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「え、誰? 知り合い?」



 思わず呆然とうなずく。


 田原は怪訝な顔で、運転手の顔とネームプレートを交互に見た。



「とにかく彼、降りようね」


「こいつ恥ずかしがり屋なんすよ。とりあえず仲直りしたいんで、ホテルにでも連れてって――」



 その時だった。


 ドアの外から長い手がにゅっと伸びてきて、田原の腕を掴んだ。


 手は強引に彼を車から引きずり下ろすと、ゴミでも放るかのように、地面へと投げ捨てる。


 中学時代は野球部のキャッチャーだった田原は、今でもかなり体格がいい。がっしりとした筋肉質で、いかにも重たそうだ。


 その彼を無造作に扱えるというのは、にわかには信じられない光景だった。


 しかも――体格では劣っているように見える、玲一が相手ともなれば。



「……和泉くん……」



 幸恵は知らずうちに、呆然とつぶやいていた。


 いつも柔和な笑みを浮かべている玲一が、憤然とした面持ちで田原を睨んでいたからだ。


 目じりは鋭く吊り上がり、瞳が怒りの炎に燃えている。口は固く引き結ばれ、額には青筋でも浮かんでいそうだ。


 普段あまり怒らない人間が限界を超えると、これほど恐ろしいのか――と震え上がるほど、まるで仁王のような形相だった。視線で人が殺せそうだ。


 横で見ているだけの幸恵でさえ恐ろしいのだから、怒りの矛先が向けられた張本人の恐怖はいかばかりか。



「――いい加減にしろ、田原」



 地獄の底から吹き上がる怒気を、むりやり押さえつけたかのような、不自然に平坦な声だった。


 びくり、と田原の肩が跳ね上がる。


 小、中学生時代はなにかと玲一に突っかかって、マウントを取っていた彼のことだ。まさか、格下だと見下していた相手に、これほど委縮することになるとは思ってもいなかっただろう。玲一も玲一で、どれほど田原にちょっかいをかけられようと、おおらかに受け流していたものだから、よけいに舐めてかかっていたふしがある。こいつはどれだけ虐げても反抗しない、と。



「な、なんだよ。冗談に決まってんじゃん……んなマジになんなって……」



 思ってもみなかった展開に困惑しているのか、田原の返答には覇気がない。


 苦し紛れの言い訳も、ますます相手の不興を買うだけに終わった。



「……これ以上調子に乗るつもりなら、お前を警察に突き出す」



 仲のいい人間が相手でも常に敬称を忘れない玲一が、『お前』と言い、呼び捨てにする。それだけで、彼がどれほど頭にきているかが理解できるというものだ。


 本気が伝わったのか、田原は顔を真っ青にした。



「は!? 警察って、いくらなんでも大げさすぎるだろ! 俺ら、元クラスメイトだぞ?!」


「だからなんだ。付き合いがあればなんでも許されると思うなよ」


「……テメェ、本気で言ってんのか!」


「当たり前だ。花岡さんの腕のアザが見えるだろう? あれは立派な傷害罪の証拠だ。少なくとも、過失傷害罪は成立するだろうね」


「……弁護士だからって、専門用語使って脅すつもりか?」


「脅迫罪が成立すると思うのなら、どうぞ訴えてくれても構わないよ」



 田原の言い分などどこ吹く風と言わんばかりに、涼やかな風貌で言い返す。



「それに今、キミは花岡さんをホテルに連れていこうとしただろう。場合によっては、わいせつ目的略取罪も追加されるかもしれないね」


「はあ? 証拠でもあんの?」



 玲一はふーっと細い息を吐きだすと、胸ポケットから一本のペンを取り出した。



「こういうことはしたくなかったんだけど、キミの態度があまりに目にあまったからね。……これ、ペン型ボイスレコーダーなんだ。さっきから録音してる」



 反論しようのない明確な裏づけを突きつけられ、さすがの田原も黙りこんだ。



「今回のことは、幹事に報告させてもらうよ」



 幹事の山本と川名は、かつてそろって生徒会に所属していたほど、真面目で正義感の強い人間だ。


 幸恵が田原と二人きりにされたことを報告した時も、事の次第を重く見て、二次会以降は二人の席を離したりと目を光らせてくれた。今回の件が伝われば、なにかしらのペナルティは与えてくれるだろう。


