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 幸恵から「会って話しましょう」と連絡が入ったのは、いかにして警察の目を欺きつつ邪魔者を消そうかと思案しているさなかのことだった。


 両の手で足りないほどのパターンを挙げたが、いずれもシミュレーションの段階で没となった。いよいよ行き詰りかけていた彼にとって、この提案には渡りに船だった。


 彼女とよりを戻せれば、なにもショコラにこだわる必要はない。『幼妻』という勲章には後ろ髪を引かれるが、和也とてわざわざ危ない橋を渡る真似はしたくない。


 ショコラと想いが通じ合っていることは事実なのだから、それなりに自慢できるだろう。結婚は幸恵で妥協すればいい。



(俺の包容力であの二人を和解させてやれば、いずれ姉妹丼もいけるかもしれないしな。血の繋がった姉妹が一人の男を取り合うなんて、男冥利に尽きるじゃないか。俺のことを馬鹿にしてた連中の羨望と嫉妬のまなざしが目に浮かぶようだ)



 和也の脳内では、幸恵とショコラが仲良くベッドの上で彼の寵愛を競っていた。


 ――ところが、指定された場所に着くなり、彼の幻想は打ち砕かれることになる。


 あろうことか幸恵の隣には、あの時の弁護士(おとこ)がいたのだ。



「おい、どういうことだ。こんな時にほかの男を連れてくるなんて。そんなんじゃよりは戻してやれないぞ」


「……どうしてそうなったのかサッパリ理解不能だけど、今日は慰謝料の話し合いにきたのだけれど?」


「まだそんなことを言っているのか! 結婚したら家計も同じになるんだから、どっちだっていいだろ!」


「だ、か、ら! どうしてわたしがあなたと結婚すること前提で話を進めているのよ!?」


「いい加減素直になれよ。そうやって気を引くふりしたって可愛くないぞ。こうやって俺に会いに来ることがなによりの証拠だろ」


「わたしが立ち会わなきゃ話し合いに応じない、って逃げ回ってたのはあんたのほうでしょ!!」


「――花岡さん、落ち着いて」



 苛立ちに沸騰した頭が、玲一のやんわりとした静止で、わずかに落ち着きを取り戻す。


 ――そうだった。目的はあくまで話し合いだ。ここで冷静さを欠いては話が進まない。


 幸恵が頭にのぼった血を冷まそうと努めるかたわらで、玲一が本題を切りこんだ。



「姫野さん。先日、花岡さん同席のもとでの話し合いを希望する、とおっしゃってましたよね? 結果、花岡さんが交渉に応じてくださいましたので、こうして三人での協議の場が実現しました。さっそく先日のお話の続きをしたいのですが、よろしいですか?」


「お前、話を聞いてなかったのか? 俺が幸恵と結婚すれば元通りになるんだから、どうだっていいだろ」



 弁護士に向かってお前とはなんだ、と幸恵は目をつり上げた。


 それでも、玲一はあくまで穏やかに説得する姿勢を崩さなかった。



「姫野さん。一度壊れてしまったものは、二度ともとには戻りません。仮にふたたび関係が修復したとしても、それは以前とは違うものなのですよ」


「そんなことない! 愛は物とは違う! 俺と幸恵がそれを証明してみせる!」


「では想像してみてください。もしも、あなたと交際していた女性が浮気をしたとします。あなたがそれを許し、再構築したとして――以前と同じように接することができますか? 心のどこかで、また浮気をするのではないかと疑うことがないと言えますか?」


「……それは……。け、けど、男と女は違う!」


「どう違うのですか?」


「浮気は男の甲斐性って言うだろう? モテる亭主のほうが妻だって嬉しいはずだ」



 ちらりと期待するような視線を投げかけられて、幸恵はいよいよ黙っていられなくなった。



「わたしは他人に自慢したくてあんたと付き合ったわけじゃない。――わたしはあんたのアクセサリーじゃない!」



 なぜか和也は、その言葉にショックを受けたようだった。


 落雷にでも打たれたかのように、目を丸くして固まっている。



「だいたい、『浮気は甲斐性』っていうのは、浮気するだけの経済力があって、妻も愛人も満足させられる男のことを言ってんのよ! こうやってわたしが不満に思ってることこそが、あんたが甲斐性なしであるなによりの証拠でしょ!」


「それは……でも……」


「姫野さん、今は女性も働くのが当たり前の時代です。経済的に困窮している方はそうおられません。つまり、昔よりさらに裕福な男性でないと許されない、ということです。この不景気の時代において、『甲斐性』のハードルはますます上がっていると言えるでしょう」



 女性が社会進出する一方で、日本は未曽有の不景気時代に突入している。男女の経済格差はまだ残っているものの、男にすがらなければ生きていけないほどではないし、すがるほど余裕のある男もいなくなってきている。


『浮気は甲斐性』という言葉が時代遅れとされる原因は、そのあたりにあるのだろう。



「花岡さんが関係の修復を希望していないことはご理解いただけましたね? でしたら、花岡さんへの大量のメール送信を即刻やめてください。嫌がる人間につきまとうことは、ストーカー行為とみなされてもおかしくないんですよ」


「ストーカー!?」



 和也がすっとんきょうな声をあげた。



「ストーカーだなんて……メールを送っただけだし、直接会いに行ったわけじゃないのに」


「かつてはそうでしたが、今はストーカー規制法が改正されて、執拗なメールもつきまとい行為に該当します。SNSやネット上の書き込みも対象に加わりましたよ。罰則も引き上げられましたし、非親告罪となったので、被害者が告訴しなくても起訴できるようになりました。今後、ますます厳しくなっていくことが予測されます」


