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「パパ、起きてよ」

遥か天空から声がする。

「もう、パパ。起きないと遅刻しちゃうよ」

スカイツリーの天辺から声がする。

耳を塞ぐ様に頭から布団を被った。

「最終警告です。パパ、起きなさい」

「あと、10分」

「無理、強制執行します」

「ふぁ?」

「突入!」

「みぎゃぁぁぁぁぁぁぁ…… はぁ、はぁ、はぁ。強制わいせつ罪で逮捕されちゃうよ、菜々海」

「だって、パパが起きないんだもん」

「ゴメン」

目の前には白いブラウスに青いチェックのスカートを穿いて胸元に青いリボンをつけた制服姿の娘・皇 菜々海すめらぎななみが腰に手を当てて仁王立ちしていた。

危うく娘の菜々海に襲われる所だった。

親子とは言え無遠慮で擽るのはやめて欲しい。

もう少しでトランクスまで剥ぎとられる所だった。

慌ててパジャマと一緒に引き上げる。

伸び放題の癖毛で隠れている目を擦りながら枕元に置いてある垢抜けしない黒縁メガネをかけて立ち上がった。

「もう、無精ひげも何とかして顔を洗ってきなさい」

「はいはい」

「返事は一回!」

「了承」

顎に手を当てて洗面所に向かい顔を洗い、ひげは……放置。

菜々海がアイロンをかけてくれた白いワイシャツに袖を通し濃紺の背広のズボンを穿き地味なネクタイを締めて階段を下りる。


キッチンに向かうとテーブルの上には既に食事が用意されていた。

「早く食べてね」

「いただきます」

菜々海の気分次第で和食と洋食の日がある。

今朝はトーストだった。

焼き立てのトーストにバターを塗り噛り付く。

目の前にはサラダやカフェオーレ、フルーツにヨーグルトが掛けられているガラスの器が目に入る。

「いただきます」

菜々海を見ると手を合わせ一礼している。それは妻の躾の賜物だった。

少しだけ慌ただしく朝食を済ませ菜々海は学校に僕は仕事に向かう。

「ママ、いってきます」

玄関に置いてあるフォトスタンドに菜々海がキスをして飛び出していく。

僕もいつまでも変わらない笑顔の妻の空に向かい『いってきます』と言って濃紺の背広に袖を通して黒いブリーフケースを持って菜々海の後を追いかける。


スカイブルーのクロスバイクに乗りビルの谷間を駆け抜ける。

梅雨が明けた都内は朝から太陽が容赦なく照り付け体力を奪っていく。

「ファイト! パパ」

「了承」

クロスバイクの後ろに乗っている菜々海の黒い長い髪が棚引いている。

父親の僕が言うのはなんだけれど菜々海の顔立ちは妻の空に似て綺麗に整っている方だと思う。

まだ、あどけなさが抜けないがそこが可愛らしい。

「パパ、変な事を考えてないでしょうね」

「べ、別に。菜々海は可愛いなって」

「馬鹿!」

菜々海が僕の肩甲骨の辺りに拳を叩き込んだ。

「うわぁ」

「危ないよ、パパ」

「危ないのは菜々海でしょ」

「もう、只でさえ二人乗りは交通違反なのに」

「2万円以下の罰金か科料だね」

「科料って何?」

「千円以上、1万円未満の財産を強制的に徴収する刑罰だよ。市町村の犯罪人名簿には記載されないけれど検察庁保管の前科調書には記載されて前科がついちゃうんだよ」

「うわぁ、大変だ」

「だね」

大通りに出ると直ぐにバス停が見えてきた。

バス停では菜々海の友達が手を振っている。

「パパ。いってきます」

「それじゃ、僕もいってくるね」

「うん」

菜々海がいつもの様に後ろのキャリアから飛び降りて走り出す。

クロスバイクが軽くなり一気に加速する。


「菜々海、おはよう」

「可奈、おっはー」

菜々海に向かって手を振っていた背の高い女の子がにやけながら菜々海をからかう様に言った。

「今日もパパと一緒なんだね」

「うん、だってパパに送ってもらった方が楽じゃん」

「でも、あんな若いパパで良いな。うちの親父なんか信楽焼きの狸の置物みたいだからね」

「そうかなぁ。パパだって家じゃ置物みたいよ、置物と言うかぬいぐるみかな。ボケッとしてて何もしないしさ」

「でも、狸よりマシでしょ。菜々海のパパって31歳だっけ」

「う、うん。ママが生きてたら36歳だよ」

「凄いな。菜々海のパパって」

「でもさ、パパと一緒に」

「それは判ってる。でも親子なんでしょ」

「うん」

そこに東都女子高校行のバスがやってきて二人は乗り込んだ。


クロスバイクを加速させると直ぐに内堀通りが見えてくる。

日本の中心と言えば良いような場所に僕の職場がある。

左手には江戸城跡つまり皇居があり、右手には開催時にはヤジが飛び交う国会議事堂が見えてくる。

そしてその先には幾つもの省庁が立ち並び、その一角にある一際目立つ建物が僕の職場だった。

泣く子も黙る桜田門なんて呼ばれている日本国首都特別警察の警視庁の中に僕の職場がある。

でも、僕は警官でも刑事でもない一般職員と呼ばれている公務員だ。

通用門に向かっていると大きなサングラスをかけた栗毛色の長い髪の女の子が何かを探すようにキョロキョロしている。

ふわっとした目の覚める様なブルーのチュニックワンピに七分のジーンズを穿き足元はキャメル色のグラディエーターサンダルの彼女がいきなり僕の自転車の前に出てきた。

慌ててブレーキを掛ける。

「Mi scusi.」(ごめんなさい)

「Non fa niente.」(大丈夫ですよ)

聞きなれないイタリア語だったけれど僕は咄嗟にイタリア語で返答していた。

すると彼女は驚いた顔をしてすぐに質問をしてきた。

「Dov'? l'ingresso?」(入口は何処なの?)

「polizia? E li.」(警察? あそこだよ)

僕が指をさすと慌てるようにして正面玄関に向かっていく。

彼女を見送り通用門にクロスバイクを向ける。

今日は遅刻せずに来る事が出来たみたいだ。そう思った瞬間に後ろから悲鳴とも取れる声が聞こえてきた。

「Non mi toccare!」(触らないで!)

彼女の声だった。

振り向くとSSシークレットサービスつまり要人警護官みたいな厳ついスーツ姿の男に追いかけられるようにして彼女が僕に向かってきた。

そして事もあろうか僕のクロスバイクのキャリアに飛び乗って僕の背中を叩いた。

「Sbrigati!」(急いで!)

「ええ、何で?」

思考より早く体が動いていた。

振り返ると男達の横に黒いセダンが止まり車で追いかけてくるようだ。

それでも地の利はこちらにあるはずだ。細い裏路地を縫うように走り、追いかけてくる車を撒く。

気が付くと重要文化財に指定されている赤レンガ造りの東京駅丸の内口駅舎が見えてきて人の流れが多くなっている。

特にこの朝の時間帯は東京駅前は人波が絶える事は無かった。

すると急にバイクが軽くなった。

バイクを止めると後ろには彼女の姿はなかった。

この人ごみの中で探すのは不可能に近い、彼女も僕と同じ事を考えたのだろう。

腕時計を見ると既に出勤時間は過ぎていた。



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