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3:続講




 ファイルデータ−Calamity

 データ1;『Cの発生原因について』


 本研究は、Cを超常現象の一端と仮定して進むことを原点とした。

 前提として、世界には高位現実や下位現実などの層状空間が存在し、それらを繋ぎ留める芯にして世界を転々と異動する不可視の存在『世界樹』なるもののを認めなければ、合理的説明がつかないことを認識する必要がある。


 まずCは、高位または下位現実と現実世界の交差による現象と考えられる。

 ある程度以上の世界樹への物理的衝撃が加わった時、柱となる世界樹を中心に層状現実のいくつかが傾き、交わった部分でCが発生する。

(ここでは、高位現実を我々が認識できていないものが確かに存在する上位の平行現実、下位現実を我々が認識できているものを認識できない下位の平行現実と定義する。)

 この結論の証明として、実験No.323を実施した。

 これは、Cにより体積増加した物質の重量計測実験であるが、この結果、全物質は一様に元の物質の重量を維持しており、目視では体積が増加しているにも関わらず重量が増加していなかった。

 次に、切除したズレの成長部分のみを計測したが、重量は全て0g、全くの皆無であった。

 以上のことより、これらを、我々が普段認識できない別現実製の物であると判断。高位現実の物質だと結論づけたのである。


 データ2;『C5・22について』

 2180年5月22日午前11時に発生したCは、偶発的な物と考えられる。

 根拠として、当時観測されたずれを計測したところ、世界樹の発生地点(波紋状に軽度化する被害図の逆探知による割り出しで特定)は、ちょうどプレート移動の激化により海底火山の噴火が急増していた地点の付近と判明。

 それ以外の理由を想定しうる現象が観測されていないため、C5・22は海底火山の噴火が世界樹に直撃をしたために発生した、偶発的現象であると――



 ホチキスでまとめられた資料の束を机に置き、結月は一人、寂しそうに微笑んだ。

 用意された簡素な狭い個室には、机や椅子、ベッドなどといった生活に最低限必要な設備のみが置かれている。

 まるで牢獄のようだと嘆く人もいるかもしれないが、気持ちを整理するには静かでいい場所だと結月は思う。

 灰色の天井を見上げ、静かに目を閉じる。

 姫乃の死は誰のせいでもなかった。C5・22は自然災害だった。誰も憎む必要はない。嬉しい。

 ……嬉しい?そんなはずがない。

 誰かに憎しみを向けることができたら、誰かのせいにできたらどんなに楽か。どんなに幸せか。

 これを素直に喜べるほど、結月はできた人間でもなければ強い人間でもなかった。

 日向の能力を見たときと同じか、もしくはそれ以上に、嫌な感情が頭に流れ込んでくる。

 全部まとめて吐き出してしまいたいほどに、世界は滅茶苦茶だった。

 もはや結月には、姫乃のことを本当に好きだったのかさえわからなくなり始めていた。彼女の死を深く悲しむのは、そんな自分に酔っているからか……。

 進めば進むほど悪化していく思考を放り投げ、結月は机に突っ伏した。

 Cに関わるのに、これ以上「姫乃のため」はない。だからといって自分の胸に手を置けば「日向のため」なんてものは最初からなかった気がする。

 それならば……。

 二つの逃げ道は両方とも塞がれた。選択肢たちは口を揃えて最後の一つを取るしかないと言っている。

 それならば……。

「ここからは……僕の自己満足のための戦いだ」

 何もせずにいるのが苦しかったから踏み出してみた。姫乃の死はその原因でもあり、後付けの理由でもある。

 自己解決への糸口を探すため。自分の中での決着をつけるため。

「そうだったんだ」

 呟く。僕は、ただ単に気を紛らわしたかっただけなんだ、と。

 行き着いた答えはあまりにも単純であまりにも幼く、そしてあまりにも素っ気なく残酷だった。

 結月は、ただ一人、密かに笑う――。







 

 データ3;『人為的Cの可能性について』


 先にも記述した通り、Cは世界樹へのある程度以上の物理的衝撃によって引き起こされる。

 C5・22の発生を促した衝撃は海底火山噴火によるものであったが、世界樹の出現周期は不規則ながらもほぼ二週間に一度程度。加えて出現場所も不規則、範囲は世界中となるため、現段階で10年以内のCの自然発生率は50175761分の3程度である。

