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1;壞錯



 午後11時、人数の少ない夜のファーストフード店に、二人の少年が隣り合って座っていた。

 世界各地で起こった空間のズレ、英語で災害を指す『カラミティ』という言葉で呼ばれるこの天災で、この松本市も一度荒廃し、至る所で崩れ落ちた瓦礫が道を塞いだ。

 現在は、夜の町を照らすひん曲がった街灯が、わずかに傷跡を残すのみとなっている。

「結月、ちゃんと睡眠はとれよ」

 二人のうち、茶髪に近い方の少年がぶっきらぼうに言った。

 端整な顔立ちだが、目つきが鋭く無表情で、攻撃的な印象を受ける。

「日向こそ、大丈夫?睡眠不足は体に毒だよ」

 答えた少年、こちらもやはり美少年に変わりはないが、艶やかな黒髪と幼い顔つきが特徴的で、表情も柔らかい。日向、と呼ばれた少年とは、いささか対照的だ。

「この時代、安心して眠れる場所なんてどこにもねぇよ」

 確かに、と苦笑しつつ、結月というらしい少年は苦笑し、紙コップの飲み物を一口啜った。

「天災……だもんね。僕らだっていつ死んでもおかしくないし」

 日向は頷くと、ポテトを一本つまむ。

 二人の間に、またも沈黙が訪れた。

「もう二年になるんだね」

「っ!……ああ、そう……だな」

 結月の口からその話が飛び出したことに驚きつつ、日向は答えた。

「C5・22って呼び方は嫌いだなー。

明確に日付を覚えちゃうし」

「それが目的だろうけどな。人々が惨劇を忘れないように……」

「忘れるわけがない」

 結月の感情の抜けた声に、日向は俯く。

「ヒメノを奪った日を、忘れられるわけがない」

 無表情に虚空を見つめる結月の目には、何も映ってはいない。

 二年間の時を経たところで、深い心の傷が癒えることはない。






     #



 頭の中で、さっきまでのことを反芻しながら、結月はエレベーターの5階のボタンを押した。

 ドアが閉まり、上昇する感覚が体にのしかかる。

 目を閉じると左隣で、髪の長い少女がイタズラっぽく笑っていた。

 重そうですね……と、透き通るような声が耳に響く。

「持ってくれる?」

 嫌です……と即答し、楽しそうにそっぽを向く少女。

 結月の心にスルスルと入り込んくる、大人びたようで幼いその声は、しかし耳の奥に朧気にこだまして消えてしまう。

 目を開くと、チンッ!という到着音と共にドアが開いた。

 隣には誰もいない。いるはずがない。

俯いて動かない結月に、しびれを切らしたエレベーターがドアを閉めた。

「こんなんじゃ怒られちゃうな……」

 自嘲の笑みをうかべつつ、「開く」のボタンを押してドアをくぐる結月。

 左側に弱々しい夜景を眺めながら通路を進み、奥から二つ目の部屋の鍵を開ける。

誰に言うでもなく、ただいま……と呟き、鍵を閉める。

 ただ無駄に繰り返す高校生活。

 その隣に、彼女がいたらどれだけ楽しかっただろうか。

叶わぬ夢にすがり続けたところで、何の意味もない。だが、今の彼にとって、生き長らえる意味を感じる場所は、そこにしかなかった。

 離婚して疎遠になった両親のことなどどうでもいい。

彼女、冬川姫乃が確かにここにいた、それを忘れないことだけが、長谷川結月の唯一の存在理由。

「君は僕の中で永遠になりたかったのかい?ヒメノ」

 感傷的に呟いた結月は、明かりもつけずにベッドに横になった。

 窓から見える夜景が少し、その輝きを失くした。









     √




「月が綺麗ですね」

「そうだね」

「というわけで、結月の家に泊まります」

「どういうわけで!?」

 部活ですっかり遅くなってしまった夜道を、二人は並んで歩いていた。

三日月より少し膨らんだ月が、雲に阻まれることなく煌々と輝いている。

「私が、結月の、家に、泊まりたいと、言っているの。ダメですか?」

「いや、ダメじゃないけど…どうしたの?急に」

「付き合い始めてもう4ヶ月です。そろそろお泊まりぐらいはいいでしょう?」

4ヶ月が長いのかどうかはさておき、現時点では断る理由がない。

「うん、わかった。いいよ。ただし……」

「ただし?」

小首を傾げる姫乃が可愛らしくて、結月は微笑む。

「ちゃんと家の片付けするから、明日の夜にね」

「ふむ、まあいいでしょう。散乱した部屋も見てみたい気はするけど」

 姫乃はいたずらっぽく言って、歩調を早めた。

相変わらず表情の読みにくい彼女だが、どうやら少し上機嫌になったらしい。

「明日の夜は、いっぱい楽しいことしましょう」

「うん、そうだね」

「格闘ゲーム12時間耐久とか」

「12時間!?」

「ポッキーゲーム3000本分とか」

「夜のチョコはニキビの元だよ!」

クスクス笑いながら体をすり寄せる姫乃。

 そのまま背伸びして、顔を近づけてくる。シャンプーの淡い香りが結月の心をくすぐった。

「どうせなら、もっと楽しいこともしますか?そろそろ女の子の体に興味が出てくるお年頃でしょう?」

 目を細め、上目遣いに見上げてくる姫乃。