 ただ、二人きり事件のことを考えれば、田原の側にも味方は多くいるに違いない。後で幹事たちに聞いた話によると、複数の人間から、幸恵は体調が悪くて帰ることになったと聞かされていたらしい。


 今だって、玲一と二人でこっそり抜けるつもりだったのに、いつの間にかこうして捕まってしまっている。誰が田原やリコに情報を流したのか、考えるだに恐ろしい。下手をすると、クラスが二分されかねない。


 そのあたりは幹事の手腕に任せるほかないだろう。誰が嘘の情報を口にしたか、幹事たちはしっかり覚えているらしく、「任せておけ」といい表情(かお)で言っていた。あの笑顔を信じるしかない。


 しかし、ただの同窓会の幹事に、あまりトラブルの処理を任せていいものだろうか?


 幸恵が悶々と考えていると、同じく逡巡していたらしい田原が立ち上がり、



「…………ああもう、わーったよ! っせーなぁ!」



 と逆切れ気味に怒鳴り散らすと、大げさなほど大股開きで、ドスドスと音を立てて去っていった。途中、壁を蹴って威嚇してくるあたり、この期に及んで自分の負けを認めたくないというプライドは健在らしい。



(そういえば、リコはどうしたんだろう……)



 はたと気がついて見渡すと、彼女はすみのほうで小さくなって震えていた。


 初めて見る玲一の態度にショックを受けたせいか、はたまた先ほどから彼が拒絶の雰囲気を発しているせいか、あるいはその両方か。あれほどしつこく迫っていた彼に声すらかけられないまま、蝋のように青ざめている。


 とうとうただの一瞥もくれることなく、玲一はタクシーに乗り込むと、



「出してください」



 と短く発した。タクシーも、今度はあっさりと発進した。


 気まずい空気の中、玲一の息切れした呼吸だけが、やけに大きく聞こえる。



「ごめん、花岡さん……助けるのが遅くなって」


「う、ううん。だいじょうぶ……」



 ――それに関しては仕方がない、と思う。


 幸恵が田原に絡まれていた横で、リコが、



「むりやり振りほどくなら、レーチくんに暴力振るわれたって、SNSで拡散しちゃうから!」



 などと言って脅していたのは、遠くにも聞こえてきた。


 弁護士にそんな噂が立ってしまえば、今後の彼の将来がどうなるかわからない。嘘を否定することは、真実を証明するよりも、時として難しい。特に、ネットの炎上ともなると。


 ただ、そんな脅し方をすれば、ますます玲一の心が離れていくと思わなかったあたり、アルコールで判断力が鈍っていたのかもしれない。彼女は甘くて度数の高いカクテルを何杯も飲み干していた。


 無実の汚名をかぶせられる危険を犯してでも、彼女を振り払って駆け寄ってくれただけで、幸恵にはじゅうぶんだった。


 それよりも、と運転手に視線を投げる。


 幸恵の目線に気づいた玲一は、不思議そうにそちらを見て――驚きに身をこわばらせた。



「え、姫野さん……?」


「久しぶりだな、幸恵」



 玲一をまるっと無視して、和也はにこやかに声をかけてきた。


 だが、彼に苦しめられた記憶も新しい幸恵としては、笑いごとではない。


 流されるまま乗ってしまったが、この状況はよくないのではないか。


 そんな予感が、幸恵に緊張を強いていた。



「相変わらずモテるなぁ。あれが新しい彼氏? それとも、そいつと付き合ってるのか? まさか二股じゃないよな? さっきのは修羅場?」


「そんなわけないでしょ。酔っ払いに絡まれて迷惑してただけ」



 矢継ぎ早に質問攻めされて、幸恵はついムキになって返してしまった。


 とたんに和也はあからさまに破顔する。どうやら、反応が返ってきたのが嬉しいようだ。



「俺さ、あの後、仕事クビになっちゃって。けど、お前に仕送りするためには、稼がなきゃいけないだろ? 困ってたところを、ここの社長に拾ってもらったんだ」



 聞いてもいないのに、和也はベラベラと語りだす。


 彼は『仕送り』などと言ってはいるが、現実はただの『慰謝料』だ。しかも、すでに和也の両親から一括で受け取っており、和也はそれを両親へ少しずつ返済しているだけにすぎない。