 しかし、世界樹の出現位置を割り出し、兵器等による物理的な衝撃をある程度ぶつけることで、自然現象であるCを人為的に発生させることが可能となる。

 人為的なCの特徴としては、有効範囲は狭くなることが考えられる。

 これは兵器の威力が噴火よりも軽度となる場合に限ってではあるが、根拠として、Cの有効範囲が世界樹が受ける衝撃に比例することがあげられる。

 また、通常のCは短時間、約1〜2時間程度に収まるが、兵器による攻撃を長時間続ければ、長期間化させることも可能である。


 データ4:『順応者について』


 以上のデータには記載されていないが、Cは世界樹と人間を軸に発生するらしく、世界樹から半径約2m、各人間から半径約30cmの範囲には基本的にズレが発生しない。

 しかし、例外が存在する可能性も浮上している。

 C5・22後に行われた国民の全精密検査データの中に、二件だけ異常なデータを観測した。

 検査を受けた中で異常を観測した二名は、人間ドック等の、内部を電子機器で確認するタイプの検査全てにおいて、測定を断念するほどのノイズが発生し、検査できなかったのである。

 異常なノイズと、わずかな検査情報から打ち出された結論が『順応者』である。

 何十層も下を行けばわからないが、この現実の、少なくとも一〜二層上、または下には、人間が存在すると考えて間違いない。

 自分より下層の自分が死亡すれば、それより上位にあった存在たちも消滅する。

 しかし、C発生中に自分と、別層に存在する自分との融合がなされることで、もともとの現実に加えて別層の事象も観測できる人間、『順応者』が生まれると予測されている。

 このネーミングは、重なる複合型現実、そこに世界と共に順応した者、というニュアンスを含む。

 基本的に順応者は順応した層の物質、現象に干渉する力を持つため――



 日向はため息をつく。

 昨日発生したCは、ほぼ間違いなく人為的なものだ。資料にある特徴と酷似している。

 Cを発生させた犯人たちへの怒り……それは、日向の中にはさほど存在しなかった。

 C5・22が人為的なものであったらそうはいかなかったが、今回のCで自身が何かを失ったわけではない分、怒りは少なかった。非情だと言われるかもしれないが、人間そんなものだと斬って捨てる。

