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「…………ひどい」
ぽつり、と誰かがつぶやく。
それを口切りに、次々と非難の声があがった。
「振られた腹いせに冤罪とか、サイテー」
「つか、和泉くんが池山みたいなの相手にするわけないと思ってた」
「自分から服脱いだとか痴女かよ」
轟々と投げかけられる罵倒に、リコがわっと泣き出す。
「だって……だって、好きだったんだもん! レーチくんは真面目だから、傷物になったら責任取ってくれると思って……っ!」
「みなさん、静粛に! 後はこちらで話し合いますから、他の生徒たちは自分の部屋に戻りなさい!」
事態を収拾させようと動き始める教師らに、幸恵が待ったをかける。
「先生、まだ終わってません」
「なんです?!」
「まだ、和泉くんへの謝罪が終わってません。彼はこれだけの衆目の前で濡れ衣を着せられ、名誉を傷つけられました。先生方は彼の言い分を聞こうともしなかった。きっとトラウマになります。彼の矜持のためにも、今ここで、みんながいる前で――謝ってください」
年下の、本来ならば教え導く立場の生徒からこう言われて、おそらく彼らのプライドは傷ついただろう。生意気な、と心では憤慨していたかもしれない。
だが、教師たちは反論しなかった。
お互いに目くばせし、たっぷりと時間をかけて逡巡した後――静かに、頭を下げた。
「すまなかった」
「ちゃんと話を聞いてあげなくて、ごめんなさい。許してちょうだい」
「今回のことは、きちんと真実を伝えます。安心してください」
口々に謝罪を述べる。
それで玲一もようやく緊張の糸が緩んだらしい。まだうっすらと青ざめながらも、わずかながら頬に血色が戻り、泣き笑いのような表情でうなずいた。
学年中を巻きこんだ大騒動は、こうして終焉を迎えたのだった。
「ありがとう、花岡さん」
翌日、玲一はわざわざ班の違う幸恵の元までやってきて、そう礼を述べた。――感謝の気持ちなのだろう、小さな菓子の詰め合わせまで差し出して。
かさばらないよう、食べきれるサイズを選ぶあたりがにくい心遣いだ。
だが、彼にとっては災難なことに――その時の幸恵は、過去最高に機嫌が悪かった。
池山騒動のせいで、田原らの悪事の印象が薄れてしまい、大したお咎めにならなかったからだ。
もちろん、それは幸恵の主観であって、実際のところ彼らはこってり絞られ、家族へ警告がいくことに決まったのだが――彼女としては、彼ら全員を停学、できることなら退学処分にでもしてほしかったのに、当てが外れたのだ。
義務教育である中学生に退学処分は難しいだろうが、このころの幸恵にそんな事情は知ったことではなかったのである。
――その結果、苛立ちの矛先はあわれにも、なんの罪もない玲一少年に向かったのだった。
「あのさ、なんでいつも反論しないの?」
「え……?」
「いつもそうだよね。キミをめぐって女子が対立してるのに、オロオロしてばっかり。今回だってそう。『違うんです』とか『誤解です』って言ってばかりで、『池山さんに襲われました』とは一言も口にしない。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ。あんたにはりっぱな口がついてるでしょうが」
「それは……」
「嫌われるのが怖いのか知らないけどさ、たまにはガツンと言ったら? そうやってハッキリしない態度だから、周りも調子に乗るんだよ。誰にでも優しいのって、いい人ってわけじゃないよ。むしろかなり残酷だと思う」
「そう……かな……」
「わたしが録音してなかったら、キミ、今ごろ女子生徒を襲ったケダモノだよ。そうなったら、親御さんに顔向けできないでしょ。前に授業参観で見たけどさ、優しくて素敵なお母さんだったじゃないの。わたしは親がいないから、正直うらやましかった。あんな素敵な人を泣かせちゃダメだよ」
「……うん、そうだね」
「自分を守れるのは、けっきょく自分だけなんだから。もっと自分を大切にしなよ」
※
「思い出したあぁぁ」
自分の黒歴史まで芋づる式に引き出されて、幸恵は枕に突っ伏す。
八つ当たりした恥ずかしい過去なんて、できれば忘れていたかった。
玲一がくすくす笑う。
「ああいうふうにビシッと言ってくれる人は、それまでいなかったからね。親も親戚も甘かったし。だから、なんだか嬉しかったよ」
「なにそれ……」
彼はマゾヒストかなにかだろうか。
だが思い返してみれば、女子生徒はだいたい彼に甘かったし、男子の一部も皮肉を言うばかりで、彼のなにがよくないのか具体的に指摘する人間はいなかったかもしれない。教師ですら、優等生の彼を誉めることはあれど、指導することは滅多になかった。
ひねくれた幸恵を新鮮に思うのも、むりからぬことかもしれない。
「実はね、弁護士を目指そうと思ったのも、それがきっかけだったんだ。あなたの姿が、とても格好よかったから。あの時の花岡さんは、間違いなく僕のヒーローだった」
「……ひょっとして、それで親身になってくれたの?」
「それもある。あるけど……見ていて、放っておけなくなったから」
玲一はベッドの端に座ると、そっと幸恵の頬に手を滑らせた。
優しい手つきだ。まるでガラス細工を扱うかのような、そんなふうに触られたのは初めてだった。
「どうして一人で抱えこんでしまうのかな。そんなことでは、いつか壊れてしまうよ」
「……なんのこと?」
「なぜ相部屋でなく個室になったのか、僕が気づいていないと思う?」
病院の個室は割高だ。今回のように軽い怪我なら、相部屋になるのが普通である。――本来ならば。
「ずっと、キミは強い女性なんだと思ってた。どんな困難も乗り越えていけると。……でも、違った」
「違う……?」
「キミは、他人を頼らないんじゃない。――他人に頼れないんだね」




