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『今からあなたを訴えます!』クリーク・アンド・リバー社アマゾナイトノベルズ様より電子書籍配信中です。イラストは北宮みつゆき様。
注意事項として、web版との違いは誤字脱字の修正と表紙絵のみで、内容の違いはありません。
詳しくは2018年3月6日の活動報告をご覧ください。
AmazonKindle、Kobo、iBooks、yahooの4書店が先行配信、他書店は順次配信予定です。
花岡聖恋蘭の高校生活は、一転して充実していた。
和也が学校に乗り込んできた事件以来、変態にストーカーされていた可哀想な被害者として、ショコラは多くの生徒から同情を集めた。
一部の人間は、不特定多数に色目を振りまく彼女自身が悪いと陰口をたたいているものの、被害者に対する心ない意見だということで、表立っては聞こえてこない。言ったら最後、冷血漢だの共感性に欠けるだのと責められて、肩身の狭い思いをすることは想像に難くないからだ。
そういうわけで、学校でも浮いていた彼女が、今では友人に囲まれてにぎやかな日々を過ごしている。
なにより、あれから皇との距離が縮まったことが大きかった。ショコラは皇に夢中になり、他の男子への興味を失った。彼へ一途になったことで、他の異性に必要以上に媚びを売ることもなくなり、女子生徒からの信頼も徐々に回復し始めたのだった。
しかし、日々が充実すればするほど、ショコラの心には罪悪感がつのっていった。
(この幸せは、和也さんの犠牲の上に成り立ってる)
(本当は付き合ってたのに、あたしがひどい振り方しちゃったから、和也さんはストーカーになっちゃったんだ)
(もし、本当のことがみんなにバレたらどうしよう。軽蔑されるに決まってる。せっかく仲良くなれたのに……)
ぐるぐると悩んだ末に、ショコラが出した結論はこうだった。
(――謝りたい。会って、ひどい別れ方してごめんなさいって、和也さんに伝えたい)
誠実じゃなかった。和也に対しても、姉に対しても。
周囲に流されるまま生きてきたくせに、うまくいかないことを他人のせいにしてきた。
従う相手が、母から彼になっただけだった。
それなのに、なにもかも自分で決めて、自立した気になっていた。なにひとつ責任を取らず、その行動の結果がどうなるか考えもしないで。
友人ができて、まともな学生生活を送るようになってからは、母に依存することも減った。外の空気を知ってしまえば、あの家はひどく息苦しい場所だった。
水の膜から顔をあげたように、ショコラの見える世界は一変した。
そうしたら、今まで自分のやってきたことが、急におそろしく思えた。
どれだけひどいことをしてきたのか、ようやく理解が追いついた。
今さら、謝って許されるとは思っていない。以前の彼女ならば、謝りさえすればきっと許してもらえると楽観視できただろうが、今となってはむりだった。
けれど、せめてケジメくらいつけなければ。それが彼女にできる、唯一の誠意なのだから。
――よって、和也を駅前で見かけた時、ショコラが駆け寄ったのは必然の成り行きだった。
あんなことがあった後だ。声をかけるのは、かなり勇気がいる。ひょっとすると、怒鳴られて、罵倒されるかもしれない。怒りに任せて、暴力を振るわれるかも。駅前という立地上、すぐ目の前には交番もある。彼もそうそう暴挙には出ないだろうが、過信しすぎるのはよくない。
(本当は、あたしのことなんて、もう顔も見たくないかも。よけいに嫌な思いをさせるだけかもしれない――)
二の足を踏む彼女の前で、和也に近づく影があった。
(誰だろう……?)