 それよりも気になるのは順応者のことだ。

 結月の言っていた次元説はかなり惜しいところを行っていた。

 順応者の力のメカニズムは完全に合っている。違ったのは、次元か層現実かだけ。

「頭良すぎだろ、ったく」

 小さく毒づく日向。しかしその口元は微かに笑っている。

 結月の学校の成績は普通、たいしていい方ではなかった。

 ただ、こういうことになると恐ろしく頭の回る人間であることを日向は知っていた。

「後は……」

 ここに入るときに仁科に配られた、研究所内専用の携帯端末に、メールが一通届く。

「アレだけだな」

 メールを確認しながら日向は、スマホに無意識に触れる。

 結月はどう思っているだろうか。

 日向が真相を解き明かそうとする理由、結月なら、あるいは気づいているかもしれない。鋭く、人間観察を得意とし、天才肌で、分析家な、結月ならあるいは。

 しかし、それは有り得ないとすぐに考えを打ち消す。

 結月は基本的に、仲の良い人間、例えば姫乃や日向……を疑うことはまずない。

 馬鹿みたいに率直な信頼。それは結月の長所であり、同時に弱点でもある。

「あいつは馬鹿で愚直で鈍感だからな」

 メールの内容は、科学者だらけのミーティングに参加しろ、というものだった。

「こと俺のことになると……」

 いや、と日向はすぐに自分を否定する。

「冬川のことになると……か」

 スマホのロック画面の中で、白い冬川姫乃は静かに佇んでいる。

 日向は一人、密かに笑う――。








     ♯


 ミーティング。つまりは重要な会議だ。

 政府直属機関の会議ともなれば、重厚なプレッシャーと会議室に満ちる静寂との間で板挟みにされる……はずだったのだが。

「君が日向クン?話は聞いてるよ。とりあえず体を触らせてくれないか」

「はぁ!?おい!そこでボーッと見てんな結月……」

「血液をくれ!日向くん、君の血が欲しい!」

「ちょっ、何言って……おいゆづ」

「ほう、順応者の体か。君、ワシのモノにならんかね?」

「いや意味わかんなっ……ゆ」

「あらぁ、ずいぶん美味しそうな子じゃない?解剖してアルコール漬けにして呑みたいくらい可愛い♪」

「嫌ぁあ゛あぁぁあ!」

 白衣の変人たちにわやくちゃにされる日向を遠目に、結月は曖昧に苦笑しながら指定された席につく。

 一番前の演台で書類に目を通していた仁科は、真面目そうなオーラをため息と共に吐き出し、

「とっとと座りなさいマッドサイエンティストども!ぐだぐだくっちゃべってると会議が始まんないのよこの変態科学者がぁっ!」

 壮絶に叫んだ。

 科学者たちも慣れたもので、大して臆することもなく、相変わらずどよどよと話し合いを続ける。ただ、一応席にはついた。

 日向は精気の抜けた顔で、結月の隣の席に座った。

「では本日のミーティングを開始します。今回は『アポテオシス・パーソン』と『水無月のおひさま計画』に関して……っ!?」

 仁科が一瞬言葉に詰まる。それもそのはず。つい2秒前まで騒がしく喋っていた科学者たちが余すところなくその口を閉じ、真剣な面持ちで一斉に仁科に視線を注いだからだ。

 仁科は、最初からやんなさいよ……と小声でぼやきながらも、説明を再開した。

「……以上の二題について、打ち合わせを行います。ではまず堂上博士、アポテオシスについてお願いします」

 呼ばれてすくっと立ち上がったのは、初老の渋い男性だった。

 確か、この研究所に入った時に最初にやらされた幾つかの精密検査、その担当がこの堂上という男であった気がする。

 結月や日向に、科学者がまともであるという幻想を抱かせた張本人で、いわゆる普通の老人だ。

「アポテオシス・パーソンについての話の前に、彼らの検査結果からお話しします」

 堂上が指したのは、日向や結月を含む、最前列に座る七人だった。

 高校生か大学生らしい男女が結月たちの他に二人、専業主婦っぽいおばさんが一人、そして小学校高学年くらいの女の子が一人。

「こちらから見て右端から順に、鮎川あおさん16歳。反応は陽性、同化率52%」

 恐らく彼女もあの資料に目を通したのだろう、名前を呼ばれた制服姿の少女鮎川が、陽性や同化といった響きに顔をしかめた。が、堂上は気にせず続ける。

「杉松光毅くん15歳。陽性、同化率47%」

 杉松というらしいインテリ系の少年は、居心地悪そうに俯いてメガネを拭いている。

「粟野文香さん10歳。陽性、同化率61%」

 科学者たちが幼さについてひそめき合っているであろう中、黒髪の幼い少女は不安そうな表情でぺこりと頭を下げた。

(陽性は順応者かそうでないか。だとしたら同化率は別層現実の自分との同化度合いか?)

 考え込んでいた結月を、隣の日向が肘で小突いた。

『何?どうしたの?』

『結月、アポテオシスってなんだ?』

「山田町子さん46歳。陽性……」

 堂上の声の間をすり抜けるように結月はこそっと喋る。

「同化率45%」

『英訳すると、神化だよ。アポテオシス・パーソンは多分順応者の学名か何かだから……』

『ああ、わかった。進化と掛けてあんのな』

 進化と神化。

「篠崎日向くん17歳。陽性」

 順応者は進化人類、あるいは神化人類であると言うのか……。

「同化率87%」

 会議室内に、ざわざわとどよめきが起こる。

 他の人と比べると明らかに異常値だ。しかし、日向自身はさほど驚いた様子もなく、涼しげに頬杖をついている。

「最後に……」

 堂上の声に、会議室内に再び静けさが戻る。

「長谷川結月くん17歳」

 そして堂上の顔が曇る。

(当然だ、僕は本来ここにいるハズのない……)

「陽性」

(……は?)

