ。貴之さんったら、教えてくれてもよかったのに」


「……貴之さん?」



 知らない名前だ。


 ああ、と西澤が補足する。



「あたしのお兄。……で、音羽ちゃんの婚約者」


「えっ! 音羽先輩の結婚相手って、西澤先輩のお兄さんなんですか!」


「あらぁ、言ってなかったかしら?」



 初耳である。



「事件の時に救助したのがきっかけで付き合い始めたんだよね。ウチの兄はかなりの世話好きで、あの後もなにかと音羽ちゃんのこと気にかけてたから」


「あの時の貴之さんは、まるでナイト様のようだったわよぅ」


「なかなか血なまぐさいなれそめだよねぇ」


「あ、あはは……」



 否定も肯定もしにくいので、笑ってごまかす。


 かなり衝撃的な出会いであることは確かだった。



「貴之さんは、うちの営業の部長なのよぅ。他人とコミュニケーションを取るのがうまい人だから、わたしもいろいろなことを教わったわ。例えば、誰かに上手に甘える方法とか、ね?」


「口が上手いんだよねー、お兄は。交渉が難航してる取引先から、あっさり契約もぎ取ってきたりさ。たしか、営業では『口先の魔術師』とか呼ばれてるんだっけ?」


「言葉よ、『言葉の魔術師』。口先、だなんて人聞きが悪いわ」



 ぷりぷりと怒る音羽は、普段の大人びた態度とは違い、どこか少女めいた愛らしさがあった。


 歳上の女性に失礼かもしれないが、つい微笑ましくなってしまう。


 こほん、と咳払いをひとつして、音羽は話を戻した。



「とにかく、それ以来はわたしも他人との付き合い方を研究したの。だから、今の花岡さんにも、少しくらいアドバイスしてあげられると思うわ。貴之さんのお墨つきよ」


「……音羽ちゃん、お兄のこと信用しすぎてない?」


「あら、当然でしょう?」



 にっこりと笑う音羽の表情には、恋人に対する絶対的な信頼感がにじみ出ている。それが幸恵にはうらやましかった。それこそが彼女に欠けているものだからだ。


 思い出をなぞるように、音羽は言葉を紡いでいく。



「わたしはね、人に否定されるのが怖かったの。誰かに頼み事をするのって、すごく勇気がいることだもの。決死の覚悟でお願いしたのに、それが拒絶されてしまうと、必要以上に傷ついてしまうから。……だったら、一人で抱えこんでしまうほうが、何倍も楽だった」


「わかる気がします」



 幸恵も学生時代、アルバイトをした時に経験したものだ。



『今忙しいの、見てわからない?』


『それくらいでいちいち質問しないで』


『どうしてこれくらいのことができないの?』



 ろくに指導もしてもらえないのに、見よう見まねで覚えることを強要された。


 忙しい職場だったので、新人教育に割く余力がなかったのはわかっている。


 けれど、そんな環境で新人が育つはずもなく、同期は一人、また一人と辞めていった。


 さすがに入ってすぐ辞めるのは体裁が悪かろうと、幸恵は意地で一年間ほど働いたのだが、今思えばさっさと見切りをつけて次にいくべきだったかもしれない。


 その時の苦い経験が、他人に頼ることへの苦手意識を高めたのは間違いなかった。



「でもね、貴之さんを見ていたら、わたしの言い方にも問題があったんだなって気づけたの」


「問題?」


「そう。ただ『手伝ってください』なんて言うだけじゃ、断られるだけなのよ。だって、相手だって忙しいんだもの。そんな時はね、相手の自尊心をくすぐるのよ」


「じ、自尊心……?」


「例えば、『この企画を成功させるには、花岡さんのセンスが必要なの。協力してくれない?』って言われたら、どうかしら?」


「それは……確かに、嫌な気分はしないですね」


「でしょう? まず相手を褒めて自尊心をくすぐった上で、お願いするのがコツなのよ」



 なるほど、わかるような気がした。



「でもね、それは仕事上の付き合いとか、そういう相手の時のことよ。花岡さんの彼氏さんなら、きっとこう言ってほしいと思うわ」



 音羽は幸恵の耳元に口を寄せると、こそこそと囁いた。



「……そんなことで?」


「ええ、もちろん。だって、恋人なんだもの。それでいいのよ」


「えー、なになに? あたしにもおせーて」



 興味を押さえきれなくなったのか、西澤が身を乗り出す。


 うふふ、と笑って音羽は人差し指を唇にあてた。



「ナ・イ・ショ。これはカップル限定トークだもの」


「あーっ、またそうやって独り身をバカにするうぅぅ」


「あなたの場合、外見と中身のギャップが激しすぎるのよぅ。黙っていればクールな美人さんに見えるのに、口を開くと残念だもの」


「しょうがないじゃない、この会社に受かるためにイメチェンしたのよ。お兄が『そのままじゃバカっぽい』って言うから眼鏡もかけたし。伊達だけどね」


「えっ、西澤先輩の眼鏡って伊達なんですか?」


「そーよ。就活のために、黒髪の眼鏡美女になりきったの。判を押したような無個性ってやつね。あたし、元々は茶髪でパーマかけてたし」


「オマケに、家では見事な干物女だものねぇ。あなた、そうやって本当の自分を見せられないから、恋人ができないんじゃないかしら」


「ぐぬぬ、人が気にしていることを……。仕方ないじゃない、今さら元の自分に戻れないっての」



 いつも自身に満ちあふれている西澤でさえ、素の自分をさらせずに悩んでいる。


 そのことを知って、幸恵はなんだか、ひどく安堵した。


 ――なんだ、みんな同じなんだ。似たような悩みを抱えているんだ。


 そう気づくと、深刻に考えこんでいるのがバカバカしく思えた。






 ――翌日。


 退院する彼女を迎えにやってきた玲一に駆け寄って、幸恵は勇気を振りしぼった。


 ずっと言えなかった言葉。飲み込んできた言葉。


 傷つくリスクを犠牲にしてでも、言いたかった言葉。




「助けて、玲一くん」




 その一言を待っていたと言わんばかりに、彼は満面の笑みを浮かべた。


「――もちろんだよ、幸恵さん」


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