 体が固まって動けない結月は、真っ赤になって――

「そういうのは……ムードとかによるし……」

 目をそらした。

「甲斐性無し」

 溜め息混じりに姫乃は、

「まあ、わかってたけど」

と続けた。

 そして、やれやれ、と首を振ると、

「んっ」

「むぐ…!?」

口づけした。

 流れるような動作で。なんの前触れもなしに。考える余裕を与えずに。

 永遠に思えるが、実際は十秒ほどしか経っていない時間の後、姫乃は自然に離れる。

「甲斐性無しさんに、私からのプレゼントです。少しは起爆剤になることを期待しますが……。それではまた明日」

 何事もなかったかのように家に入ってゆく姫乃の背を、結月は見送ることしかできなかった。

 気がつけばそこは、姫乃の家までわずか5mの距離。

「お……おやすみ……」

 放心状態のまま、小さく結月が呟いた。


そして、2018年5月21日の夜は更けてゆく。








     #



 まだ辺りが薄暗い中、結月はふと目を覚ました。

 姫乃が死んでからは安眠できた夜の方が少ないが、それでもこんなに早く目が覚めるのは珍しい。

 時計は朝の三時を指している。

 二度寝する気にはなれなかったため、手早く着替えを済ませ、財布とケータイをポケットに突っ込んで部屋の明かりを消す。

 気分を紛らわしに散歩に出ようと玄関のドアに手をかけた、まさにその瞬間だった。耳を塞ぎたくなるような、かん高い鈴鳴りが聞こえたのは。

「!?そんな……!」

 ドアを開け放ち、外へと飛び出す。

 まだ災厄は始まっていないらしく、下に見える町や住宅は相変わらず静寂に包まれていた。鈴鳴りの警鐘にも気付かずに。

「これは…本格的にまずいっ!」

 エレベーターに向かって走りかけた結月は、慌ててUターンして階段を駆け下り始めた。

 鳴り出してから何分たったかはわからないが、大災害を前にしてエレベーターに乗るのは自殺行為だ。

 汗と、緊張からくる冷や汗が混じって、えもいわれぬ不快感を生み出す。

「それでも立ちすくまなかっただけマシか……。助かったよ、ヒメノ」

 冬川姫乃の死に立ち合ったことが、彼の冷静な判断を助けたのは確かだ。

 たかが災厄、そう思えるようになったことは、とても正常と呼べるものではないが。

 鈴鳴りの向こうに姫乃がちらつく。

 結月が四階分の階段を下りきるのが先か、災厄の引き金が引かれるのが先か――。







     約5分前



 茶髪の少年、篠崎 日向は、眠そうな目をこすると、ベッドの上で大きく伸びをした。

 デスク上で青白く光るパソコンの画面には、似たような画像が何枚も映し出されている。

(今日も駄目か……)

 手にしたスマホをいじりつつベッドに寝転がった日向は、眠気を受け入れて目を閉じかけたが、聞き覚えのある鈴鳴りに飛び起きた。

「まさか……っ!」

 慌ててノートパソコンを閉じると、スマホをポケットに突っ込み、ベッドから駆け下りる。

 しかし玄関のドアまで後一歩のところで、日向は前のめりに倒れ込んだ。

「痛……っ!?」

 日向の体を、引き裂くような痛みが襲った。今まで感じたことのない、骨の中から別の骨が生えてくるかのような激痛。

 身を捩るほどの痛みに、思わず呻き声が漏れる。

 日向の脳裏に、枝分かれした歪なスカイツリーの姿がよぎった。

(そんなことが人間の体内で起きたらどうなるんだ……?)

 痛みで遠のいていく日向の意識は、凄惨な死への恐怖よりも、一つの後悔で占められていた。

 パソコンの画面に映っていたあの画像。なんら信憑性のない内に伝えて、結果的に結月を傷つけることになるのは避けたかった。

(こんなことになるならもっと早く伝えておくべきだったか……)

「結月……悪ぃ……」

 半開きだった日向の目蓋が、今度こそ完全に閉じられる。

 鈴鳴りが――止んだ。








     #



 崩壊が――始まった。

ビキビキッという嫌な音をたてて、林立するコンクリートビルの一本一本から、全く同じ材質のビルの一角がゆっくりと生え出していた。

 内側からの圧力に耐えきれなくなった部分がいくつも地面に落下して砕け散り、コンクリート片と化す。

 息を切らしながら、覚束ない足どりでアパートから離れる結月は、軒下に入ることで降ってくるガラス片を回避しつつ、広い道を目指して歩き出した。

(体力使いすぎたな……)

 馴れない激しい運動のせいで、膝にうまく力が入らない。

 呼吸する度に肺が締め付けられ、マラソン大会後のような全身疲労が体を襲う。

 そんな集中できない状態においても、結月は冷静さを失わずに思考していた。

(C5・22の時と何か違う気がする。何か……)

 何かはわからないが、記憶しているカラミティとどこか違う、結月はそんな微妙な違和感を感じていた。

 地震は今も二年前も発生していないし、起きている現象に大きな変化は見られない。

 ふと、足元でズレを起こしている30cm四方くらいのコンクリートブロックが目に留まった。

 そして、は気がつく。

(もしかして、速度……?)