 日向が驚いた顔で結月を見る。しかし一番驚いているのは間違いなく結月本人だった。

「同化率……」

 そして堂上の口から、さらに驚くべき言葉が発せられる。

「0%」

 会議室にざわめきが再来する。それは明らかに、日向の時のそれよりも騒がしいざわめきだった。





     ♯


 アポテオシス・パーソン、神化人類、即ち順応者。

 結月は手元の紙を裏返し、堂上の説明を聞いてわかったことをいくつかメモし始めた。

 まず、順応者の発生パターンは依然として不明であること。

 『世界樹』の発生位置との距離関係、角度、状況など目下調査中だが、今のところ共通点は見つかっていない。法則性は無く、今はまだランダムだと考えるしかないらしい。

 二つ目に、同化率と能力値の両者間にあまり相互関係はない。ただ、身体にかかる疲労度合いは同化率の高さによって推移する可能性があるということ。

 もっとも、同化率0%の結月には当然力は宿っていない。


 一応結月も順応者に区分されるようだが、0%が示す通り、そんな兆候もなければ覚えもない。

 現段階では、結月は科学者たちも驚くほどのイレギュラー因子であるし、そもそも順応者と言えるかどうかさえ怪しい存在だ。

 そして……『水無月のお日さま計画』。

 30分ほど前に堂上と交代してから、今もまだ説明を続けている女性科学者、河模によると、水無月のお日さま計画は『テロを事前に阻止するため』を口実にした、実質的な軍事行動であるらしい。

「本作戦の目的は、昨日突き止めたテロ組織の基地をぶっ壊……叩き潰……じゃなくて、本拠地を使用不能にすることで、二度とたてつ……テロの発生を未然に防ぐことですっ!」

 このように、河模の説明はいちいちオブラートをぶち破る。

 多分このメガネの気弱そうな女性科学者も大丈夫じゃない。普通そうに見えて、実は危ない人だ。

「テロ組織側に順応者が含まれている可能性が高く、迅速に圧倒的にボコボコにする……じゃなくて、安全に作戦を成功させるために、こちらも順応者を戦線に投下する予定です。順応者のみなさん、ここまで聞いちゃったら参加しないわけにはいかないですよね?」

 政府文章として回りくどい言い方で書いてあるのだろうが、彼女の手に掛かればそんなもの何の意味も持たないらしい。

 順応者たちの間に若干の波紋が生まれたが、それが大々的に動き出す前に、仁科が科学者たちへと指示を下し、その対応を急がせる形で会議はお開きとなった。

 そのまま速やかに個室に戻るように指示される順応者たち。

 仁科に急かされるように個室に戻った結月は、真っ先に紙に書いたことを見直し、それから携帯端末のメール機能を利用して日向にメールを送った。ここでは、携帯電話の方は常に圏外で役に立たない。

 返信はすぐに来た。

 メールの文面には、日向が計画に参加する気でいることが書いてあった。

「まあ……日向なら参加しないわけがないよね」

 結月は、あの中年女性山田と小学生の女の子粟野、それにメガネの少年杉松が不参加の意思を申し立てるだろうと考えていた。そして、あとの二人、日向と鮎川が参加。

 ただし、研究所側が秘密保持のために不参加者を軟禁すると言ったらきっと、杉松あたりが参加を希望するかもしれない。

 いくら進化人類とはいえ、基礎的な身体能力が上がったわけではないから、反応できない速度での攻撃、例えば銃弾……を受ければ、普通に重傷を負う。そんなもので脅されたら屈服するしかないだろう。

 結月は、自分も行くという内容のメールを返し、堅い簡素なベッドに横になった。

 灰色の天井が心を落ち着かせてくれる。

 無能力の結月が参加したところで足手まといになるのがオチ……そんなことは重々承知だった。

 目を閉じながら、結月は考える。

 自己満足のためだと割り切ったなら、その目的に尽くすまで。

 真実をその目で探りに出つつ、あわよくば……あわよくば死ねたなら。

 日向からメールの着信があったが、結月は頑なに目を開けなかった。

 作戦決行は明後日。それで何かが変わるのか……。

 結月の望みに、希望はない。





     √’