「俺、生まれ変わるよ。真面目に働くし、もうお前を傷つけるようなことはしない。だからさ……見ててくれよ、俺のこと」


「勘違いしないで。助けてくれたのは感謝してるけど、わたしたちはもう終わったのよ。もう一度なんてありえない」



 変に期待されても困る。もう希望がないことを理解させるためにも、幸恵は強い口調で言い捨てた。


 わかっているのかいないのか、和也は「頑張るから」としか言わない。



「姫野さん。以前お伝えしたように、あまりしつこくされると、またストーカー規制法に引っかかりかねませんからね」


「わかってるよ。あんたには関係ないだろ」



 玲一がちくりと釘を刺すと、和也はふてくされてぞんざいな返事をした。


 重苦しい沈黙のまま、タクシーは近くの駅まで移動する。


 去り際、和也が「またな」と手を振ってきたが、幸恵はそれを無視して別のタクシーに乗り込んだ。


 ――最悪な一日だった。同窓会に出席したことを、思わず後悔したくらいには。



「…なんで、こんな目にばっかり……」



 さすがの幸恵も、今回ばかりは弱音がもれた。



「だいじょうぶ?」


「え? うん。疲れたけど、そう頻繁に会うような相手じゃないし」


「そっちもだけど。花岡さん、つらくても一人で抱えこむタイプだから、心配で。……僕じゃ、支えにならないかな」


「え……?」


「つまり……うん、はっきり言わないと伝わらないよな。――花岡さんを守る権利がほしい。僕と付き合ってください」



 赤くなった顔を隠すように、玲一は口元を押さえた。



「ごめん、こんな時に不謹慎だったかな。でも、花岡さんを見てると、本当に心配で……。また、ああいう連中になにかされたらと思うと、たまらないんだ。なんなら、ていのいいボディガードくらいに思ってくれても構わないし」


「そんなこと思わないよ。……うん。わたしも、和泉くんがそばにいてくれればいいのに、ってずっと思ってたから、嬉しい。……よろしくお願いします」



 心配――ふしぎな響きだ。


 田原にも同じことを言われたのに、こうも違った意味に聞こえるなんて。


 きっと、自分のいいように物事を運ぶために甘言を弄した田原と違って、不器用ながらもまっすぐな彼の態度が、胸に響いたからだろう。


 そういう点では、田原より和也のほうがまだマシだったとも言える。田原は最初から下心ありきで、身体目当ての態度を隠そうともしなかったが、和也は相手をまっとうに口説くところから始めていたし、多少強引ではあったものの、きちんと段階を踏んでいた。――だから、幸恵もショコラも騙されたのだが。


 年齢を重ねたぶんだけ、和也のほうが巧妙だったということだろう――考えるほど情けなくなる。


 ぐ、と思わず出そうになった涙をこらえる。自分でも気づかないうちに、心に負担がかかっていたらしい。



「これ、使って」



 幸恵が涙目になったことに気づいたらしい玲一が、そっとハンカチを差し出してくる。



「えっ……わたし、泣いてないよ」



 泣きそうになったことに気づかれたことが恥ずかしくて、ついそっけなく返してしまう。


 こういうところが可愛くないという自覚はあった。


 玲一は、すべて見透かしているかのように微笑んで、



「うん。僕の前では泣けないなら、一人になった後に使ってくれればいいから」



 と、ハンカチを少し強引に握らせた。


 ――恥ずかしい。幸恵の精いっぱいの見栄も、玲一にはお見通しらしい。



「……ありがとう。今度、洗って帰すね」



 だが、また会う約束ができたのだと思えば、そんなものは些末なことに思えた。


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