 あくまで目測だが、現在のズレの成長は十秒間に1cm弱。対してC5・22時の成長速度は確か、十秒間で約5cmほど。

(ズレる速度が遅いのか!)

 と、その時だった。

 頭上で、固い鉄同士が擦れ合うような轟音がしたのは。

 軒下からは見えないが、恐らく大きなコンクリート片か何かが崩れ落ちようとしているのだろう。

 しかし、足は疲労で鉛のように重く、瞬発的には動けない。

(さすがにやばいかな、これは)

 バギィッ!という破壊音の後に、細かい粒が屋根をぱらぱらと叩き――

「やっぱ駄目か」

 屋根ごとぶち破ったコンクリート製の巨大隕石が、上を見上げる結月に――。








     √



「姫……乃……?」

 人の気配がない、壊れかけの駅構内。

 呼ばれて振り返った姫乃は、疲れたように儚く微笑んだ。血で出来た真っ赤な水溜まりの中に、一人座り込んで。

「姫乃っ!」

 結月は血に濡れるのも気にせず、姫乃に走り寄った。一歩進む度に靴がぴちゃぴちゃと音を立てて、深紅の雫を弾き上げる。

 いったいどれほどの時間こうしていたら、こんな風になるのだろうか。

「と、とりあえず病院行こう!早くしないと死んじゃ……」

 姫乃は、自分に触れようとする結月に黙って首を振り、傷口を見せた。

「助からないっぽいです。私」

 彼女の右腕は、二の腕から下全てが赤に染まっていた。溢れ出た大量の血が、その原点となる傷口までもを覆い隠している。

「降ってきたガラスを反射的に右腕で防いじゃったの。二の腕から手首にかけて六ヶ所、大きなガラス片がグサグサッと」

 淡々と言う姫乃の顔は、いつもと比べても明らかに青白かった。

「119番にかけてみたけど案の定繋がらないし、救急車を呼べたところで地割れだらけの道路ではどうせたどり着けないし。それ以前にこの傷じゃ助かりませんけどね」

「なんでそんな……そんなに簡単に死ぬなんて!」

「最後に結月に会えたから、いいじゃないですか」

 これで結月は永遠に私のもの、そう言って微笑する姫乃に、結月はもう何も言えなかった。

「まさか探しに来てくれるなんて夢にも思いませんでしたから、このまま孤独に死ぬ予定だったんですけどね」

 まるで遺言を読み上げるように淡々と、姫乃は結月の疑問を一つ一つ解消していく。

「お泊まりできなかったのは悲しいかな。あわよくば行くところまで行っちゃいたかったですから。まあ、私の日頃の行いが悪かったのでしょう」

 そして姫乃は、くたっと結月にもたれかかる。甘えたのか、それとも単純に力が入らなくなってきたのか……。

「泣いてるんですか?結月の泣き顔なんて、初めて見た」

 姫乃の細い指が、結月の涙をそっと拭う。

 結月は怒ったようにそっぽを向いた。

「どうにも……ならないの?」

「手段は考え尽くしました。そうでなくちゃこんなに落ち着いていられる訳ないでしょう?」

 僅かに触れている肌は、実感できるほどに段々と冷えていく。着実にタイムリミットは迫ってきている。

 体にかかる姫乃の重量が、少しずつ増えていく感覚に、結月は何かを思い出していた。

「何か……喋ってよ、姫乃」

 姫乃は、何を言いたいのかわかったらしく、歌うように言葉を継いだ。

「眠くなってきたの。後で、じゃ駄目ですか?」

 これは、過ぎ去りし日の大切な思い出。二人の大好きな本の一節。

 姫乃の瞼が徐々に閉じられていく。

「駄目だよ。君の声を聞いていたい」

「我が儘な人。それじゃあ……」

 力なくずり落ちた体が、結月に膝枕される形でちょうど止まる。あの日と、同じように。

 そして、あの時と同じ――


「死にたく……なかったな」


 違う、と結月は呟いた。そんなことを言って欲しかったんじゃないと。

 ずっとあなたのそばに、姫乃はもう一度、そう言ってはくれなかった。

 結月は、冷え切った命の抜け殻をきつく抱き締める。

 姫乃だったモノの口元は、小さく笑って見えた――。







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