 薄暗い自分の部屋。ここは殻であり、砦であり、絶界の孤島でもあった。

 目を閉じると、倒壊した駅のホームが目に浮かぶ。

 血溜まりに座り込む最愛の人の姿が、脳裏にねっとりとこびりついて剥がれない。

 気持ち悪い。吐き気がする。

 時計の針は午前4時を指す。

 あれから49時間しかたっていないことが、あの惨劇をさらに身近に感じさせていた。

 現実の生々しさと湧き出す虚脱感から逃げるように目を閉じる。

 何もする気が起きなかった。

 夢に見るから寝たくもない。吐き気で食欲もない。どこか現実味のない時間だけが勝手に過ぎてゆく。

 読書趣味故か、大切な人を失うことを心のどこかで遠い世界のことのように思っていたのかもしれない。

 最近の本は簡単に人を殺すから。命をあまりに軽く描くから。

 だが現実は全く違った。

 あまりに理不尽だと、どこかに怒りを向けたくなるが、当てもない。誰かのせいにして楽になりたいのに、許してはくれない。

 重い。苦しい。暗い。暑い。

「誰か……」

 虚しい。怖い。死にたい。

「助けてよ……」

 寂しい。死にたくない。気持ち悪い。寒い。

「助けてよっ!」

 急に背後で携帯電話が震えた。どうせ、この二日間で流れまくっている緊急ニュースの着信――

「そうだ、行かなきゃ」

 ふと、今日は本当ならデートの予定だったことを思い出した。

 行かなきゃ、もう一度言ってみる。甘美な響きだ。自分に使命を植え付ければ、少しは忘れられる。

 行かなきゃ。でもどこに?

「ああそっか、実際に行ってみたいって言ってたもんね」

 顔を少し上げ、手元にあった本、『ななつまちの猫街道』を開く。

 最初はどこから行こうか。順番に回って行くのもいいな。どれくらいかかるかな。向こうはここより暑いかな。

 ……これでいいのだ。しばらくの間は壊れて旅をしようと決めたから。

 そばに転がっている壊れた懐中時計が独りでに、わずかに身じろぎした気がした――。








     ♯



 不規則に発生・移動・消滅する世界樹を中心に別層現実との同化をもたらすCだが、その特性の一つに、生物から半径30cm以内には例外なく影響を及ぼさない、というのがある。

