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「なあ、ちょっと待てよ!」
田原が声をかけてきたのは、酔いも回り、そろそろ解散しようかという頃合いだった。
タクシーでも使おうか、と玲一と話し合っている中、無理やり会話に割り込んできたのだった。
「俺も送ってくよ。な、いいだろ?」
「ええ……でも、和泉くんと帰るから……」
「男と二人っきりなんて危険だろ! なにかあったらどうするんだよ!」
危険なのはどっちだ、と突っ込みたいところだが、言ったところで聞くような男ではない。
そもそも、男二、女一なら安全なのか、という思いもある。
「なに言ってるの。そんなことあるわけないでしょ」
あんたじゃあるまいし、という思いを込めて睨みつけてやるが、堪えた様子はない。
「花岡は警戒心がなさすぎるんだよ! そんなだから男に騙されるんだぞ!」
こいつは他人の神経を逆なでする天才なのだろうか。
腹が立ったので無言のまま玲一の手を引き、さっさとタクシーに乗り込むことにした。玲一も意図を察したのか、抵抗する様子はない。
だが次の瞬間、「うわっ」と、玲一の小さな叫びと共に、彼の身体が傾いた。
田原が手を引いたのか、と目を吊り上げてそちらを振り返ると、そこには思わぬ人物がいた。
「レーチくん、わたしも一緒に帰りたい……だめ?」
――リコだった。
酔っているのか、赤く上気した頬を押しつけ、潤んだ瞳で玲一にしなだれかかっている。ろれつの回らない口調は甘ったるいが、がっちりと巻きついた腕には、絶対に逃がしてなるものかという、捕食者の意思が感じられた。
「池山さん、他の友達と一緒だったんじゃ……」
「みんなは他に用事があるんだって。実はわたし、最近、誰かにストーカーされてるみたいで……怖くて……ねぇ、独りにしないで……」
「それなら、警察に――」
「レーチくんは弁護士でしょ? 正義の味方でしょ? だったら、わたしのこと見捨てたりしないよね?」
疑問文ではあるが、その口調には有無を言わせぬ響きがあった。
相手が酒に酔った女性である以上、玲一も強くは出られないのだろう。万が一怪我でもさせてしまえば、彼の職業柄、厄介なことになる。どうにか諦めてもらおうとなだめているが、リコが納得する様子はない。
仕方なく助け舟を出そうとした幸恵を、今度は田原が引き留めた。
「ほらほら、和泉は池山と帰るってさ。こっちもさっさと帰ろうぜ」
「ちょっと、勝手に決めないでよ!」
「早くしないとタクシーに乗り遅れるって」
「あんた一人で帰れば? わたしは和泉くんと――」
「いいから、素直に甘えてろよ――幸恵」
(名前で呼ぶ許可を出した覚えはないわ――っっっ!!)
耳元で吐息まじりにささやかれて、ぞわっと鳥肌が立つ。もちろん、気味が悪いという意味で。
身体を硬直させた幸恵をどう捉えたか、田原はさらに調子に乗り始めた。
「お前のことが心配なんだよ……。頼むから、お前を守らせてくれ」
「いや、結構です」
取りつく島もなくきっぱりと断るものの、田原はこたえた様子がない。
(なんだろう。この態度、どことなく和也を彷彿とさせる……。どうしてわたしって、こういう男にばかり縁があるのだろうか)
辟易しつつ掴まれた手をはがしにかかったが、やはり強い力で抵抗されてしまう。
先ほど痣になったところを、再び粉砕せんばかりに握りしめられ、今度こそ折れてしまうのではないかと青ざめた。
「ほら、早く乗って」
「い、やだって……言ってるでしょ……っ!」
ドアの開いたタクシーに無理やり引き込まれそうになるのを、足を踏ん張って耐える。
痛みで息も絶え絶えになりつつ抵抗していると、視界のはしで玲一がリコを振り払い、慌てて駆け寄ってきたのが見えた。
けれど、もう身体が半分ほど、車に乗り込んでしまっている。
「車出して、早く」
「――嫌!!」
完全に座席につき、逃げられないよう肩を抱かれている状況に絶望していると――
「お客さん、女性に乱暴はよくありませんよ。警察に通報されるか、今すぐ降りるか、どちらか選んでください」
冷静な運転手の声が、ばっさりと切り捨てた。
一瞬、奇妙な沈黙が落ちる。
(……まあ、考えてみれば当たり前か。明らかにトラブルが発生している状況で、発進させるわけないよね)
なんだか妙に安心してしまって、肩の力が抜けた。
おかげで緊張もとけて、運転手がどこかで聞いたことのある声だということにも、すっかり気がつかなかった。
「通報って、そんな大げさな……ちょっと喧嘩したから、機嫌が悪くなってるだけですよ」
「じゃ、お互い冷静になるためにも、今は彼女サンを一人にしてあげましょーよ」
「彼女じゃないっ!」
幸恵は噛みつくように言い返した。
たとえ見ず知らずの相手だろうと、勘違いされるのは不愉快極まりない。
その時、幸恵はようやく、運転手の顔を見た。
年齢より若く見られると自慢していた顔立ちはやや老け込み、いつまでも若くいたいからと着ていた派手な服装は、かっちりとした制服に変わっている。けれども、いつも見ていた面立ちを、そうそう忘れるわけがない。
「……和也……」




