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 住宅街の一角にひっそりとたたずむ事務所は、まるで隠れ家のようだった。


 建物自体も白を基調としたカントリー風で、『門倉法律事務所』と書かれた看板がかかっていなければ、カフェテリアと間違えてしまいそうだ。


 おしゃれなグリーンのアーチをくぐり、玄関のドアを開けると、ふわりと木の香りが鼻をくすぐった。ほのかに甘く、清々しい香りだ。


 ぐるりと見渡した内装も、やはり事務所らしい堅苦しさのない、落ち着いた雰囲気だった。


 壁はホワイトを基調に、ところどころレンガ柄クロスや、壁板を敷き詰めたようなダークブラウンのクロスがアクセントをそえている。


 ブラックチェリーのフローリングは、ヘリンボーン張り。天井のシーリングファンライトが、室内を淡いオレンジ色に照らしている。


 スチールの一本脚デザインの北欧風テーブルの上には、丸みがかった白い磁器製のミニグリーンポットに、アイビーやシュガーバインなどが色をそえる。


 店内に流れるジャズの音色が、緊張でこわばった耳に優しい。



「花岡様ですね、お待ちしておりました」



 受付の女性がにこやかに笑いかけてきた。


 受付嬢らしい、清潔感のある美人だ。メイクは控えめだが、それがかえって彼女の美しさを際立てている。


 白地に黒とピンクのチェック柄のオーバーブラウス、ネイビーのラインスカートが、爽やかで春らしい。



「すぐに弁護士が参りますので、こちらにおかけになってお待ちください」



 個室に案内され、うながされるままソファーに腰かけた幸恵は、ふうっと重い息をはき出した。


 弁護士に依頼するなんて敷居が高いと思っていたが、どこか親しみのある事務所の空気が、身体の緊張をゆっくりとほぐしていく。


 少し余裕を取り戻した幸恵が、脳内で依頼内容をシミュレーションしていると、やがて静かに個室のドアが開いた。



「――お待たせいたしました」



 入室してきたのは予想に反して、若い男だった。おそらく二十代後半――幸恵とそう変わらないだろう。


 すらりとした長身を、仕立てのいいインクブルーのヘリテージスーツに包んでいる。なめらかで細めのスリーブとショルダーは、彼の長い手足を強調した作りだ。


 前髪を長めに残した黒髪のスパイキーショートヘアは、切れ長な目元と相まってクールな印象を受ける。


 流行を取り入れて小洒落た装いながらも、社会人としての常識と品性を備えているように見えた。


 その下の顔もまた、はっと目が覚めるような、美しい顔立ちであった。


 すっと通った鼻梁に、形のいい唇。白い肌には染みひとつない。


 世の女性が思わず嫉妬するほどの美貌だ。整いすぎて、どこか冷え冷えとした印象を受けるほどである。こんな時でなければ幸恵だって、眼福とばかりに拝み倒していたに違いない。


 だがそれよりも、先ほどから覚える妙な既視感のほうが、幸恵は気になった。



(……どこかで会ったかしら?)



 こんな美しい男、一度会ったらそうそう忘れないと思うのだが。


 幸恵が頭を悩ませていると、青年はふと唇をほころばせた。それだけで先ほどまでのクールな印象が払拭される。


 雪解けの朝に、ずっと固いままだったつぼみがようやく花開いたような、そんな心境だ。いや、これはいささか詩的がすぎただろうか。


 戸惑う幸恵に、青年は穏やかな口調で告げた。



「弁護士の和泉(いずみ)玲一(れいいち)です。――お久しぶりです、花岡さん」


「……和泉……ってまさか、レーチ(、、、)くん!?」


「そうだよ。中学卒業以来だね」



 驚く幸恵に、玲一はおかしそうに笑いながら言った。






 和泉(いずみ)玲一(れいいち)。小中学校を同じくしたクラスメイトだ。


 日本人離れしたビスクドールのような顔立ちは、当時から周囲の人間を魅了するだけの魔力があった。本人の穏やかな性格も相まって、小学校入学以来、その人気は加速度的に高まった。


 ようするに、子供特有の愚かさを刺激したのである。


 彼を巡って女児たちはお互いを牽制しあい、時にイジメ問題にまで発展した。中には露骨に彼を優遇する女教師まで現れたほどだ。


 とうぜん、男子としてはおもしろくない。「トロいから」なんて適当な理由をつけて、彼を仲間はずれにする。それを女子がとがめ、男子はますます彼をやっかみ、さらに険悪になる。悪循環である。


 当時、すでに家庭環境のせいで思いっきり擦れていた幸恵は、煮え切らない態度の玲一があまり好きではなかった。


 なにを言われても言い返さず、目の前で喧嘩が始まろうとも止めようとせず、ただオロオロとするばかり。抑圧された環境下で育った幸恵にとって、和泉少年は最も苦手な部類の存在だった。


 それで一度、いらだちをぶつけたことがある。



『言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ。あんたにはりっぱな口がついてるでしょうが』



 やつあたりもいいところだ。周囲に翻弄される玲一を、母親に蔑ろにされる自分に重ねていた。


 とはいえ、幸恵と彼との接点などそれくらいであったし、向こうもほとんど覚えていないだろう。せいぜい、「そんな同級生もいたな」というていどに違いない。


 だから、こうして親しげに笑いかけられるような立場ではない。むしろ幸恵にとっては、一方的に鬱憤をぶつけてしまったという後ろめたさがある。


 間違っても「婚約者を妹に略奪された」なんて、みじめな姿を見られたい相手ではない。


 なぜだ。ホームページにはたしかに、門倉という中年の弁護士の写真が載っていたというのに。



「では、花岡さん。お話をお伺いします」



 真面目な顔をして、玲一がうながす。


 どうしたものか、と逡巡しながら、幸恵は先ほど秘書の女性が置いていったコーヒーをすすった。



(……あ、おいしい)



 これは豆にこだわっているな、なんてどうでもいいことを考える。――現実逃避とも言う。


 玲一はすでに同級生ではなく、弁護士としての顔をしている。こうやって切り替えができるあたり、公私混同しないタイプなのだろう。彼は昔から優秀だったし、任せたらいい仕事をしてくれるかもしれない。


 だが、嫌だ。知り合いに弱みを見せるのは、幸恵が最も苦手な行為だった。


 迷っているのが伝わったのだろう、玲一が穏やかな口調で語りかける。



「ご心配には及びません。ここで知りえたことは、決して口外しないと誓います。弁護士には守秘義務がありますから」



 彼の顔は真剣そのものだ。その力強い視線を受けて、幸恵の心臓がどきりと波打った。


 意志の強そうな眼光は、かつての彼にはなかったものだ。あのころの玲一は美少女と見まごうほど中性的な容姿で、男の匂いに乏しかった。


 今はどこか野性味が加わり、男性特有のしなやかな色気が感じられる。女性と勘違いされることは、もうないだろう。


 幸恵がとっさに目の前の彼と、同級生の和泉玲一を結びつけられなかったのは、そういった理由からだった。



「……ちなみに、ホームページにも載ってた門倉弁護士という方は……?」


「今は多数の案件を抱えていて、時間を取るのが難しいですが、ご希望されるならできる限り対応いたしますよ」



 自分のためを思うならば、別の弁護士に代えてもらったほうがいい。彼はおそらくまだ新人だし、もっと経験豊富なベテランのほうが、いい結果を出してくれるだろう。幸恵を裏切った連中を見返すためには、力のある弁護士についてもらう必要がある。幸い、幸恵は金には困っていない。


 それなのに、気づけば口を開いていた。



「――いえ。あなたにお願いします、和泉先生」


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