「それを利用したってわけか。ったく、神様もずいぶんとご親切な法則を作ってくれたもんだねぇ?」

「もしそれがなかったら、僕らはとっくに死んでるよ、日向」

 底無しの闇の中を裂くように、いくつもの橙色の灯りが高速で後ろへ流れてゆく。

 それがチラチラと視界に入るのが苛立たしいのか、日向は頬杖をつきながら舌打ちした。

「どうりで税金が闇に消えるわけだ。復興支援とか言いつつこんなことに使ってやがったのか」

「それのおかげで助かってることは否めないけどね。もう一回長期ヘリコプターはさすがに勘弁してほしい」

 ここは国家機密にして政府直轄の非常用地下鉄。東京、横浜、大阪など、日本の主要な都市へ直接通じている。

 御要人たちのエスケープ口……と思いきやそういうわけでもなく、C対策専用線だとか。

 Cの特性を利用して、線路付近に植物を育てることで、C発生の非常時にも使える仕様になっているらしい。

 電車の方はかつて活躍した伝説的新幹線を再使用していて、マニアなら発狂するレベルの逸品らしいが、結月たちにはよくわからなかった。

 ちなみに乗る直前、あのメガネ少年杉松が発狂しかけていた。あまりにもハマりすぎて誰も何も言わなかったが。

「結局、抜けたのはあのオバサンだけだったな」

 呟く日向に、結月は思案顔で頷く。

 結月の予想は外れ、順応者6人のうち、山田以外の全員が参加を表明したのだった。

「まさか文香ちゃんが参加するとは思わなかったな……」

「力があるのにつかわないのはもったいないって、せんせいが言ってたんです」

「!?」

 日向がぎょっとして振り向くと、後ろの座席から粟野文香がひょっこりと顔を出していた。

「……お前、いつからこの車両にいた?」

「気づいてなかったの?最初からいたじゃん。ね、文香ちゃん?」

 結月の問いかけに文香は頷くと、パタパタと慌ただしく動き回り、結月の隣の席に座った。

「ふみ、でいいですよ、ゆづきさん、ひなたさん」

「じゃあ、ふみちゃん。もし危なくなったらこの怖い目をしたお兄さんの影に隠れるんだよ」

「はい、わかりました。目印は、こわい目のお兄さんですね」

「誰が怖い目だって?」

 日向がその怖い目を向けると、文香は怖じることなく真っ直ぐと見つめ返し、

「ごめいわくをおかけしないようにがんばるので、よろしくおねがいします」

 丁寧に頭を下げた。

「しっかりしてるなぁ」

「お、おう……」

 あまりにも大人びた彼女の言動に二人が驚いていると、

「わたし……こじなんで、自分でしっかりしなきゃいけないんです」

 文香はそう言って強がりの作り笑いを浮かべると、一礼して、何か飲み物を探しに車両を出て行った。その笑顔を二人は、素直に怖いと思った。

「……孤児か」

「だから『おかあさん』じゃなくて『せんせい』だったんだね」

 少女の姿は強く、そして歪に見えた。無理して、強がって、今にも壊れてしまいそうに脆いのに、尚頑張ろうとする空元気の笑顔。

 何が彼女をそこまで突き動かすのか。両親を持ちながらも遠ざけた贅沢な二人には、理解の及ばない領域であるように思えた。

 様々な思い、傷、苦悩を乗せ、電車はどこかを目指して直進する。

 橙色の蛍光灯が、気づけば白色に変わっていた。












     ♯



 大阪府東大阪市のどこかの駅。ここにテロ集団の本拠地があると仁科はいう。大都市からわずかにずらして作ってあるのは、適度に雑多なビル群に紛れられるからか。

 駅の非常口から出た結月たちは、眼前の光景に目を疑った。

「え……警官隊?」

 そこにいたのは、フル装備の100人あまりの警官隊だった。一部には自衛隊も混じっているようだ。

「当然でしょ」

 後から出てきた仁科が服の埃を払いながら言う。

「国家に仇なすものを捕らえる、これは警察官の本職でしょ?政府直属機関をなめちゃだめよ」

 その時、凛とした心地よい声が背後から響いた。

「あの、仁科さん……人が全然いない気がするんですけど……」

 それがあの女子高生鮎川の声だと気がつくまでに、数秒の時間を要した。

「ここら辺一帯に偽のC警報を発令したからよ。そうすれば民は勝手に逃げるし、テロ集団たちは喜ぶから。Cの予測なんてもちろんできないだろうし」

「なるほど……」

 仁科は順応者たちを集めると、手短に作戦行動を説明した。

「日向、あんたはあたしたちと一緒に地上階の制圧。粟野ちゃんとメガネで出口の封鎖。そろそろ感づかれるころだから、守りは重要よ」

 メガネとは杉松のことだろう。

「あおちゃんと結月で地下の制圧をお願い。警官隊15人をそっちに割くから、指揮して」

「それはいいが、その本拠地ってどこだよ」

 仁科はふと、日向の背後にあるマンションを見上げた。

「それよ。そのマンション」

 呆然とする順応者群の横を、武装警官隊が足並みを揃えて通り過ぎていった。



 鮎川あおは、暗い非常階段をゆっくりひっそりと下っていた。15人の警官隊がそれに続く。

 この配置にしたのは結月だ。

 結月の統率の手腕は見事なものだった。

 まず自身が無力であることを伝え、代わりに鮎川が最強であることを伝えた。

 そして瞬く間に各人の大まかな性格を把握し、適当な順番を決めた。

 地下は研究用に使っているらしいことから武装した敵は少ないと分析し、さらに、地盤崩落を恐れて大火力兵器も置いていないだろうと予測した。

 言われてみれば確かにその通りだが、言われなければ気づかない。

 鋭い洞察力と柔軟な統率力、どれも鮎川にはないものだ。

(正直、役に立たないのに何のためにって思ってたけど……)

 認めざるをえない、そう思った時、急に鮎川の足が止まった。

(ここか……)

 ドアの隙間から、わずかに明かりが漏れている。どうやらここが地下施設の入り口らしい。

 鮎川は後ろの警官隊に合図すると、すぐに動ける姿勢を作った。

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと捻る。

(行くよ)

