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「……他のメンバーは?」
嫌な予感がする。
一人待っていた田原が、不自然な笑みを浮かべて近づいてくる。
「先に行ったよ。これから二次会だってさ。お前が帰ってくるのが遅かったから、俺が案内役として残ることにした」
「……メールでもしてくれればよかったのに」
「それじゃ可哀想だろ。それに、この時間の一人歩きは危険だからさ。ボディガードだと思って」
そう言っている本人が一番危険な気配がするのだが、それを言える雰囲気ではなさそうだ。
田原は幸恵の腕を掴むと、強引に引っ張った。
「きゃ……っ」
「ほら、早く行こーぜ」
頭の中で警報が鳴り響く。このまま彼に任せていてはいけない予感がする。けれど、どう断ればいいのかわからない。
とにかく腕を振りほどこうとしたが、そうするとますます力を入れられてしまう始末だ。
ぎし、と骨がきしむ音がする。
(男女の力差を考えてないんじゃないの、このバカは!)
いい加減に頭にきて、怒鳴りつけてやろうと口を開いた時だった。
「――そっちじゃないよね?」
冷静な、それでいて鋭い声が空気を裂いた。
声のしたほうを振り向いて、そこにいた予想外の人物に、思わず呆然とつぶやく。
「……和泉くん……」
玲一が、店のドアの前に立っていた。
こちらに向ける顔は笑っているものの、どこか目つきが険しい。
「お店はそっちじゃないよ。駅の近くにあるカラオケ店だから」
「あ、ああ……ごめんごめん、間違えたわ。俺、結構酔ってるのかも」
「そうみたいだね。さっきから花岡さんの手を強く握りすぎだし。それ、かなり痛いと思うよ」
そう指摘された田原が慌てて手を放すと、幸恵の腕にはくっきりと赤い手形が残ってしまっていた。
「悪い悪い! 痛かったよな、ごめんな!」
「本当に痛かったよ。もうやめてね」
赤くなったところを撫でさすってくる田原の手を払い落し、幸恵はさっさと玲一の隣に立った。
「和泉くん、案内してくれる?」
「もちろん」
快く返事をしてもらったので、幸恵は遠慮なく彼と共にカラオケ店に向かうことにした。――田原を無視して。
「でも、カラオケって普段は全然行かないから、なに歌っていいか迷うな。歌える曲があればいいけど」
「僕もだよ。最近、忙しくてあまりテレビとか観られないから」
「俺! 俺はかぼすの『春色』が得意!」
「あまり自信もないし。最悪、タンバリン係に徹することにする」
「それなら、僕もマラカスで付き合うよ」
「映画で話題になった『ドアを開けて』なら歌えるだろ? 一緒にデュエットしようぜ!」
田原の存在をまるっと無視しながら会話していると、遠くのほうで見慣れた集団が固まっているのが目に入った。
向こうもこちらに気がついたらしく、一人が駆け寄ってくる。――リコだった。
「やっと来た! 待ってたよー! もう部屋は取ったから!」
「待たせてごめんね」
「ううん、いいの。……で、どうだった?」
リコが声をひそめて聞いてくる。
「なにが?」
「なにって……田原になにか言われなかった?」
「なにかって……」
ふいに察してしまった。
なるほど、先ほど奇妙に田原と二人きりになったのは、周囲のおぜん立てがあったためか。
急に気分が悪くなって、つい声が険しくなってしまう。
「……なにもないけど」
「なんにも? 本当に?」
「なにもないよ。和泉くんも一緒だったし」
「……へえ……」
リコは口ではそう言ったものの、その表情には納得していない様子がありありと浮かんでいた。
「あのさ。……レーチくんと花岡さんって、仲いいの?」
「え?」
「ほら、なんか盛り上がってたみたいだし」
「……別に、ふつうだよ。もうお互いに大人だし、顔を突き合せればそれなりに話すでしょ」
「そっか。……そうだよね」
それきり、リコは黙りこむ。
なにか言いたげな彼女の様子を見ているうちに、幸恵はピンときてしまった。
(ははぁ、なるほど。そういうことね)
理解した幸恵は、空気を読んで気を利かせる――わけではなく、あえて玲一のそばに近寄ると、こそこそと小声で話しかけた。
「和泉くん、悪いんだけど、しばらくそばにいてもらってもいい? また田原にああやって絡まれるかもしれないと思うと、怖くて……」
「うん、もちろん。安心して」
耳元に口を寄せてしゃべるから、自然と距離が近くなる。
ちらりと横目で盗み見ると、リコはやきもきした様子でこちらをうかがっていた。
我ながら性格の悪いことである。けれども、先ほどされた仕打ちを考えると、これくらいの意趣返しは許されてしかるべきだと、幸恵は内心で舌を出した。
(人の意思を無視して、勝手に田原なんかとくっつけようとするからだ。ちょっとは痛い目みろ!)
彼女には悪いが、こちらも譲るつもりはない。せいぜい、この状況を利用してやろう。
幸恵は不敵にほくそ笑むと、か弱く怯えたふりをして、玲一の隣という位置に収まるのだった。




