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「それで、ストーカー行為についてだけど……具体的にどんなことをされているの?」
「うん……帰り道につきまとわれたり、メールで脅されたり……今はクラスの子たちが一緒に帰ってくれてるけど……」
皮肉なことに、今回の事件がきっかけで、女子の友人が増えた。
みな『キモいおっさんにストーカーされてる可哀想な子』としてショコラに同情的だ。中でも正義感の強い生徒らが率先的に護衛を買って出てくれている。
教師らも見回りを強化し、すでに全校に向けて注意喚起が促された。
それまでバラバラだった生徒らが、事件を機に一致団結してまとまっている。いい傾向だった。
――だからこそ、真実を知られることが恐ろしい。
「メールを見せてくれる?」
「うん。……はい」
差し出された携帯にはロックすらかかっていなかった。
――浮気していたくせに、隠そうともしないなんて、こちらを舐めているのか?
と、ふたたび忘れていた苛立ちがよみがえってきたが、そこはぐっと耐えた。
なにしろ願ってもない証拠品だ。
このデータをコピーすれば不倫の証拠になるし、うまくいけば未成年淫行を立証できるかもしれない。
とうぜんだが、幸恵はまだ二人を許したわけではない。こうしてとりあえず相談に応じるのも、なにかしら有利な情報を引き出してやろうという下心からだ。
和也と実母、そしてショコラの三人の中では、ショコラが一番扱いやすそうだと睨んでいた。
そういった思惑のもとに付き合っていた幸恵だったが、メールボックスを開いたとたん、思わず悲鳴に近い声をあげた。
「うわっ、なにこれ。気持ち悪い!」
受信箱の中には、ずらっと『和也さん』の文字が並んでいる。
その数、実に百通以上。
恐怖で目をふさぎたい気持ちと、怖いもの見たさとの狭間で揺れつつ、おそるおそるメールを開いてみる。
『やっぱり、誰にも見られないように閉じこめておけばよかった。あんな悪魔のような女どもがいる学校なんて、行かせるべきじゃなかった。僕らの仲を引き裂く悪魔から、キミを助け出してみせる。待っていて』
『キミの夢で目が覚めた。夢に出てくるのは、相手が自分のことを好きって証拠なんだって。夢でも会いに来るくらい、俺のことが好きなんだよね? 実は……ちょっとだけ、ちょっとだけだよ? キミの愛を疑ってしまった。ハハッ、馬鹿だよな。そんなことあるわけないのに……。でも、それだけキミのことが好きってこと。こんなに俺を惚れさせた責任、取ってくれよ?』
『こんなに好きなのに、どうしてそばにいられないんだろう。夜空を見上げながら、今日も歌うよ。キミのための愛の歌。届け、僕の想い。――愛してる』
『どうして会ってくれないの? こんなに愛しているのに、キミとの距離は Fra away』
突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込めばいいのかわからない。
(なにこれ、売れない三流スターのポエム? 全体的に言い回しが薄気味悪い。あと英語の綴りが間違っている。正しくは『far away』だ)
と、思ったものの口には出さなかった。
口にしたら最後、そんな大馬鹿者と婚約までした自分にも、もれなくダメージが入るに違いなかったからだ。
「このメールなんて添付ファイルまでついてる……。なにこれ、音声?」
「聞いてみればわかるよ」
嫌な予感がして、イヤホン越しに聞いてみることにした。
再生したとたん、和也の声で歌われたバラードが流れてきて、慌てて停止ボタンを押す。危うくイヤホンを投げかけた。
ねっとりとした歌い方が耳に残って薄気味悪い。幸恵は青ざめた顔で、鳥肌の立った腕をさすった。
「きもい……」
衝撃のあまり語彙まで低下している。
なるほど、サイバー攻撃としては悪くないだろう。精神的ダメージが計り知れない。
「受信拒否はしないの?」
「しようと思ったけど……向こうは家も知ってるし、怒らせたら怖いかなって」
「なるほど。正解ね」
相手に自宅を特定されている以上、下手に刺激をしないほうが得策だろう。
唯一の男手である実父もあの調子だ。絶対に頼りにならない。
「返信はしたの?」
「ううん。最初に『もうメールしないで』って送ったきり無視してたの。なんて返したらいいかわからなかったし……」
「でも、こんなにメールがきていたら、日常生活にも支障があるんじゃない?」
「それは大丈夫。メールの通知を切ってあるから。友達とはラインでやり取りするし、今どきメールするのなんか和也さんとママくらいだよ」
「ああ、なるほど」
言われるまで思い至らなかったあたり、自分もまた若い世代とのズレがあるな、と幸恵は苦笑した。これがジェネレーションギャップというものか。
「だから、最初は気にしてなかったんだけど……最近のメールは、ちょっと怖いというか……」
「最近?」
言われるままに日付の近いメールを確認する。
そこに書いてある文章を読んで、幸恵は眉をひそめた。
『なあ、どうして返事してくれないんだ』
『返事して』
『おーい』
『どうして』
『ひょっとして、なにかしちゃったのかな。俺に悪いところがあるなら直すから、返事だけでもしてほしい』
『おい』
『いい加減にしろ』
『お前には責任があるはずだ』
『許さない』
『裏切り者』
『ごめん、冗談だよ。本気にした?』
『そうか、あの男が悪いんだろう? わかってる、なにも言わなくていい。俺に任せろ。どうにかしてやる。もう心配はいらないからな』
「これは……」
考えてみれば当然のことかもしれない。
ある日、いきなり連絡を絶たれたのだ。なにも言わず、ただ一方的に。
納得できないし、話し合いたいと思うのが人情だろう。
そう思うと少しだけ、小指の先ほどわずかながら、彼に同情した。
「最後のメール、見た? それ読んだら不安になっちゃって。帝くんになにかされたらどうしよう、って」
「帝くん?」
「うん。皇帝くん。学校のお友達で――あたしの、新しい好きな人」
幸恵は絶句した。
黙ったままの姉の態度をどう勘違いしたのか、ショコラはもじもじと告白する。
「あっ、本当は『皇くん』って呼ばないと機嫌損ねちゃうんだ。下の名前が嫌いみたいなの。だから、あたしがこっそり『帝くん』って呼んでるの、内緒にしてね」
――問題はそこではない。
言いたいことは山ほどあったが、今そこを追及したところで不毛な結果にしかならないとわかっていたので、あえて触れないことにした。
(なるほど、展開が読めてきたわね)
あれほど周囲を振り回した二人が、なぜあっさりと別れることになったのか。
なぜ和也が幸恵とよりを戻そうとしたのか。
考えてみれば、ついこの間まで中学生だった少女に結婚の重みを説いたところでピンとはきまい。彼女にとっては、友人と恋バナで盛り上がるような感覚なのかもしれない。
好きなように恋愛して、他に好きな人ができたから別れる。まだ若い彼女にとって、交際とはそのていどのものなのだろう。
どうせいつか破局するだろうと予想していた。その時期が早まっただけだ。
「……仕方ないわね。わたしがお世話になっている弁護士の方に相談しておいてあげる。証拠になりそうなメールデータはコピーするけど、いいわよね?」
「うん。お願いね、お姉ちゃん」
別にお礼を言われるほどじゃない。幸恵としても証拠が手に入って好都合だ。双方の利害が一致する、いい取り引きだった。