 思い切ってドアを開け――耳元で、爆発音が反響した。






 くぐもった爆発音、しかしそれは鮎川の側で起きた爆発ではなかった。

 連絡用に仁科から配られたトランシーバー。音は、そのイヤホンから聞こえていた。

『ザーッさ……ゆかザザー……ゆかわさん!聞こえる!?』

『長谷川くん!どうしたの!?今の爆発何!?』

 驚いて聞き返すと、ノイズが解消されたのか、やけにはっきりとした結月の声が返ってきた。

『侵入者用のトラップだよ!扉を開けちゃダメだ。爆発する!』

 鮎川は後ろの警官隊に合図して下がらせると、再び小さなマイクをつまんだ。

『わかった!そっちはどうなってるの?大丈夫?』

『大丈夫、全員無事だよ。とりあえず鮎川さん、今すぐ地下から出て!』

 急な話に鮎川は戸惑った。爆発の危険は確かにあるかもしれないが、仁科からの命令は下っていないし、任務放棄はできればしたくない。

 しかし結月は沈黙から鮎川の思考を読み取ったのか、

『確かに仁科さんから命令は下ってないけど、このままだとこの地下フロアから建物全体が崩落する!トラップの爆弾が一つでも爆発すれば、連動で時限爆弾が動き出す仕組みになってるみたいだ』

 鮎川は驚きと恐れでその場に凍りついた。

 結月の声は尚も説明を続ける。

『上の階の人たちにはもう連絡した。鮎川さん、そっちのみんなを連れて早く逃げて!』

 通信はそこで一方的に切れた。

 鮎川は弾かれたように、警官隊たちに合図を出した。ここで取り乱して叫んでは、彼らがパニックになる可能性がある。

 と、自分がそれだけ冷静であることに気がついた鮎川は、半ば衝動的にマイクを取り、小さなボタンを押す。

『長谷川くんもちゃんと逃げるんだよね?』

 返事は返ってこなかった。






     ♯





「結月が出てきてない!?」

「あおちゃんもね」

 胸ぐらに掴みかからん勢いで叫ぶ日向に、仁科は静かに答えた。

 既に警官隊は全員が撤退を完了しており、建物の中に残っているのは結月と鮎川だけとなっている。二人を除く全員がマンションから100mほど離れた場所に移動し、対策を練っていた。

「結月くんに一杯食わされたかもね、これは」

 警官隊に強制的に座らされている人たちを眺めながら、仁科は呟いた。

 彼らは拘束されたテロ集団の人間たちだが、地下に爆弾が仕掛けられていることなど誰も知らないという。

 彼らが下っ端で知らされていなかったか、非常用で極秘だったということも考えられるが、この状況では真っ先に結月が疑われても文句は言えない。

 日向は唇を噛み締めた。

「日向、勝手に行くのを許さないのはあなた自身を守るため……」

「んなことは関係ねぇ」

 日向は仁科の方を見ず、ぶっきらぼうに吐き捨てた。

「あいつが俺に直接逃げろって通信を寄越したから、俺はここにいるんだよ。お前らの許可なんざ最初から関係ねぇよ」

 仁科はふっと表情を緩めた。

「信用してるのね。心酔……と言った方がいいかしら」

「そんなんじゃねぇ、経験だ。あいつに従って悪い方に転んだことが一度も無いだけだ」

 仁科は黙って微笑し、再び顔を引き締めると、後ろを振り向いて声を張り上げた。

「みんないい?あと二分して何もなければ再突にゅ――

 と、そこまで言った時だった。

 突然、ズゴゴゴォ……という轟音と共に、マンションが二階分ほど下に垂直落下し、あらゆる箇所で内部爆発を起こしながら崩壊を始めた。明らかに地下から地盤沈下を起こしている。

 落ちた瓦礫が砕け散り、窓ガラスは割れ、窓やテラスから黒煙と火花が立ち上り始めた。

「おい仁科っ!このままじゃ結月たちは……」

「まだあの中にいたのなら、恐らくはもう……」

 仁科が呆然と言ったその時、壁の一部に亀裂が入り、小さめの爆発が起きた。その爆風に乗る形で、人影が三つ飛び出てくる。

「結月!」

「あおちゃん!」

 即座に走り寄った警官隊が慣れた手付きで保護する中、三人目の姿をはっきりと見た二人は、驚愕に目を見開いた。

 仁科が独り言のように、「あれは……『聖母』!?」と呟き、日向がさらに小さな声で呟く。

「白……冬川?」

 画像で何度も見た姿。全体的に色素の薄い、白い冬川姫乃がそこにいた――。







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