好奇心が抑えきれず、こっそりと物陰から近づいてみる。
(あれ? あの人……)
会話が聞き取れるほど接近したショコラに気づかず、二人は会話に熱中しているようだった。
気づかれないよう顔を伏せつつ、二人の会話を盗み聞いて――その内容に、目を見開いた。
――まただ。
冷や汗をかきながら、幸恵は相手に気がつかれないよう、さりげなく耳をそばだてた。
――人の気配がする。
暗い夜道、幽鬼のようについてくる人影。
かすかな足音は、確証を得るには足りない。しかし、これが数日前から続いているとなれば、話は別だった。
追跡者をまくために、交番の前の道を通る。狙い通り、背後の気配が消えた。
これでひとまずは安心だと、自宅であるアパートの階段を上りきったとき、ふと覚えのある香りが鼻をくすぐった。
ドアの前にハンカチが落ちている。
「――これは……」
拾い上げたとき、ふと階段のほうに誰かがいることに気がついた。向こうも幸恵の視線に気づいたのか、慌てたように逃げていく。
反射的に、幸恵は人影を追った。追ったが、やはり危険なのではと階段を下りる足を止めようとして――衝撃とともに、彼女は階下まで転げ落ちた。
――暗転。
玲一が次に幸恵と再会したのは、病院の個室だった。
かすかに消毒液のにおいがする、真っ白なベッドの上に、彼女は横たわっていた。
頭に巻かれた包帯がひどく痛々しい。
思わず顔をしかめる玲一に、彼女はなんでもないふうに笑いかけた。
「心配かけちゃってごめんね」
「……花岡さん……」
「見かけほど痛くないの。頭だから大げさにされちゃって。CTの結果も異常なかったし」
「でも」
「不注意だったんだよね。あせって階段を踏み外しちゃって。久々にヒールの高い靴をはいてたの、忘れてたわ」
「それは」
「アイディア会議での反応がよかったから、浮かれてたのかも。おしゃれして気合入れたつもりだったけど、こんなことで緩んでいるようじゃ、わたしもまだまだだね。格好悪いところ見せちゃって、恥ずかしいなぁ。そうそう、医者にはしばらく安静にしてるように言われちゃったから、今度のデートはキャンセルになっちゃうかもしれない。でも、ちゃんと埋め合わせはするから――」
「――幸恵さんっ!!」
強い声にさえぎられて、幸恵の身体が不自然に硬直した。
ばつの悪そうな顔だ。玲一がなにを言いたいか、きっともう彼女にはわかっている。
けれど、逃がしてやるつもりはなかった。ここでごまかされるようでは、きっと彼女に近づくことは一生できないと確信があった。
「ほんとうは、足を踏み外したんじゃなくて、誰かに突き落とされたんじゃないのかい?」
問いかけに、彼女は沈黙で返した。
「つい最近も、電話口で『護身グッズの持ち歩きは法律に引っかからないか』って聞いてきたばかりじゃないか。ひょっとして、ストーカーでもされてるのかって聞いても、笑ってごまかすし……。あの同窓会以来だろう? ようすがおかしくなったのは」
幸恵は答えない。ただ黙ったまま、気まずそうにうつむいている。
責めるのは逆効果だな、と頭の冷静な部分が判断する。
彼女は追いつめられるほど頑なになるタイプだ。玲一は別に、相手を論破して黙らせたいわけではない。
ただ、本当のことを言ってほしい。できれば頼ってほしい。――それだけだ。
「……覚えてる? 中学校の修学旅行で、キミが僕を助けてくれた時のこと」
急に話題が変わったからか、幸恵は不思議そうな顔をした。ようやく、視線が交わる。
「ほら、池山さんが、僕に襲われたって騒いだやつ」
「ああ……もちろん。あんな強烈な思い出、忘れるわけないじゃない」
「あの時、僕は身の潔白をうまく証明できなくて、ただ困惑するしかなかった。いろんな教師に説教されて、あわや親に連絡するという事態になった時――キミが助けてくれた」
「たまたま、ボイスレコーダーに証拠が残っていたからね」
当時を振り返り、幸恵は不快そうに眉を寄せる。
「田原が、わたしの持ち物を狙ってたのはわかってたし。あいつ、以前にもプールの授業の時、わたしの下着を盗んだのよ。先生にも訴えたけど、見つからなくて。けっきょく、その後の授業をノーパンですごすはめになった」
思春期の女子生徒にとって、それは非常に屈辱的で、恥ずかしい体験だった。
「しかもね、あいつそれをわかっていて、スカートめくりなんかしてきたのよ。中学生にもなってよ? 幸い、スカートの下に体操着をはいていたから平気だったけど……あの反応を見て確信したわ。あいつが下着泥棒の犯人だって」
布団の下で、こぶしを強く握る。
あの時に傷つけられた自尊心は、いまだ心に暗い影を落としている。
「修学旅行中に、また同じことをするのはわかってた。あいつらがこっそり作戦会議してるの、聞いちゃったし。だから、今度こそ証拠をつかもうと思って、ボイレコを仕込んだってわけ。まさかそれが、和泉くんの身の潔白を証明することになるとは思ってもなかったけど」
もやのかかった視界が晴れていくように、少しずつ思い出してきた。
――あの日、いったい何があったのかを。




