答
解答編。
神坂中学校一年六組の担任、加藤浩は、三階便所の鏡の裏に、一枚の紙が貼られているのを見つけた。紙は、簡単に剥がせた。加藤は紙に書かれてある内容を見て、愕然とした。
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・古池や蛙跳びこむ水の音
小さなものが飛び込んだ音など、大したものではない。俺一人が死んだところで、何の支障があろうか。
・おもしろやことしの春も旅の空
あの世に旅立ってみたい。
・ほろほろと山吹散るか滝の音
滝の音で全ての物事が掻き消される。一人や二人は大勢の中のほんの一部に過ぎないだろう。雄大な自然の中の一本の木のように。
・秋ちかき心の寄るや四畳半
葉っぱのように枯れる日は近い。
・此あたり目に見ゆるものはみなすずし
最近、見えるものがみなつまらない。
・夏草や兵どもがゆめの跡
過ごした日々は全て夢なのか。夢であればいい。
・酔うて寝むなでしこ咲ける石の上
寝て目が覚めたら楽しい日々が待っているのだろうか。
・霧時雨富士を見ぬ日ぞ面白き
いつもと違うものが見れたら面白い。
・冬の日や馬上に氷る影法師
俺達が死んでも、存在していたという記録は残る。
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加藤はしばらくの間、その場につっ立っていた。書いてあることが、少しも理解できなかったのである。九つの俳句とその註解が、自殺した八人によって書かれたものだと、字の形から解る。それが余計に、加藤を混乱させた。
少し落ち着き、加藤は職員室に戻った。自分の机には、自殺した生徒の一人、早川信が書き残したノートのコピーが置いてある。そのノートから、三枚の紙が抜けているのに気がついたのは、昨日だった。加藤は早速、ノートのコピーと見比べてみる。線で八等分され、そこに八つの俳句が書かれているページが印刷された紙を見る。書かれてあるのは同じ俳句だ。最後の九つ目は、そのページの裏に書かれたものだ。
加藤は、自殺者の死因が書かれた紙を、ファイルから取り出した。警察から聞いたものを、メモしておいたのだ。
・井坂勇人…自宅のマンションの屋上から飛び降り自殺。死因は全身打撲による外傷性ショック死。
・植村令…湖で溺死。
・大山晃…自室で首を吊って死亡。
・木村潤…学校の屋上にて焼死体となって発見される。
・津田雅也…井坂勇人と同じく、屋上から飛び降りる。
・早川信…植村令と共に溺死。
・松田晴一…睡眠薬の過剰服用で死亡。
・渡辺和弥…包丁で首を切って死亡。頚動脈の損傷による多量出血。
彼らはほぼ同時刻に死亡したと、警察に聞いた記憶もあった。加藤はもしかして、と思い、ノートの最後のページを印刷した紙に目をやった。やっぱりだ、と加藤は思った。
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赤信号 みんなで渡れば 怖くない
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最後のページに書かれたこの標語は、『みんなで自殺すれば怖くない』といった暗示なのではないか。そう思った。
不意に、電話が鳴りだした。加藤は電話のある方向に歩いていき、受話器を取った。
「はい。神坂中学校です」
次に相手が話す内容を聞いて、加藤は驚かざるを得なかった。何でも、早川信の家が、爆発したのだという。加藤は急いで、早川の家に向かった。
早川家に着くと、警官隊が道を塞いでいた。立川信の担任です、と言うと、警官から一枚の紙を渡された。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」
書いてある内容を、呟いてみた。それに反応するように、警官が声をかけてくる。
「これは、庭に放り出されてあったものです。爆発した拍子に窓から飛び出したんでしょうか。少し焼けています。まあ、今回は事件ではないですから、起こったことを素直に受け入れるしかありませんし、この紙は我々には不要なものです。よかったらどうぞ」
「すみませんね」
加藤は素直に紙を受け取り、そのまま学校へ行った。本当は、聞きたいことが山のように積まれてあるのだが、その前に考えたいことがあった。
職員室に戻ると、まずカレンダーを見た。二〇一二年の九月二十九日だ。それから、渡された紙を見る。もしここに書いてある内容が、現実になるとしたら、と、加藤は考えていた。明日は中秋の名月。明日の夜に、近くの湖で誰かが自殺する。そういった予告をされた気分だった。
翌日の夕方、加藤は霞ヶ浦に向かった。学校から一番近い湖だ。加藤は、ここで自殺が起こると予測していた。俳句に書かれていたのは、「名月」「池をめぐりて」だから、名月の夜に池(湖)の周りを廻って、それから死ぬ、というような内容だった。ちなみに、「池」を「湖」と解釈したのは、今までの例がそうだったからである。
が、いつまで待っていても、中学生らしき人物は現れなかった。おかしいな、と加藤は思った。夜が明けても、誰かが来る様子はない。湖を一周せずに、身を投げ込んだのだろうか、と、不安が押し寄せてくる。
それにしても、今日は疲れた。休みたい。という気持ちが加藤の中にあった。もう大分明るくなってきたので、加藤は自宅へ帰ることにした。
家に戻ると、電話が入っていた。メッセージを聞き取ると、加藤は、校長に電話をかけた。
「もしもし、加藤です」
「加藤か。大変なことになりましたよ。九人目が見つかったんです」
「えっ?! どこですか!?」
「今回は結構遠い所でしたね。琵琶湖です。人が浮かんでいるのを誰かが発見したんです。残念ながらもう、亡くなっていました」
まさか、と加藤は思った。全て自分の見当違いだったのか? 現場は霞ヶ浦ではなかった。
「死亡推定時刻は、九月三十日午後十一時一分だそうです。聞いてますか?」
加藤は己の無力さを呪っていた。自分の見当違いのせいで、また一人死なせてしまった。「めぐって」の部分を、「一周廻って」とではなく、単に「巡って」と解釈していれば、何処かで見つけられたかもしれない。自殺者は本当に、日本中の湖を「巡って」いたのだと思う。鏡の裏の紙だって、もっと早く発見していれば、生徒達の自殺を止められたかもしれない。
でも加藤には、生徒達が自殺する理由など、見当たらなかった。
「加藤さん、聞いてますか?」
「あ、はい。すみません。疲れが出てきているようです」
「そうですか。では今日はゆっくり休みなさい」
「はい。そうさせてもらいます。すみません」
そう言って加藤は電話を切った。
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十月十一日、曇った。神坂中学校一年六組の教室は、静かだった。いつまでも、いつまでも静かだった。
さて、今日も何処かで噂されることだろう。
“十人目が出た”と。
学校の屋上のてすりに、油性マジックペンで何かが書かれていた。
・冬の日や馬上に氷る影法師