思い出すのは……
布団に入っても、なかなか寝つけなかった。
頭の中からラビが消えない。
六年前、ラビは家に来た。
私は小学一年生だった。
ブリーダーの方から格安で譲ってもらったのだ。白と黒のブチ。黒い模様の形が悪かったので商品にならないから、安かったのだ。だけど、模様の形なんてコンテストに出すのでもなければどうでもいい事だ。ネットに掲載されいてた里親募集の写真のラビはとってもかわいかった。
ラビは、ホーランドロップというアニマルセラピー向きのウサギ。抱っこウサギなのだ。白黒のちっちゃなウサギが家に来て、私は大はしゃぎだった。
お家に慣れるまではと、抱っこは我慢した。
ケージに入れ、牧草とエサを入れ、給水ボトルも取り付けた。
でも、最初の日、ラビは給水ボトルの使い方がわからないみたいで水を飲もうとしなかった。水が出るところを口に近づけても、嫌がった。
エサも食べなかった。次の日も食べなかった。お母さんがリンゴをあげたら食べたし、牧草は食べていた。おなかはすいているようだったのに、エサは食べようとしない。
三日後、違うメーカーのエサを入れたらようやく食べた。
ラビは好き嫌いが激しかったのだ。
キャベツもレタスも小松菜もお芋も嫌い。気に入らないエサやオヤツは、どんなにおなかが空いてても無視する。
強情っぱりだった。
抱っこもさせてくれなかった。後ろ足で蹴って、むちゃくちゃに抵抗した。爪でひっかく。噛みつく。ウサギは骨折しやすいから、乱暴に扱っちゃ駄目だってお母さんに言われたから、痛くても殴らず我慢した。
手づからのオヤツもエサも食べてくれない。
布製のキャリーさえかじって食べてしまうような子だったので、リードをつけて外に散歩に連れ出すのもできそうになかった。
大きな物音が聞こえたり、ちょっとでも不満な事があると床を蹴るようなきかん坊だった。
私は、とてもがっかりした。
夕方の一時間、家族はラビの運動につきあった。サークルで囲った部屋の中を、ラビと一緒に走り、気のすむまで足の回りをうろうろさせてやる。
それだけの事だった。が、私は段々、めんどうになっていった。お父さんはお仕事でいないし、お母さんは夕飯の支度があるので、ラビの遊び相手はだいたい私。
飼い始めたころは、一時間どころか二時間もラビと遊んだ。だけど、ラビは全然懐かなかったのだ。
私よりもお母さんの方が好きだった。お母さんがサークルの中に入るとブフブフ鼻を鳴らすのに、私にはしない。私には噛み付くのに、お母さんにはしない。爪を切ってやろうとして抱っこすると私にはオシッコをひっかけるのに、お母さんにはしない。
私はサークルの中に一緒には入るけど、座りこんでマンガを読んだりした。私の仕事は、ラビがお外でオシッコをしたら怒る事ぐらい。三日に一回はブラッシングもしたけど。
ラビが動けなくなってからは、前よりもずっとお世話をしたと思う。お尻のあたりがかわいそうだったから、臭かったけど、何度も何度も拭いてあげた。眼ヤニが出た時もキレイにしてあげた。
エサやりも給水ボトルを口に近づける水やりも、長く時間がかかったけど、やった。
だけど……
めんどうくさいと思っていなかったわけじゃないんだ。心をこめてお世話をしたなんて、絶対、言えない。
想像すると怖かった。
もしも、私がラビだったら……?
背中がかゆいのだ。いつも、ずっとかゆいのだ。
両目が見えなくなって、頼りは耳と鼻だけ。
そんな苦しい状態が続いてから、両足が動かなくなる。いつも寝ころんでいるだけで、お尻が汚れても自分では拭けないのだ。
話せないから、かゆいとも、キレイにしてとも、おなかがすいたとも、のどが渇いたとも、言えない。
そばにはいい加減なお世話をする人間がいるだけ。
運ばれてくる食べ物を、ただ口にするだけの毎日。
死にたいと思うだろう。
頬を涙が伝わった。
ラビが野生のウサギならば良かったのに。
野生のウサギなら、弱ったらすぐ死ぬ。肉食獣に狩られるか、エサをとれずに飢え死にするか。一年半もエサを与えられ続け、苦しいまま生かされる事もなかったろう。
泣いているうちに、いつの間にか、私は眠っていた。
真っ暗だった。
闇しか見えなかった。
喉がつまって、苦しかった。息が吸えなかった。
体ががくがくと震えた。寒いのかどうかもよくわからない。ただ震える。呼吸できない苦しさだけで、後は何もわからなかった。痛いのかどうかすらも。
背中に、大きな手を感じた。
名前を呼ぶ声が聞こえた。
誰かがそばにいる……
一人じゃないんだ。
そう思ったら嬉しくなった。
それだけの事に、胸はあたたかくなった。
朝、布団の中で、私は泣いた。
何故、私は……
ラビの最期の時に側にいてあげなかったのだろう?
名前を呼んであげなかったのだろう?
撫でてあげなかったのだろう?
家にいたのに……
側にいてあげる事もできたのに……