「……罰則……」



 和也の顔から血の気が失せて、蝋のように青ざめた。


 罰則なんて、穏やかな話じゃない。



「ところで、姫野さん。最近、他の方にもしつこくメールをなさったりしませんでしたか?」


「他……? 幸恵の他にメールなんて……。――あ、もしかして、ショコラ……?」


「はい。そちらのほうも該当します。理由はもうおわかりですね?」


「そんな、でも、そっちは違うだろ!? ショコラは幸恵と違って、嫌がってない!」


「彼女から、メールをやめてほしいと返信がありませんでしたか?」


「それは、……学校が忙しいからで……」


「彼女は『やめてほしい』と伝え、あなたはそれに反してしつこくメールをした。それだけでストーカー規制法に引っかかってしまうのですよ」


「……嘘だ……」



 目に見えて傷心した和也は、がっくりと肩を落とした。



「それにですね、姫野さん。あなたと妹さんの関係は、淫行条例に抵触する可能性があります。お互いの将来のためにも、関係はこれきりにしたほうがいいでしょう」


「でも、俺たちは真剣交際だったんだから、淫行なんかにはならないはずだ。そうだろう?」


「たしかに淫行処罰規定には、『婚約中の青少年またはこれに準ずる真摯な交際関係にある場合は除かれる』とありますね」


「ほらみろ!」


「ですがこれは、恋愛関係であれば許される、というわけではありません。淫行条例はあくまで青少年を守るためのもので、自由恋愛を守るためにあるわけではありませんから」


「……つまり?」


「たとえば、よくニュースで未成年者とみだらな行為をして逮捕された、と報道された人間が、こんなことを言っているのを聞いたことがありませんか? 『真剣な交際だった』と」


「……ある……」


「たいていの場合、親御さんからの通報がきっかけで逮捕されていますよね? あれは、保護者の承諾を得ないまま関係を持ったことそのものが、真剣交際ではなかった、つまり淫行だったのではないかと疑われてしまったためです」


「じゃあ俺は関係ないだろ!? ショコラの親だって俺を認めていたんだから!」


「問題は『真摯な交際』であったことを証明するのが難しい、という点です。姫野さんは、花岡さんと交際関係にあった時から、妹さんと肉体関係を持ちましたね? 不倫だからといって絶対に真剣交際と認められないということはありませんが、非常に難しいと言えます」


「なんだ、絶対じゃないんだな。だったら俺も大丈夫かもしれないじゃないか。お前が今、自分でそう言っただろう?」


「そうですね。平成十七年の名古屋の判例では、十七歳の女子高生と不倫関係にあった男性が無罪判決を勝ち取っています。しかし、これは公刊されておらず、他にこのケースで無罪になった事例はありません。そうなると我々としても、安易に無罪と断言できません。むしろ有罪になるかもしれないと覚悟されたほうがよろしいでしょう」


「そんなに、難しいのか……?」


「そうですね。不倫であっても、すでに婚姻関係が破たんしているとか、離婚について具体的な内容の取り決めが進んでいるような場合なら、認められる可能性もあるかもしれません。これは未成年者に限らず、成人同士の不倫でも同じです。例えば別居しているなどの事実があれば、慰謝料は発生しない可能性があります。――しかし、姫野さん。あなたはこのケースに当てはまりますか?」


「……それは……」


「真剣交際かどうかの判断では、さまざまな要素が考慮されます。たとえば、年齢差が離れすぎていると、残念ながら心象が悪いです。また、青少年側が婚姻年齢に達しているかどうか――女性は十六歳、男性は十八歳ですね――それと、虚言はないか。年齢をサバ読んでいたり、結婚歴などの経歴に噓偽りがあると、やはり心象が悪いです。あとは、出会ってから肉体関係を持つまでの期間。避妊をしていたかどうか。アブノーマルプレイはなかったか。それに、性行為の頻度が多すぎると、身体目当てと判断されがちです。あとは先ほど申し上げたように、保護者の承諾はあるか。――つまりですね、当事者がただ『真剣交際だ』と供述するだけでは足りないのですよ」



 さすがに不安が押し寄せたのか、これに対する返答はなかった。


 一方がむっつりと押し黙ったことで、会話がとぎれる。気まずい沈黙だった。


 いたたまれない空気の中、カサリと乾いた音が鳴った。



「それに――あなたは当時、こんなメールを送っていますね?」



 差し出されたのは一枚の紙だった。


 そこにはメールの文面が印刷されていた。――宛先はショコラ、送信者は和也。



『堕胎の費用は俺が払うよ。中絶のことは、二人だけの秘密にしよう』



 それは確かに、和也自身がかつて送ったメールだった。



「幸恵さんと婚約中に妹さんと肉体関係を持ち、さらに堕胎を迫っている。妹さんとの婚約を主張したのは、そのあとです。つまり、順番が違う」


「……あ……あ……」


「加えて、避妊をしていない。先ほども申し上げたように、避妊の有無は『真剣交際』かどうかの重要な判断要素です」


「う、う」


「これでは『真摯な交際関係』を証明するのは難しい――ほぼ不可能と言っていいでしょう」



 和也の心が折れた瞬間だった。


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